9.


 陽が沈み、雲は月を隠す。
 影が蠢き始める――。

「では陛下、おやすみなさいませ」
 従者が数人、扉の前で同時に頭を下げて出ていった。扉が閉まる。
 【砂遺跡の国】国王は寝室中央に置かれたベッドに腰を下ろして一つ溜め息をついた。今日もいつもと同じ、平和過ぎてつまらない公務ばかりだった。疲れた。明日の仕事も同じだろう、そしてやはり疲れるだろうから早く休みたい。別に平和が嫌だとかそういう訳ではなく、寧ろ何かがよくないことがある方が面倒で大変なのは分かっているが、こうも毎日単調なのは飽きる。……贅沢だと我ながら思う。
 先代の王、つまり国王の父親が早くに亡くなり【砂遺跡の国】史上最年少で王の位に就いてから、今年で七年が経つ。焦げ茶の髪に白髪も交じり始めたし歳をとったなぁと思わなくもないが、国王議会で他国の王と顔を合わせるとやはりまだ自分は若造だと思える。見た目もそうだが何となく他国の王に子供扱いされるのだ。確かに彼らの子供、他国の王子と同い年くらいだし、仕方ないのかもしれない。しかし、結局国王に求められるのは年齢を重ねた威厳でも何でもなく政治等の采配の能力。自国の存続に問題がない以上はどう思われようと別に構わないが。
 部屋の明かりを消し、カーテンの透き間から漏れる月の光でベッドに戻る。
 その途中で気が付いた、風ひとつと無い夜なのにカーテンが揺れ、その中で影が揺れていることに。
「何者!」
 相手は隠れていたつもりもないらしいし、そもそも隠れてもいなかった。言えばあっさりと窓枠から室内へ降りてきた。手の甲から伸びているように見える漆黒の刃が鈍く光を反射している。逆行で顔はよく見えない、が体つきで男だと分かった。
 それよりも、だ。
 ここは三階、彼はどうやってここまで登ってきたのか。いや、それ以前に、不審者が王城敷地内に入れば誰かが気付くはずではないか。その為の王家直属軍なのだから。
「君は……」
「あー、いろいろ言いたい気持ちも分かるよ、そりゃ」
「だけど静かにしなさいよ。うるさい」
「!」
 いつの間にか背にしていた扉が開き、後ろに女が立っていた。つい先ほど出て行ったばかりの、従者たちの内の一人。数年前から王に仕えているし、よく知っている――顔だけは。
 彼女は静かに扉を閉じると、真っ白なエプロンのポケットに右手を突っ込んだ。
「君……私の知っている君じゃないな」
「よく分かったね。……でも、気付くの遅過ぎ」
「いったいいつから」
「そんなの知ったところで意味ないでしょ」
 エプロンのポケットから手を抜いて軽く振るう。手から何かが飛び出す。月明かりがそれを照らす。
 懐に手を突っ込んで指先に当たった物を掴んだ。服の中から引っ張り出す。
 首の周りに彼女の手から放たれたワイヤーが巻きついた。とっさに手にした短刀を喉の前に突き出したので気道は何とか確保出来たが、今のこの状況ではこちらが圧倒的に不利。女とは思えないほどの力(本当に女なのかどうかも怪しい、相手は変装しているのだから)で絞めつけてくるワイヤーを食い止めるのに必死でろくに動きもとれないし、助けを呼ぼうにも声すら出せない。どちらにしろ、他の者を巻き込む訳にはいかない。
「ね、オウサマ。どっちみちもうすぐ死んじゃうんだから、下手に抵抗しない方が楽だよ?」
「君たちは……この国で何をしようと」
「んー」男がにこりと笑った。「大暴れ、が一番適切な表現かな」
 男は床を蹴った、と思ったら、次の瞬間には目の前に立っている。
「だからさ、オウサマには死んでもらわなきゃならないんだ、どうしても」
 ただの右ストレートパンチ、しかし手首の辺りから黒刀が延びている。右の拳は確実に王の心臓を捕らえ、刃が深々と突き刺さった。呻き声を上げる間すら与えずにぐりっと捻って傷口を広げ、それから一気に引き抜く。
 鮮血が男に降り注ぐ。
 微かに浮かんだ微笑みはまるで絵のようで。
 狂っているそのものだ。
 女はワイヤーをしまい直すとそのケースを首から下げた。頬に爪を立てて引っ掻く。一枚、皮がべろりと剥けて、現れたのは男とよく似た女の顔。
「さて……じゃあ静、戻ろうか」
「そうだね、蓮。でもちょっと待って……」
 男は赤い水溜まりに指を浸した。その血で絨毯に描かれたのは、彼らの左の手の甲にも刻まれた、三本の絡み合った曲線。
「さぁ、軍人たちに挑戦だ」

 国王寝室の窓際に、巨大な鳥の形をした影が現れた。すぐに鳥の姿は消えたが、地面に落ちる影は消えなかった。
 しかし、それに気付く者はいない。
 なぜなら城の見張りは、既に男の手によって倒れているのだから。



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