20.


 一瞬、しん、と静まり返った。
「おい、騎左、お前今何を……」
 塔亜のセリフがいやに響く。当の騎左も何が起こったのか分かっていない。はたらかない頭で、しかし何かしなければと思い、倒れた魔術師の肩に手をかけようとして砂ナイフを突きつけられた。
「触るな!」
 反射的に手を引っ込める。ナイフに追われるまま二歩、三歩下がる。かかとをひっかけ倒れそうになった騎左の肩を塔亜が受け止めた。
 定まらなかった魔術師の焦点が、他の魔術師から抱き起されるとカチリと合った。はっとして周囲を見回す。ぐしゃりと頭を掻く。
「俺は……何をしていたんだ?」
「……え?」
「俺は、確か……そうだ、市場で仕入れをしていたんだ。買った魚はどこだ? どこにいった? 早く店に届けないと、料理長が待ってる……」
 ふらふらと立ち上がり、店が立ち並ぶメイン通りに向かって駆け出した男を、誰もがきょとんと見送っていた。ただ一人、風谷を除いて。
「……妖術か」
 絞り出された声に二人が振り向く。
「何だって?」
「操られてるんだよ、この人たちは、何者かに」
「!」
 塔亜と騎左は目を見合わせた。
 何者か、だなんて言い方を風谷はしてくれたが、この状況から犯人を判断することは容易に出来る。現在国内にいる妖術を使える者は、こちらが知り得る限り、王家直属軍妖術部隊隊員、世界軍妖術部隊隊員、騎左、そして“組織”メンバーの妖術師。まさか王家や世界軍が国民に妖術をかけて操るなんてことをするはずもなく、もちろん騎左だってそんなことはしていない。
 となれば、犯人はもちろん“組織”だ。
 ぐっ、と刀を構え直す。騎左の手の平に力が入る。先ほど砂ナイフを突きつけてくれた魔術師に刃先を向けた。相手もこちらを警戒し、砂ナイフの刃を更に数センチメートル伸ばした。
 刀を振り上げる。斬りかかる――と見せかけて、その刃は下ろされることがなく、茶色のブーツが魔術師の手首を捉えた。蹴り飛ばす。その手を離れた砂ナイフは騎左の目の前を横切った塔亜の手に渡り、さらりと流れて大気に消えた。
 空いた魔術師の右手首を騎左が掴む。
 全身総毛立った。
「――っ!」
 手を離し、飛び退って距離を置いた。
 魔術師から強い妖力を感じた。騎左自身が妖術師だからこそ感じる電気信号は支配的で、威圧的で。悪意すら感じるその妖しの力に、ただ不快感だけを覚えた。
「よ、妖術がかけられているのは、確かなようだ……」
 鳥肌の立った二の腕をさすりながら騎左が呟く。
「どうしたらその術を解いてやれるんだ?」
「知らん」
「『知らん』って……」
「初めて見る術なんだ、どうしたらいいかなんて」
「そうだよな、悪い」
 とは言ったものの、何とかしなければ延々と彼らに狙われることになる。無視して逃げる訳にもいかず、自身に隙を作る訳にもいかず、とにかく武器を構えた。
 考えろ。考えろ。考えるほど緊張する。嫌な汗が噴き出る。汗腺から吐き出された妖力が刀を伝う。
 さっきの魔術師の術は、なぜ解くことが出来たのだろう。飛んできた砂ナイフを刀で弾き返しながら考える。ナイフを構えて突っ込んでくる魔術師たちが、塔亜に、風谷に殴り飛ばされているのが目の端で確認出来る……そうだ、突っ込んできた奴のナイフを刀で受けた時に、なぜか術が解けたのだ。
 今度はこちらから距離を詰めた。
 妖力に満ちた刀が、魔術師に触れた。
 火花が散り。
「……あっ!」
 魔術師は倒れた。
「騎左!」
 塔亜の嬉しそうな声が聞こえる。ニヤリ、と笑い返しておく。
 ――やれる。
「なぜかは分からん、が、出来るものは出来る。今からまとめて術を解くぞ!」
「何かいまひとつ格好つかねーな!」
「うるさい黙っとけ、どいてろ!」
「おうよ」
 風谷を見ると、「後は任せたぞ」と、さっさとこの魔術師の輪を抜けようとしていた。それに気付いた塔亜が後を追っていく。そんな彼らに魔術師たちは目もくれない。
 ゼファの鉤爪に引っ掛けられていた羽織が、ばさりと騎左に掛けられた。袖を通す。大気が動く。羽織が、砂を含んだ風に、大きく煽られた。
 塔亜たちが魔術師たちに触れても術は解けない。しかし騎左が触れると術が解ける。いずれも同じ物理的接触だが結果は異なる。その違いは、こちらが妖術師か否か、から発生するものだろう。ならばキーポイントは、妖力だ。
 刀を高く掲げ、叫んだ。
「やれ!」
 ゼファの内に溜め込まれていた妖力が解放された。妖力の、量の暴力による目くらまし。しかし今はそれだけでなく、力にあてられた魔術師たちが膝をついていく。それでもなお砂ナイフをかざす魔術師に、騎左は刀を向けた。今や妖刀となった刀の背を首筋に当てる。電気信号が、刀から、魔術師の身体から溢れ、行き来する。傀儡から解放された魔術師は地に伏せ、握られていたナイフは形を失った。
 あっという間の出来事だった。魔術師たちから感じ取れていた妖力は消えた。騎左は刀を鞘に納め、その肩にゼファが舞い降りた。
「怪我をしているのに、悪かったな」
 羽毛の流れに沿って撫でると、ゼファは首を横に振った。そしてまた翼を広げる。
「塔亜のところに案内してくれるのか。お前には世話になりっぱなしだ」
 操られていた魔術師たちもすぐに目を覚ますだろう。この場はこのままで、塔亜と風谷を追わなければ。
 獣の聴覚が聞き慣れた塔亜のやかましい足音を拾う。市場の建物の間をすり抜ける。が、急にびくりと体を震わせたゼファは、騎左の羽織の中へと潜り込んできた。
 爆音が再び、街に響いた。




   ◆



 鼓膜を揺さぶる爆音、指令所から立ち上る煙に、李樹は安堵すら覚えていた。あの爆音は、蓮が無事役目を終えたことを意味するからである。軍の指揮官を今ここで複数人潰す意味は大きい。
 と同時に。
「さすが騎左君、と言うべきか」
 李樹の細い目がすっと開かれた。忌々しげに、しかしどこか楽しげにも見えるその目は、李樹のいるホテル屋上からも見える市場の方に向けられていた。
 通常、妖術はその瞬間だけ相手の感覚を支配し、狂わせる。相手にねじ込まれた力は仕事を終えると消えてなくなる。妖力が変換されて発生した電気信号を長く相手に留めておくのは難しい。言い換えれば、何時間も長きに渡って感覚を支配し続けることは出来ないのだ。
 しかし李樹にはそれが出来た。李樹のもつ強い力は消えることなく、相手の身体の中で循環する。だから何日も、何カ月も支配することが可能となる。
 だが、通常消えていくはずの妖力が消えない。術が自然に解けることがない。李樹にはこの消えない力をどうすることも出来ず、術を解くには別の妖術師の力が必要であった。李樹のものとは異なる質の妖力をねじ込むことで初めて、李樹の妖力を打ち消すことが出来るのだ。
 そんな理論など知らない騎左が、力にものをいわせて術を全て解いたのだから、同じ妖術師としては感心するし評価もする。が、悲しいかな、騎左は敵なのだ。
「彼が静様の下につけば、私と共に戦えば、状況は大きく変わるのでしょうね……」
 溜め息をひとつ。そして空を仰ぐ。青い空に鳩羽色が浮かんでいるのが見えた。
「帰ってきましたか」
 李樹の隣に降り立ったバンリの背は空っぽだった。一緒に戻ってくるはずの蓮の姿がない。そしてバンリ自身は怪我をした様子もないのに、腹部の羽毛が血で濡れている。まさかこの血は……。
「蓮様は!? どうしたんですか、バンリ!」
 バンリが視線を落とした先は城門前広場、静が黒刀を振るっている場所。
 言いようのない不安が李樹を包んだが、その原因ははっきりせず、ここから動くことも出来ず。李樹には次の仕事のタイミングをただ待つことしか出来なかった。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ