15.


 左上に名前や血液型等の基本情報、その右に顔写真、書類の下半分には簡単な経歴が記されていた。そしてぱらぱらめくっていく内に、あることに気付く。
「オッサン、この三桁の数字、何?」
 書類左上端に三桁の数字が二段に分かれて並んでいる。書類の通し番号かと思いきやその数字は全てばらばらで、同じ数字が何度も登場したり急に数百飛んだりする。データ管理の為の機械的な情報だろうか。
「いいとこに目を付けたなぁ」
 風谷は茶を一口啜り、湯呑みを静かに置いた。
「国王議会に参加している国がコード番号で管理されているのは知っているな?」
「うん」
「それがその三桁の数字。国が二つ並べて記されてるって訳だよ」
 上段に001と書かれた書類を二枚引き抜く。書類の中で国が関係ある事項……出身国の欄を見る。どちらの書類にも出身は【世界の中央】と記載されており、つまり001とは【世界の中央】を表しているということになる。では、この出身国と並べて表記されている下の段の国とは。
「死亡が確認された国だ」
「!」
 書類をめくり、全てに目を通す。どの書類の角にも三桁の数字は二段記入されている。
 今手渡されたデータは、既にこの世にいない者たちのものだった。
 つい先日死んだばかりの人間を、とうに死んだ者のデータベースの中から探す。それもおかしな話だが、相手がまともでない以上、こちらの相応の手を打つ必要があった。
 “スペード”内部に明るくなった、関係者になった暁には、もう表の世界では生きることが出来ない。まず表社会から『死ぬ』必要がある。要するに、世界軍に悟られることなく、世界軍が管理する戸籍を改竄する必要があるのだ。
 軍が戸籍管理を紙媒体からデータ管理に移行するのと“組織”が結成されたのは奇しくも同時期だった。もしかしたら移行に合わせて結成されたのかもしれない。とにかく移行当初のネットワークは管理がずさん、穴だらけであり、クラッキング事件が多発した。かなりの件数を摘発したはずであったが今も跡は残っており、改竄の可能性のあるデータを、風谷は暇を見つけては抽出してきたのである。
「私も仕事がなくて暇な時代があってねぇ、こんなことくらいしかすることがなくて」
 なんて言っているが、実際はやるべきデスクワークを部下に押しつけ、業務外のことばかりしていたに違いない。
 不法に新たに作られた戸籍や詐欺事件を捜査した際に発覚した改竄データ、更には稀にある手続きミスのデータをはじいていき、それでも残ったこれらのデータ。死亡記録が残された後にも生存が確認されているものばかりだ。この中には知らない内に“組織”に関わり、本人の知らないところで改変されたものもあるだろう。そしてスペード≠ニ関わりがなくなった瞬間、本当に死ぬ。
 “スペード”から足を洗う時が、肉体が死を迎える時――それが“スペード”のルールなのだ。
 もう半分のデータが届き、しばらくただ紙をめくる音だけが室内に響く。時にゼファの羽音、時に風谷のあくびが聞こえ、後者にイラッとする。そして、塔亜が後から届いた方のデータに手をつけた頃。
「見つけました!」
 風谷の部下の一人が紙束から一枚引き抜いた。
 名前、出身、生年、没年をずらずら読み上げる。没年は今から十八年前、対クラッキング用にネットワークの警備を強化し始めた頃だ。当時のネットワークの穴をついて書き換えられたものだろう。そうかぁやっぱりなぁ、と風谷は頭を抱えた。
「一昨日の発砲事件、“組織”は完全に黒になったな」
 状況証拠、言い換えれば消去法で組織≠セろうと決めつけてきたが、関係者が出れば十分証拠となり得る。実際この発砲事件は、組織を抜けた、或いは関係のなくなった者を始末する為のものだったのだろう。しかし本当の目的は、こちらに気を引いて引いて、軍の捜査の視線を反らすこと。国王の殺害を遂行する為の前奏曲だったということか。
 何人もの“組織”メンバーが絡んでいる発砲事件、国王従者の惨殺、国王の殺害、そして国王の遺体脇に残された三本の絡み合った曲線。
「……全く、冗談じゃない」
 まるで目立ちたいがために事件を起こしているようで、手段と目的が逆になっているように思える。
 まさか目立ちたいというのか。
 “組織”が目立ちたいとは、一体。
「仕方ないな」
 風谷はめくっていた書類の端を揃え、立ち上がった。
「じゃ、後はよろしく。私は仕事をしてくるよ」
 ちょっとトイレに、くらいの軽さで部屋を出ていく風谷。「またそうやって事務処理人任せにして! ご自身でやってくださいよ!」と叫びながら珠築が後を追ったが捕まえられなかったようで、すぐに肩を落として帰ってきた。
「あの人また単騎突入やらかす気ですよ、人の話も聞かずに! 尻拭いを私に押しつけて!」
「……はい?」
「“組織”絡みの事件の時はいつもそうです! ある程度まで捜査が進むと、軍全体の計画も何も無視して勝手にやらかしちゃうんですよ!」
「あー……オッサンらしいや」
 他の風谷の部下たちが、風谷の徽章に発信機をつけようかという話を真剣にしているあたり、そう珍しいことでもなさそうだ。
 それよりも。
(今風谷を追えば)
(“組織”のメンバーを見つけられる)
 風谷も“組織”が今どこにいるかなんて知らないだろうから、まず探し出すところから始めているはずだ。しかし塔亜たちと風谷とで決定的に違うのは、“組織”と相対した回数。彼の頭の中には“スペード”がたむろしそうな場所、行動パターンが統計的に保存されているに違いない。現場百辺、しらみつぶしに探すつもりだろう。
「なぁ、オッサンがどこに向かったのか見当つかないか?」
「全然……そこの廊下の窓を飛び下りて出て行ったから……」
 ちなみにここは三階である。
「歳くってるくせに無茶してるなぁ」
 そんなことを呟きながら、先ほどまで眺めていた紙束をまとめ、湯呑みを盆の上に乗せる。机の上で丸くなっていたゼファが騎左の方に飛び乗る。
「ここを空けるのはまずいだろう、俺と塔亜が風谷を探してくる」
「いいえ駄目です君たち一般人が」
「一般人の前に身内なんだよねぇ」
「だからって!」
「おい行くぞ塔亜」
「ああ」
「だから駄目ですって!」
 あっという間に飛び出していった二人を、今度は追う気にもなれなかった。彼らは珠築の手には追えないことが分かっていた。オヤがオヤならコもコか、なるほどオヤコ……いや、少佐は子育てなんかしていないはずだ。意味のないことを考えながら、珠築はどっと疲れを感じていた。

 そこまでしっかりとニュースを拾っていた訳ではなかったから、風谷に捕まって知ったことも多かった。王城の前で王の従者も殺されていた。そして王の遺体のそばには、三本の絡み合った曲線――“スペード”を表すマークが残されていた。
 風谷にならって窓から飛び下り、指令所の敷地を出る。
「ふざけやがって!」
 吐き捨て、痩せた濃紺の制服を探した。何をするにもまず風谷を見つけなければ。完全に乗っかる形だが、邪魔さえしなければ問題ないだろう。
 ――それにしても。
「どこ行ったんだあの野郎!」
 飛び出たタイミングは数分も差がない。いくら風谷でも、そのわずかな時間に、そんなに遠くへ行けるとも思えない。
 だとしたら。
「ゼファ!」
 銀白色の鳥が大きく翼を広げた。その背に騎左が、足に塔亜がしがみつく。
 城下の入り組んだ路地を走り回るよりは、空からの方が効率はいいだろう。出動している軍人も多数いるが、風谷くらい一瞬で見分けられる自信はある。
「おい騎左、姿消しの術はいいのか?」
「精神を落ち着かせないとあんな高等な術の発動は難しい! だからといって止まってしまえば風谷を完全に見失う!」
「目立ちまくりだぞこれじゃ!」
「だから急いで探すんだ!」
 ゼファから身を乗り出し塔亜の顔を見て叫ぶ。それに答えて何か言っていたようだが口の動きが確認出来ただけで、塔亜の声は騎左に届かなかった。
 騎左の聴覚を、爆音が支配したからだった。



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