10.


 広間の扉を開けて最初に目に入ったのは、白地に黒い筋の入った蝶の羽。細やかなその模様は、一羽だけで見れば芸術的で美しいものなのかもしれないが、こうもおびただしい数が部屋中を舞っているのを見れば気持ち悪い以外の何ものでもない。その上、この蝶たち一羽一羽が毒をもっている。何となく頭痛がして、人差し指でこめかみの辺りを押さえつつ、部屋中央に据えられたソファに寝そべった飼い主を見た。
「斑、何とかしろよこの蝶」
「あらぁ孝元じゃなーい。お帰りなさぁい」
 孝元の発言を見事に無視して顔だけこちらへ向ける。ついでに膝も立てる。多分、というか絶対、向こう側からだと下着が見えていると思う。もともと、覆われている部分よりも露出している部分の面積の方が広いような服を着ているし、スカートは短いし、今更気にしたことでもないのだが。ついでに言うと、斑は決して孝元の好みではないので更に。
「……そうじゃなくて。だから何とかしろ」
「何よぉ、そんなに嫌わないでって言ってるじゃない。この子たち、可愛いわよぉ」
 可愛いかそうでないかはともかくとして(人の感覚にもよるだろう、それは)やはり毒蝶だというのは気にしたくもなる。斑が平気でいるのは解毒薬があるからなのか、或いは彼女が毒に対する抗体を体内にもっているからか。
「とにかく斑……っ!?」
 突然腰に衝撃を受けて前につんのめった。扉付近にいた蝶たちがさっと左右に割れる。黒づくめの孝元の後ろから現れたのは、褐色がかった金の髪の男。整った顔には眼鏡と不機嫌な表情が、肩には淡黄色の鳥が乗っている。
「何すんだよ越村……痛い」
「当たり前だろ、蹴ったんだから。っつーか邪魔」
「じゃあお前、この広間に喜んで入ってやれ」
 言われて孝元から目を上げ、白と黒の蝶を見、それから斑に視線を移す。
「早くどっかやれよ、でなきゃ焼き払う」
 黄色い鳥の目がくるりと光った。越村の両手の指先から炎が漏れる。
 越村の登場に口を尖らせながらも斑は起き上がり、「分かったわよぉ」と手元のポーチから小さなケースを出した。その中から丸薬を一粒つまみ出し、長い爪で弾く。適当に離れた場所に落ち、丸薬が割れて中の液体が床に広がる。ふわふわと無秩序に舞っていた蝶たちはその液体周辺に集まりだした。蝶の好むフェロモンが云々、というヤツらしい。
 床に群がる蝶を見ないように、そこらをまだ舞っている鱗粉を気にしないように、部屋へ一歩入る。大丈夫だ、確か鱗粉に毒はなかったはずだ……多分。
「これでいいんでしょー」
「まぁ、一応。後で片付けろよ」
「分ーかってるわよぅ」
 扉のすぐ左側の壁に寄りかかろうとして、フードにアイツを入れっぱなしだったことを思い出す。なぜかアイツは孝元のフードの中で眠りたがる。アイツ、つまり孝元の真っ黒い魔鳥を引っ張り出して両腕で抱え、今度こそ壁に体重を預けた。
「……まぁ、お二人ともお疲れ様でしたー」
「全くだ」
「うるさいわよ越村!」
「早く話を進めてくれ」
 孝元たちはちょうど一年前に起こした事件の後始末を任され、その仕事を終えてきたところだった。
 彼ら“スペード”は大陸東にある隣り合った三つの王国をけしかけて戦争に発展させ、国力を弱めたところで三国全てを壊そうとしていた。同時に、世界軍に“戦争”を仕掛けた。その犯行声明に気付いてくれたらしく、世界軍は三国の戦争に介入し、組織が三国を滅ぼすのを防ごうとしている。
 計画通りだ。
 後すべきことと言えば、妖術をかけて操っていた各国大臣の術を解くこと。術をかけられていた間の記憶は残らない為、発言力の大きな大臣が突然記憶を失うとなれば、再び国は混乱するだろう。最近戦争も治まり国は落ち着いてきたそうだし、だから今がその時だ――そう、命令を受けた。因みに、同行した(というよりは、孝元たちの方がボディガードだったのだが)妖術師である鳴茅は、三国での仕事を終えた後、報告の為に本国へと戻っている。
 そんな訳で、孝元も疲れている。斑の話なんて後回しにしたいくらい疲れている。だが斑もそろそろ出かけるらしいから今聞いてやろうというのに。これでも(二人がどう思っているかは知らないが。もちろん孝元の方も、奴等の考えていることなんて分からない)いらだっている。
「納抄たちはまだ【砂遺跡の国】か?」
「いいえー、もう【港の国】に向かったわよ」
 斑は立ち上がって、孝元や越村が立っているのと反対側の壁にある扉へ向かった。扉脇にあるスイッチをいじる。孝元の左、斑から見て右側の壁が、モーター音を響かせながら横にスライドした。
 壁の裏から液晶画面が現れた。縦五列横五列、計二五枚の画面が壁を覆っている。斑が更に操作すると、左三列は今彼らがいる崩れかけたコンクリート建造物の外の様子が、残りの二列にはそれぞれ違った映像が映し出された。今のところ仕事のない妖鳥・魔鳥にカメラを持たせ、各地の映像を送らせているのだ。
 その内の一つに栗色の長髪が映った。納抄だ。彼と他十数人が、堂々と公共機関である電車で移動中。軍人たちはこちらの顔を知らないので、ただ移動するだけなら隠れる必要もないのだ。
 画面を見る限り、今【砂遺跡の国】に残っている幹部クラスの人間は蓮と静、それと秦礼、李樹の四人。これから孝元と越村も合流するので六人となる。小国相手に十分過ぎる人数だ。
「計画通り、滞りも無く進んでるわよぉ、今んトコ。ま、誤算があったと言えばあったけどねぇ」
「誤算?」
「コレよぉ、コレ」
 映像が一瞬パッと消えて、それから全画面を使って大きく表示された。幾つものテーブルと椅子が並び、そこで多くの人間が食事をとっている。どこかのレストランか何かのようだ。高い所から撮っているのか、映っている人間の顔がギリギリ何とか分かる程度に小さい。しかし、この映像が何をメインに撮られているのか、孝元にはすぐに分かった。
「……全く、何でこんなところにいるんだか」
「こいつらとの再会は、もっと後になると思っていたが」
 孝元と越村、バラバラのようで結局同じ意味をもった意見を呟く。
「彼らは李樹が何とかするって言ってたから、アンタたちの仕事に支障はないと思うけど。まぁ上手いことやってちょーだい」
「りょーかい」
 斑はこれから納抄と合流、【港の国】で次の準備を始めるらしい。
 そういえば。何となく気になって言ってみた。
「斑が出て行った後、ここの管理は誰が?」
「鈍が来るって聞いてるけどー」
 言いながら斑は蝶の群れに近付き、彼女自身に従わせる。
「それじゃあ、アタシも行ってきまぁす。ここの後片付け頼むわよぉ」
「……って、斑!」
「お願いねぇ」
 ひらひらと左手を振って出て行ってしまった。孝元は部屋を見回す。
 床に散った丸薬の液体、まだ各地の映像を映し出している液晶画面が目に入る。そして床の鱗粉なんかも“後片付け”の対象になるのだろうか。
(なるんだろうな、やっぱり)
 期待せずに越村を見れば、早々に自室へと戻ろうとしている。期待せずに「越村」と呼べば、相変わらず不機嫌そうな目でこちらを見る。その動きまで想像通り。
「お前やっとけよ。俺は出来るだけ早く休んで出来るだけ早く出たい」
「俺もなんだけど」
「だったらさっさとやれよ」
 脱力感に襲われた。越村が鈍の奴を苦手としていることは知っている。会いたくない、だから早く出たいのだろう。興味が墓穴を掘った。
「あの女……!」
 斑は最初から掃除する気なんてなかったのだ。たった二分ちょい前に掃除を約束したのはどこの誰だ。毒づいてもどうにもならないことくらい分かっているが、勝手に口から出てくるのを止める気にもならなかった。
 結局掃除を始めてしまうこの孝元の性格がいけないのだと思ってはいるが、簡単に性格を変えられるのなら誰だって苦労はしないだろう。



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