5.


 窓口で買った次の駅までの切符を改札口で駅員に切ってもらい、ホームに出た。まず、一番後ろのバイク専用車両まで行ってバイクを乗せ、行き先を告げて整理券を貰う。それから車両に戻り、全席指定席の為、切符の番号とコンパートメント番号を照らし合わせながら自分たちの席を探した。
「一二号車Bは……と」
 と、それまでふらりといなくなっていたゼファが戻って来て、口ばしで騎左の羽織を引っ張った。
「あっちだそうだ」

 座席の上の網棚にトランクを二つ押し込んでいると、発車の合図であるブザーが鳴り響いた。ドアの閉まる音が聞こえる。
 電車は滑るように走り出した。
「電車乗るの、久し振りだなー……」
 窓の外のどんどん離れていくホームをぼんやりと眺め、塔亜がボソリと呟く。
「これからしばらくはずっと電車か」
「そうだな」
 適当な言葉を返した騎左は、既にシートへ沈み込もうとしていた。
 騎左はいつもそうだ。移動の時はたいてい寝ている。塔亜の運転するバイクの後ろに乗っている時でさえもたまに寝ている。ここまでくると一種の芸だ、と塔亜は前から思っていた。
 【国境の駅】ももう見えなくなり、外には砂漠が広がっている。
(退屈……)
 ひたすら砂漠があるのみだ、と。そう分かっていても、他にすることもないので窓の外を見続ける。ちょうどカーブに差し掛かったのか、電車の先頭が見えた。黒くて重量感のあるボディが並んでいる。その中で目立つ、目に痛いほどの真っ赤な車両。それを見るなり、塔亜の表情が明るくなった。
「騎左! 賭博車があるぜ、この電車!」
 だから? と訊き返しかけて、止めた。塔亜の目が「行こーぜ」と言っている。
 騎左自身としては行きたくない。別に賭けが嫌いだとか苦手だとかそういう訳ではなく、ただ賭博車に染み付いている煙草の匂いが苦手なのだ。
 意識して、いつもより更に抑揚のない声を出してみた。
「行かない」
「……あ、そう」
 もとより期待していなかったのか、あっさり引いた。
「じゃあ俺一人で行ってくるから」
 立ち上がってコートを羽織り、ポケットを探って財布を取り出す。
「……いくら持ってるんだ? お前」
「えーと、そこそこ」財布の中を見せながら、「増やしてくるから。安心しろって」
「スッて文無しで帰って来たら、斬るぞ」
 この男は、斬ると言ったら本当に斬る。それをよく知っている塔亜は、ほどほどにして戻って来ようと誓った。負ける気はしないが、万一ということもある。まだこんなところで、しかも騎左ごときに殺されたくはない。



   ◆



 円盤の上を、小さな銀色の玉が転がっている。
「黒八七、黒八七、黒八七……」
 それを見守り、ひたすら『黒八七』と呟く塔亜。
 玉のスピードが徐々に落ちていく。そして円盤の内側の、たくさんある窪みの内の一つに入った。
 マスターは信じられないといった表情でその玉を拾い上げた。「く、黒八七……」
「よっしゃ!」
 塔亜はガッツポーズをして、テーブルに積んである黄色いチップをマスターの方へ押し遣った。
「色番号ピタリ、百倍ね」
「は、はぁ……」
 テーブルの下の棚から青色のチップを、差し出されたのと同じ分だけ出す。それを渡しながら、
「兄ちゃん、勘がいいねぇ」
「へへ、すげぇだろ」
「全くだよ」
 度胸もね、とマスターは声に出さずに付け加えた。普通、あれほどの大金をポンと出して確率千分の一には、まず賭けない。それなりに長くこの仕事を続けているつもりだが、その間に同じようなことをする馬鹿を二度も見れば多い方なのではないだろうか――そう、もう二十年も前、大金を高倍率に賭けて当てていった奴が居た。まだ若く、青年と呼ぶには少し早いくらいの少年だった。

 塔亜は円盤のテーブルを離れ、車両の隅でホッと息をついた。所持金の九割近く、しかも放浪生活のおかげで通常の金銭感覚を失っている塔亜にとってはよく分からないが、おそらく世間一般に言う“高額”なチップを確率千分の一に賭けたのだ。いくら自分の目に自信があるからといっても、外す可能性だって十分にあった。俺もかなりのギャンブラーだな、と苦笑する。
 車両に入って金をチップに変え、最初に目に付いたのがルーレットだった。運ではなくマスターの腕が勝敗を左右するこのゲーム、運試しをするにはいささかリスクが高過ぎる。勝ちか負けの二択ではない、マスターの勝利一択。それを覆す要因が、塔亜の動体視力と時間認識力だった。ルーレットの回るスピード、こちらが賭ける金額を示すタイミング、金額を示してからマスターの指が球を弾くまでのタイミング。マスターはそれらを支配しているが、そのマスターを支配することで塔亜は勝利を手にすることが出来る。話し掛ける、チップを出す、全てを操る。それがギャンブルなのだ。
 じゃあ次は何にしようか。チップを数枚手の中でチャラチャラと転がしながら周囲を見回していると、奥のテーブルでカードゲームを始める中年男性たちの姿が見えた。カードはあまり得意ではない。が、見物するのは面白いと思う。近付いて、既に数人集まっている見物人の間からテーブルを覗いた。
 カードは互いの腹の探り合いだ。相手の表情等からどんなカードを持っているのかを推測、役作りを阻止して自分の役を完成させる。確か騎左はカードが得意だったっけ、と頭の隅でぼんやり考えた。
「なぁ、知ってるか?」
 煙草を咥え、首からカメラを提げた男が言った。「死人が出たっていう発砲事件」
「新聞の一面飾ってた、アレか?」
「それがどうしたよ」
 同じテーブルの客が、その台詞とは裏腹に気のない声で相槌を打つ。それは無責任に発された言葉で、彼らに話を聞く気なんてものは無いらしい。
 それに構わず、煙草の男は煙を吐き出しながら続ける。
「実はあの新聞の記事、嘘っぱちだって噂だぜ」
 昼日中に大通りで起きた発砲事件、犯人は反政府集団だと言われている。それまでにも何度か同じような事件はあったらしいが、現場の人通りが多いにもかかわらず、死者どころか怪我人すら出ることはなかった。しかし、昨日は違った。指令所の軍人、民間人合わせて六人の死者、十九人の重軽傷者が出たのだ。殺されたものは皆、見事に頭や肺を打ち抜かれてほぼ即死だったという。
 なぜ、突然死者が出たのか。
 男の話によれば、確かに死者も負傷者も居たかもしれないが、もっと少なかったはずなのだとか。指令所は、わざと話を大きくし、この危機的事態を利用して国民を取り込もうとしているらしい。
 煙草の男――個人ジャーナリストの情報だ、どういったルートでその情報に辿り着いたのかは知らない。信用に足るものなのかどうかは分からない。男が、或いは男にその話を伝えた者が作り出した虚構なのかもしれない。
 が、万が一それが本当な話であるならば。
 塔亜には、犯人の集団に心当たりがある。
「今の話……信用出来るのか?」
 突然口を挟んだ子供に不審な目を向けつつも煙草の男は頷く。
「なら!」塔亜は男の肩を掴んだ。
「その新聞、見せてくれ」



   ◆



 まどろみかけていたゼファは慌ただしい足音で目を覚ました。注意して耳を傾けると、その足音の主が誰であるのかということ、その主がこちらへ向かってきていることが分かる。主人をつつくと、彼もやはり気付いていたようだ。
 足音が止まった。そして派手な音と共にコンパートメントの扉が開く。
「騎左! コレ!」
 目の前いっぱいに広がる薄灰色の紙。
 いきなり新聞を突き付けられても困る。「何だ?」
「よく見ろって、この記事!」
「……は?」
 騎左が押し付けられた新聞を受け取って眺める間に、塔亜は網棚の上のトランクに手を掛けていた。しかもそれは騎左のもの。何を思って人様のトランクを引っ張り出そうとしているのかは知らないが、ここで塔亜がトランクを引っ掻き回したら大変なことになる。
「何をしているんだお前は! 俺がやるからお前はやめろ!」
 慌てて塔亜を止め、静かにトランクを座席に下ろす。金具を外して上蓋を開けた。
「……で、何を見たいんだ」
「世界地図」
 何でそんなものを欲しがるのか。訳が分からないが、とにかくトランクの内ポケットから地図を取り出し、塔亜に渡した。
「これでいいんだろ」
「うん」
 地図を開き、今二人が目指している【港の国】の辺りを指で示す。
「俺たちは今、ここに行くつもりで電車に乗ってる」
「そうだが?」
「じゃあ」
 指が【港の国】から地図上の線路を戻って、ある国で止まった。空いている方の手で、先ほど騎左に渡した新聞の一面に踊る見出しを指差す。
「騎左、ここで途中下車だ。ここの国に行く」

「ふぅん……」
 塔亜が隣で新聞の内容を自分なりに説明しようと試みているが、正直分かりにくい。適当に聞き流しつつ新聞を眺めた騎左は顎に手を当てた。これは何か物事を考える時についやってしまう癖だ。
 騎左が好んで購読している新聞は全世界で販売している大手企業のものである。一冊読むだけで世界の動きがだいたい掴めるからだ。それに対して、塔亜が今持ってきたもの――車内の売店で買ってきたものだろう、多分――は北阿地方誌。他地方のことは詳しく書かれていない代わりに現地の事件は結構大きく取り上げられていた。
 その内の一つが、この発砲事件という訳だ。
「……確かに、お前の言う事にも一理ある。“奴等”なら……」
「だろ!」
「だが確証が無い。それだけで決め付けるのはよくないだろう」
「じゃあ放っとくのかよ! 本物だったらどうするんだよ!」
 尚も食い下がる塔亜に、騎左は首を横に振った。
「行かないとは言っていない。ただ、犯人を想像だけで決めるなと言っているんだ。でなければ、いもしない奴に惑わされるかもしれないだろう」
 言いながら地図をトランクへ戻し、もう一つのトランクも網棚から下ろす。そして座席の隅に畳んで置いておいた羽織を肩に掛けた。
「途中下車の手続きに行くぞ、塔亜」
「ああ!」
 何だよ、お前も結局気になってるんじゃないか。そう言ってやろうと思って、やめた。分かりきっていることなんて、敢えて言う必要はない。それをストレートに言うか言わないかが違うだけで、考えているのは同じことなのだ。
「じゃあゼファ。荷物の見張り、頼む」
 ゼファは頷き、騎左のトランクの上で丸くなった。そしてコンパートメントを出て行く二人の背中を見送る。
 窓の外にはまだ、砂漠が広がっている。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ