19.


 王城の正門正面に位置する城門前広場中央には、大きな噴水があった。この水の少ない国で噴水を作るなどどうかしていると思い、ああこれが国王の権力を表しているのだと気付いた静は。
「まずはあれを壊してやろうよ」
 今しがた合流した越村に、そう命じたのであった。
 吹き飛ばされた噴水は原形を留めなかった。地面がえぐれ、噴水を囲む池も決壊し、誰もいない広場中が水浸しになった。舞い上がった水滴は大気中の粉塵をも抱き込み、広場銃に降り注いだ。しかし噴出口が形を失ってもなお、水をくみ上げるポンプははたらき続けている。今も水溜まりの中央では、地下から運ばれてきた水がぴょろぴょろと噴き出していた。
 広場と隣り合う繁華街、そこに建つホテルの屋上から、双子と越村は混乱する国を見下ろしていた。爆発に驚き逃げる人々、国外へ出る手筈を整えようとする人々、そんな彼らを誘導する軍人。そして李樹の妖術により操られる魔術師たち。街が、国が、秩序を失いつつある。世界軍の介入も深くなってきた。もう一押しだ。
 蓮が越村に声を掛けた。
「じゃあ、あともう二カ所、爆破を頼むね」
「分かった」
「よろしく」
 静が指示を出したポイントに向かって、越村が白いローブをはためかせた。ローブの中に隠れていた淡黄色の魔鳥、セルが宙を舞う。その目がくるりと光る。魔力で大気をばねとし、建物の屋根から屋根へ跳んでいく。その背中もすぐ見えなくなり、静は蓮を振り返った。
「僕も行くね」
「うん、無理しないでね」
「蓮こそ」
 手首から肘までを覆う腕甲のロックを外す。大きく右腕を振るう。腕甲の隙間から、漆黒の刃がすっと伸びた。
 床を蹴る。屋上から落ちる。更に建物の壁を蹴り、隣の背の低い建物に飛び移った双子の弟の姿を、身を乗り出して見送っていたが、人の気配を背後に感じて意識をそちらに向けた。
「待ってたよ、李樹」
「申し訳ありません、お待たせして」
「いいよ、謝らないで」
 鳩羽色の妖鳥、バンリを従え、李樹が頭を下げた。バンリが蓮に歩み寄る。首周りの柔らかな羽毛を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「悪いけど、それじゃあバンリを借りるね」
「ええ」
「李樹は引き続き、術をかけた国民の監視を頼むよ」
「もちろんです」
 膝下までずり落ちていたニーソックスを膝上まで上げる。両腰のホルスター、ウエストポーチの重みを確認する。大丈夫、準備は出来ている。蓮は馬ほどもあるバンリの背にしがみついた。そのバンリの頭を李樹が撫でた。
「バンリ、蓮様の言うことをよく聞きなさい」そして蓮の目を見て、「お気をつけて」
「李樹もね」
「ええ、ありがとうございます」
 バンリが鳩羽色の両翼を広げた。高く、空高く飛び上がる。一度振り返ってみたが、あっという間に李樹の表情は分からなくなった。
 ホテルから城を挟んで向かいにあるコンクリート造りの建物――北阿地方【砂遺跡の国】指令所、それが蓮の目的地である。そして蓮の仕事は指令所への奇襲、指令所の機能を低下させることだ。敵対する組織にひとりで突っ込むなど、“スペード”で鍛えられた蓮でも厳しいものがある。それを補う為に李樹からバンリを借り受けた。妖鳥がいることで機動性が格段に向上する。軍人たちを撹乱するのに、非常に都合がいい。
 右腰のホルスターから拳銃を抜いた。コンクリート壁に近付く。そして、目に映る範囲にある窓ガラスを片っ端から撃ち抜いた。
 外にいても中のざわめきが伝わってきた。中には戦闘員だけでなく事務員もいる。戦闘の前線に慣れていない彼らは、この事態に肝を冷やしているのではないだろうか。そんなことを考えると、自然の口の端が持ち上がる。
 戦闘員を含む実動隊の多くは捜査の為に出払っているはず、ならばここにいるのはほとんどが非戦闘員と軍の上層部に違いない。効率よくトップを狩り機能の低下を招くなら今だ。空弾倉を捨てて弾を充填し、バンリの背から離れた。開け放たれていた二階の窓から建物内に侵入する。
 そこはどこかの部署の事務室のようだった。壁一面に大きなホワイトボード、その前に大きな机、腹に脂肪を蓄え青二つ星の徽章をつけた男が青ざめて座っている。机の上には散らばった書類、そして穴が開いていた。既に流れ弾の洗礼を受けていたようで、それに追い打ちをかけるように、左腰のホルスターからも拳銃を抜き、照準を男の額に定めた。
 他に部屋にいたのは徽章なしが三人。全ての視線が蓮に突き刺さる。右手の銃を彼等に向けつつ、じりじりと青二つ星、中佐ににじり寄った。
 一瞬、窓からの太陽光が遮られ、室内が暗くなった。徽章なしのひとりが「あっ」と声を上げる。
「妖鳥……!」
 ほんの一時蓮から目を反らしただけ、その隙を蓮は見逃さなかった。彼の肩を撃ち、その場に崩させる。動揺したもう二人の腕、脚を撃ちつつ、中佐の背後に回る。
「ひっ!」
「中佐なのに動きが鈍いね。まさか、もう現場に出ることがないからって、気を抜いてたのかな?」
 ごりっ、と銃口を中佐のこめかみに押し付けた。平和ぼけ、正にそんな言葉が似合う中佐だ。中佐という身分を与えられている以上、経験は積んでいるのだろう。人の上に立つ者としては優秀だろう、かつては前線で戦い結果を修めていたかもしれない。しかし過去の栄光は、今こうして役に立っていない。もう自らが戦うことはない、そう割り切って前線を退いた結果、軍人だというのに、戦い方すら忘れている。
 世界大戦後、世界は平和だった。
 その平和を、“スペード”が壊す。
 何の躊躇いもなく引き金を引いた。一瞬で、蓮の目の前で、人がただの肉の塊と化した。どさりと人の重さが床に落ちる。だらだらと血が流れ出す。顔にはねた返り血、肉片を左手の甲で拭う。“スペード”の印、三本の絡み合った曲線が赤く上塗りされた。
 部屋の扉を蹴破り、蓮は廊下に出た。「待て!」という声が追い掛けてきたが待つ訳もなく廊下を駆け抜ける。
 最初の角を曲がろうとしたところで重装備の機動隊に遭遇し、足を止めた。シールドが五人、マシンガンが六、七人。シールドをこちらに突き出し、その向こうからにらみつけてくる。マシンガンの銃口をこちらに向けてくる。
「準備が早いねぇ」
 呟いて奥歯を噛む。来た道を後退りする。シールド隊がじわじわと近付いてくる。
 銃声、そして少し遅れて左足に痛みを感じた。目だけで背後を確認すると、先ほど足を撃ち抜いておいた男性軍人が腹這いになっている。両手に構えた拳銃からは硝煙が立ちのぼっていた。
 前も後ろも軍人に挟まれた。
「もう逃げられないぞ!」
 シールド隊の一人が怒鳴った。また一歩、シールドに詰め寄られる。二丁の銃をホルスターに収め、両手を挙げた。
「気をつけてください! その女、妖術師かもしれません!」
 腹這いの軍人が叫ぶ。「何っ?」というどよめき、そして空気が固くなる。せっかく降参のポーズを見せたというのに、警戒が解かれない。
(……武器捨ててない時点で降参も何もないか)
 蓮が、ニヤリ、と笑った。
「バンリ!」
 叫び声に答えたバンリが妖力を放出した。
「うわあっ!」
 軍人たちは各々一斉に目を塞いだ。なぜなら、真っ白で強烈な光が彼らの目を襲ったからである――正しくは、襲ったように感じたから、であるが。
 妖術師がいなければ複雑な術を発動させることは出来ない。しかし目くらましくらいなら妖鳥の力のみでも可能である。強い妖力を相手の神経にねじ込む、相手の神経系を麻痺させる、感覚を狂わせる。結果、彼らは一瞬目が見えなくなったのだ。
 軍人たちの隙を作り出し、窓から外に出、蓮はバンリの背に飛び移った。外から機動隊の後ろに回り込む。ウエストポーチから手榴弾を取り出してピンを引き抜いた。
「背中ががら空きだよ」
 投げ入れる。バンリが力いっぱい羽ばたく。空高く舞い上がる。
 北阿地方【砂遺跡の国】指令所の機動隊が、一部隊消滅した。
 バンリの鳩羽色の羽毛が、蓮の血で赤く染まり始めていた。



   ◆



 いつも広場内で商売をしている商人たちが立ち入り禁止の広場の前で立ち往生していたのは数分前までのこと。噴水が爆破された今、誰もが商品を捨て、我先に逃げようとしている。混乱を最小限に食い止めようと、軍人が商人の誘導を始めている。逆に各国報道陣は、広場入口を塞いでいた軍人が皆いなくなったのをいいことに、スクープを報道しようと躍起になっていた。広場に足を踏み入れ、カメラを回す者も少なくない。滑稽だ、実に滑稽である。
 その人の渦の中に、静は降り立った。
「何事だ!」
「人が降ってきたぞ!」
「ビルの上から?」
「まさか! あれ五階建てだぞ?」
 テレビカメラのレンズが静に向けられる。生放送らしく、リポーターがマイクを片手にまくしたてる。
(面白い)
 左手の甲をレンズに映るよう掲げる。次に右手を高く掲げると、その黒い刃に、テレビ屋たちはさすがに動揺を見せた。
「平和は……我々が崩壊させる」
 最初に刺されたカメラマンの所属するテレビ局は、ある意味幸運だったと言えるだろう。人が殺害される瞬間を、各家庭に流さずに済んだのだから。その代わりにカメラマンのうめき声とぶれた映像だけが報じられ、そして今、お茶の間の画面はブラックアウトしているに違いない。
「おいカメラ切れ!」
「さすがにこんなもの流せないぞ!」
 テレビクルーたちが怒鳴り散っていく中、静は右腕を振るい続ける。斬りつけ、斬り捨てていく。
 民間人を斬りながら、しかし静が見ていたのは濃紺の制服だった。これは戦争だ、“スペード”と世界軍の戦争なのだ。心の中で呟きながら、静は黒刀を突き立てていった。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ