21.


 魔術師たちの輪を抜け、塔亜は風谷の後を追って市場の裏通りを駆け抜けていた。向かう先は風谷の当初の予定通り、繁華街である。
 先ほどの爆発の瞬間はゼファに掴まって空にいたからよく見えた。爆心地は城門前広場の噴水だ。「そっちは放っておいてもいいのかよ?」と問うてみたが、風谷の返事はそっけないものだった。
「いいさ。あれはあれで、誰か別の軍人が捜査に来るだろ。俺は勝手に勝手なこと始めたんだから、最後まで勝手にやらせてもらう」
「いいのかよそんなんで」
「どうせ小言もらうんだから好きにしたっていいだろ」
「オッサン、軍人として最悪だな」
 市場の裏通りは徐々に道幅を広げ、表通りへと遷移する。表通りは城門前広場に続く大通りへと繋がっている。表通りに、大通りに近付くにつれ、市場の魔術師たちの声は聞こえなくなっていったが、代わりに別のざわめきが大きくなってくるのが感じられた。風谷はあんなことを言っていたが、実は城門前広場は、こちらが想像する以上に混乱しているのではないだろうか。そんな考えが脳裏をよぎった。
 目的の繁華街は大通りを挟んで向かい側、辿り着くには城門前広場付近を通過する必要がある。徐々に喧騒に近付く。
 風谷が、他愛もない明日の天気の話でもするかのように、「あー」と声を上げた。
「まだ“組織”の連中がこの近くにいるかもしれないからな、気をつけるに越したことはないぞ」
 言われなくても分かっている。起こったばかりの爆発事件の現場近くだ、いると考える方が自然である。
 そう、分かっていたはずだった。
 が、改めて言葉にされて、気付いてしまった。この下腹を握り潰されるような感覚は何だ。自分は覚悟を決めたのではなかったか。戦うことを決めたのではなかったか。緊張? 違う、そんなものじゃない。もっと異なる、何か。
 何か、の正体を塔亜は自覚していた。しかしそれは受け入れがたいもので、振り払うように強い口調で返した。
「そんなの分かってるって!」
 そう吐き出した塔亜に目をやり首を傾げた風谷だったが、「ああ、そう」と返しただけだった。塔亜にはそれがありがたく感じられた。
 それよりも、だ。別のことに意識を向ける。広場に近付くにつれて聞こえるようになった叫び声に違和感を覚える。
 爆発によるパニック、それは分かる。広場入口には大勢の人がいた。あの人数が一斉に避難することを考えた時、現場は騒然となるに違いない。我先に逃げようとする人同士で押し合い圧し合い、身動きが取れなくなる人も多いだろう。だから時折聞こえる「逃げろ!」という叫び声も理解出来る。
 しかし「来るな!」はいったい何に対しての叫びなのか。避難者同士のトラブルか、それとも……。
 その思考は、鼻をついた臭いで停止した。表通りに、臭い、そして人がなだれ込んでくる。身なりを見るに、商人だけでない。中には、二の腕にテレビ局の腕章をつけた撮影クルーも交ざっている。誰もが恐怖におびえ、顔面は蒼白。身体のどこかしらを押さえている者も少なくない。押さえる指の隙間からは血がにじんでいた。
「何だ!?」
 波に呑まれぬよう道の脇に飛び退いて壁に張り付いた。先を行く風谷の表情は覗けないが、顔は人の川の源流を向いている。塔亜は再び風谷を追った。
 人の波をかき分けて大通りに出た瞬間、抱いた疑問は解決した。
 逃げる人々。倒れた人々。転がるマイクやテレビカメラ。赤黒い染みのついた地面。熱気に乗った血の臭い。
 そして広場入口の前に立つ男。
 うつむき加減、それに加えて黒く長い前髪は、男の顔を隠していた。腕甲を備えた男の手の甲からは、黒い刃がすっと伸びている。刃からは血が滴り、新しい染みを作り続けている。
 この混乱は、爆発の影響だけではない。あの男が作り出している。
 無差別通り魔。
 そんな言葉が塔亜の頭に浮かぶ。ホルスターに手を伸ばす。改造銃の安全装置を外す。風谷の前に出る。構える。銃口を男に向ける。
 背後では風谷がまだ歩ける人たちに早くこの場から逃げるよう促し始めた。魔術師たちの一件で上着の背中が大きく破れてはいるが、軍服は軍服である。その効果は大きく、持っていたナイフやその辺から拾ってきたのであろう棒きれで立ち向かおうとした男たちも、素直にこの場を離れ始めた。風谷の指示で、彼らは武器を捨てた代わりに、足を怪我した者や腰を抜かした者の避難を手伝っていた。
 彼らがここから距離をとるまで、この男を足止めしなければ。ぎりっ、と塔亜は奥歯を噛んだ。
 男が顔を上げる。風が男の髪を煽る。中性的な顔立ちは一見穏やかだった。だが、髪の色と同じ青みがかった深い黒の瞳は冷たく、何の感情も読み取ることが出来ない。表情を全く変えないまま、彼は刃を軽く振るった。振り落とされた血の滴が、彼の周りで一列に並んだ。
「動くな!」
 塔亜は叫んだ。銃口を上げ、男の額に照準を合わせる。それでも男は表情を変えずに口を開いた。
「こうして会うのは初めてだね、塔亜君。君に会えて嬉しいよ」
「……え?」
 目が見開かれる。
 なぜ?
 ――どうして俺の名前を知っているんだ!
 明らかに動揺を見せる塔亜。その反応を見、男は「そうだよね、驚くよね」と言った。
「僕たちの“組織”は君たちを監視してきた。だから君たちのことはよく知っているよ」
 そう言って男が差し出した左手の甲には、三本の絡み合った曲線が刻まれていた。
 見間違いようもない。それは確かに、反政府組織“スペード”の印だった。
「お前っ……“組織”のっ!」
 塔亜の声を聞いた風谷が「やめろ塔亜!」と張り上げた時には既に銃声が響いていた。発砲とほぼ同時に地面を蹴った男は銃弾をよけ、塔亜との距離を詰めた。左の拳が塔亜のみぞおちを捉え、間をあけずに手も殴り飛ばす。地面の砂が塔亜の頬を削り、叩き落とされた銃が暴発した。銃口から弾が吐き出され通り脇の建物の壁にめり込んだのをこの目で確かめたが、発砲音を耳にしなかったのは、それを上回る音量の爆発音が鼓膜を支配したからであった。
「今度はどこだ!」
 民間人を誘導しながら風谷が舌打ちする。視線を上げる。爆発の方角は。
 もうもうと煙を上げるその方角は。
 王の城の隣、そこにあるのは【砂遺跡の国】指令所。
「まさか指令所を!」
「当然じゃない、これは僕たち“組織”と君たち世界軍の戦争だもの」
 黒刀を指先でなぞりながら男が淡々と答える。その切っ先を塔亜に向ける。振りかぶる。
「やらせるか!」
 ホルスターから引き抜かれた軍指定銃が銃声を上げるまで、数秒もかからなかった。一発はよけられ、一発は黒刀にはじかれた。それでも男を後に引かせることには成功し、その間に塔亜は改造銃に飛びついた。
「嫌だなあ、僕に攻撃の意思はないよ?」
「どうだか」
「本当だってば」
「誰が信じるか、そんなこと」
 二人で男に銃口を向ける。男はやれやれとでも言いたげに肩をすくめ、刃の先を地面に向けた。
 その時、視界が暗転した。
「何!?」
 男の声は僅かにだが上ずっていた。焦りとは無縁そうな、穏やかなのに無感情な彼からは想像出来なかった声だった。暗闇の中、風谷はその彼の両腕を背中にねじり上げて押さえつけ、塔亜は頭に銃口を押し付けた。
 男の目に光が戻った時、目の前には銃を構える塔亜が、そしてその向こうには、肩に銀白色の妖鳥を乗せた騎左の姿があった。
 さっきの爆発は何だ、それは誰だ、今どういう状況か。騎左が確認すべきことはいくつもあったが、確認しなくてもその男が一連の事件の犯人――敵であることをこの状況から判断するのは難しいことではなかった。術を解き、大刀を抜いた。
「お前、“スペード”の人間だな?」
「そうだよ」
 男の声は落ち着いたものに戻っていた。声が上ずったのはあの一瞬だけ、という事実に風谷は違和感を覚える。なぜ彼は平静を取り戻したのか。妖術が解けたから、それだけではないはずだ。
 そう考える間にも男は言葉を続ける。
「嬉しいよ、騎左君まで僕の前に来てくれるなんて」
「なっ……なぜ!」
 塔亜と同じく、名を呼ばれた騎左の顔色が変わった。
「なぜ“組織”の人間が俺の名を知っているんだ!」
「それは私が教えてあげる」
 背後からの第三者の声と発砲音に振り向き、騎左は大刀を構えた。飛んできた銃弾を刀で弾き返す。背後に人はおらず、ただ影が落ちているのみ。目を上げると、鳩羽色の妖鳥が羽ばたいていた。その背には、男とよく似た顔をもつ、髪の長い女がいるのが見える。左右の手には拳銃を構えており、右手の銃をこちらに向け、左手は甲を見せてきた。刻まれていたのはやはり、三本の絡み合った曲線だった。やはりまだ仲間がいたのか、風谷は口の中で台詞を吐き捨てた。
 妖鳥から降りると、彼女は左手だけで指示を出し、それを受けた鳥は飛び去っていった。
 右の銃は塔亜たちに、左の銃は騎左に向けられた。
「あれももう、五年も前の話だね」
 そう呟いたのは男の方。呟きながら、風谷に抑えつけられた右手首を強引に動かす。黒刀の根元が服を破り、背中に突き刺さる。逆に刃先は風谷の肉を切り裂いた。
「っ!」
 筋肉が弛緩したその一瞬を、男が見逃すはずがなかった。風谷の腕を振りほどき、塔亜の銃の銃身を掴み空に向ける。銃弾は男に向けてではなく、空に向かって飛び出した。塔亜を突き飛ばし、男はその場から飛び退いた。
 男が距離を置いたのを確認してから、女は話し始めた。
「昔あなたたちが暮らしていた孤児院を襲ったの、私と静なの」
「そう、僕と蓮が孤児院に放火した」静と呼ばれた男がそれに続ける。「君たちには、孤児院なんかにいてほしくなかったから」
「なん……だって?」
 それは、二人にとってはあまりに衝撃的な発言であった。
 身寄りがなかった自分たちを受け入れてくれた孤児院、孤児たち、そして先生。せっかく手に入れたはずの居場所を、火事により再び失った。その犯人が今、目の前にいる。憎くて憎くてたまらない敵が。
 放火した当人にここで出会うとは。
「お前たちが……!」
 風谷の制止もむなしく、振り下ろされた騎左の刀は蓮の銃のグリップで受けられ押し返された。塔亜の銃弾は静にかすり傷を作っただけだった。
「僕の仲間になってよ」
 こちらの攻撃をかわし、逆に武器をつきつけ、それでも静の声はあくまで穏やかだった。
「君たちを“組織”は歓迎する」
「誰がお前たちの仲間なんかに!」
「断る!」
 噛みつくように塔亜が返す。騎左の声が重なる。
 極僅かな時間生じた沈黙を破ったのは、静の溜め息だった。
 蓮と静の表情は、断られた割にはあっさりしたもので、しかし目には、これまでにはなかった獣のようなぎっとりとした光が宿っていた。
「その答えも想像はしていたよ」
「それなら……そうだね、君たちにはやっぱり死んでもらおうか」
 構えられた黒刀が、二丁の拳銃が、太陽光を重く反射させた。



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