14.


 “見えない壁”が作られた理由はもちろん中に部外者を入れない為だろう。ただの人間は魔術に対抗するすべをもたない。ゆえにそれは、非常に有効な壁となるだろう……他の国であれば。だがここは魔術で出来た国であり、魔術師たちの国。術師でない者なんていないのではないだろうかと思えるほどに術師の数が多いのだ。つまり『部外者』とは、軍人でない者、この国の国民を指している訳ではなく……それこそ本当の部外者、国の外から来た者を意味しているのでは。
 その部外者はまた、“組織”の者でもない。彼らの仲間にも魔術師はいる。そして、こうもたくさんの軍人がいる中で怪しまれるような行動をするはずがない。スマートに事件を起こした後はしばらく、外から指令所の動きを窺っているだろう。
 だとしたら、他に考えられるのは、自分たち……塔亜と騎左を捕獲する為の壁ということ。二人が好き勝手に国中を動き回ることを知っており、それを阻みたい人物――。
「金髪に砂色のコート、黒髪に羽織と白銀の鳥、見つけました!」
 遠くからそんな声が聞こえた。前者は塔亜、後者は騎左、それからゼファのことだとは容易に理解出来る。が、少し失礼ではないだろうか。
 ……そもそも、『見つけました』?
 術で姿を消しているはずなのに、声の主はこちらの姿が見えている。つまり相手も術の使い手……小さく舌打ち、そして騎左は術を解いた。
「ん、じゃあ捕まえて」
 どこか抜けた声が聞こえるか聞こえないかの内にその場から逃げ去ることを考えたが、もう既に遅かった。空色と海色の鳥が視界の端を横切り、かと思うと突然影が差す。何事かと見上げれば、風に運ばれていた大気中の砂粒が集められ固められ、無駄に高い壁が彼らを囲む三方向に完成しつつあった。と同時に、地表の砂は塔亜たちの足首を掴んで包み込み、その場から動けないよう縛りつける。無意味にもそれに抵抗した塔亜はしりもちをついた。
「痛ー……」
 足が固定されている為にバランスが取れず立ち上がれない。諦めて地面にべたんとくっついたまま砂壁を見上げる。その向こうには更に“見えない壁”があり広場を囲む壁があり、内側では今も濃紺たちがせわしなく動いているだろう。ここからそこまでたいした距離もないのに、隔てる壁は厚く高い。
 現れた二人の濃紺が塔亜と騎左を拘束しようとする。なぜこうなったのかさっぱり分からないまま捕まるのは腹が立つ。しつこく抵抗すると、さっきの抜けた声がまた降ってきた。
「お前らちっとはおとなしくしろよ」
 風が吹く度にじわじわと砂壁は崩れ、元の場所へと戻っていく。
 一つ溜息をつき、騎左は肩に停まっていたゼファを両腕に抱きかかえた。
「いったい何の用だ、風谷」
「用ならいっぱいあるぞ?」
「……そうじゃなくて」
「だって、こうでもしなきゃ捕まってくれないでしょ、お前さんらは」
 やれやれ、と肩を竦める。
 二人の反応が、「なぜアンタが」ではなく「何の用だ」である点は合格だ。しっかり頭は動いているらしい、それは風谷も評価する。
「事情が変わった、お前さん等を好きにさせておけなくなった訳だ」
「国王のことか」
「それも関係あるけど。取り敢えずちょっといらっしゃい」
 空を舞っていた二羽の鳥が、風谷の後ろで控えている濃紺の肩に停まった。一羽は魔鳥、一羽は妖鳥、魔鳥のその瞳がくるりと光ると急に足が軽くなり、見ると、砂の足枷が徐々に形を失っている。不可視の力で作られた“見えない壁”は術を解かれ爆発的なエネルギーを生み、一陣の風が通り過ぎた。風は足枷を霧散させ、どこへともなく消えてゆく。
「あー、そうか……」
 両腕をかざし、顔中の穴という穴から侵入を試みる砂粒を防ぎながら、塔亜はやっと壁の正体を知った。“見えない壁”とは、ただ必要以上に圧し固められた空気の分子たちだったのだ。
 塔亜は今度こそ立ち上がると、まずブーツを脱いで中の砂を捨てた。足枷のおかげで結構な量が入り込んでくれたからである。しかし髪や服の中の砂はどうしたって落とせない。宿に戻ったらまず風呂だ、そう決めた。
 案内された部屋の扉を開けると、机に向かっていた数人が風谷の姿を見て立ち上がり敬礼した。口々に「お疲れ様です」と言い、机へ戻っていく。
 二人が今日通されたのは、昨日と違って取調室ではなく、風谷率いる部隊にあてがわれている部屋だった。無機質な机はまっすぐに並べられているしほとんどはそこそこ片付けられているのに、机の数が部屋の広さに見合わないせいか窮屈な印象を受ける。
「珠築は?」
「少し前まで電話を掛けていたようですが……その後出て行って、まだ戻ってきていません」
 風谷とやり取りをしたその軍人は視線をそのまま塔亜と騎左に向ける。何となく気まずさを感じながら軽く会釈し、風谷に続いて部屋に足を踏み入れた。
 言われなくても風谷の机がどれなのか分かった。一つだけ離れた窓際に置かれているというのもあるが、何より重たそうなのだ。机の上のブックエンドに挟まれたファイルは書類の入れ過ぎで太っているし、立てきれなかったファイルはその脇で平積みにされている。もちろん机の中もいっぱいらしく、書類が引き出しからはみ出ている。そして机周りはなぜか付箋だらけ。
「オッサンの机ごちゃごちゃし過ぎ」悲惨な状況を見下ろした塔亜は、「俺より酷いんじゃ」
「いーの、俺はお前と違って賢いから、こうなっててもどこに何があるかくらい覚えてんの」
「前も言ってたよなそんなこと。嘘くせー」
「探し物するのにいちいちトランクひっくり返してるような奴に言われたくないなぁ」
「だってそれは……」
「どっちも似たようなものだ、大差ない」
 騎左の割り込みで声がやむ。一瞬間があいて、二人で顔を見合わせて。
「いや、そんなことはない」
「ンな訳ねーだろ」
「あっ風谷少佐、戻られたんですね!」
 声が三つ重なった。
 紙束を抱えた軍人がこちらへと近付いてくる。言葉は風谷にあてられたものだが、目はやはり塔亜と騎左に向いている。先程と同様頭を下げると、その軍人は二人を交互に指差した。
「この子たち、昨日一階のロビーで騒いでた子ですよね?」
「お、よく知ってるじゃない」
「自分もあの時あの場にいましたから」
 それを聞いた他の軍人たちも、ああなるほど、という顔をする。直接あの場にいなかったとしても、誰かから話くらいは聞いているのだろう。“騒いでいた”と捉えられているのはどうかとは思うが……というか、それが知られているのなら、二人が風谷の被保護者ということまで耳に入っているのだろう。それは、何か、嫌だ。
「それで、少佐、これが本部から送られてきた書類です」
 軍人は積まれたファイルの端を揃えて床に下ろすと、出来たスペースに抱えていた書類を置く。その隣の書類(表紙に『国王暗殺事件』と書かれている)よりも分厚いソレに、風谷はうんざりとした顔を向けた。
「ちょっと、ねえ、こんなにあるの?」
「何を言うんですか、ご自身で集めたデータなんでしょう」
「まぁ、そうなんだけど」
「自分にごちゃごちゃ言われても困ります、せっかく言われた通りに本部へ連絡したのに!」
「あーはいはい、悪かったね、ありがとう」
 なかなか棒読みな風谷の言葉を聞いているのかいないのか、軍人はあいている席から椅子を持ってきて塔亜と騎左に勧めた。一度奥に引っ込んだかと思うと今度は盆に急須と湯飲みを三つ乗せて運んでくる。それを風谷に押し付けると軍人は頭を下げた。
「では、今印刷中の残り半分も持ってきます」
 部屋を後にした軍人を見送って、騎左は呟いた。
「……あれも軍人、だよな?」
「そ、珠築っていうの。雑用頼んだらピカイチ」
「オッサン、それ、褒めてねぇよ」
「いい奴だってことさ」
 自分の椅子に座って二人にも座るよう言う。自分の分だけ茶を注ぎ、啜りながら刷りたてほやほやの書類をばらばらと見る。部屋に残っていた他の軍人を呼び、彼等と、そして塔亜と騎左にもその書類を数十枚ずつ渡した。続いて珠築が床へと移動してくれたファイルを一冊抜き出し、その中から一枚の写真を抜き出す。
「少佐、その写真……」
「うん、一昨日起きた発砲事件の被害者の中で唯一身元が取れていない男。この男に関する書類をこの束の中から見つけ出してほしい。全部顔写真入りだからすぐに分かるはずだ」
「……分かりました」
 あーあーこの二倍もあるのか書類が、文句を垂れながらページを繰る風谷。取り敢えず真似してファイルから出された写真と書類を見比べてみるが、何かおかしい。軍のデータベースにある情報だとしたら、この地方指令所にある端末からでもアクセス出来る。が、これはわざわざ本部から送ってもらったものだという。つまり、本部で管理されてはいるが軍所有のデータではない……風谷の個人的なものなのだろう。それも、厳重に保管しなければならないような、大切な。
「なぁオッサン、これ、何の書類?」
 自分のもののついでに騎左が注いでくれた茶を受け取りながら塔亜が尋ねると、養父は何でもない顔でサラリと言ってくれた。
「“組織”メンバーである可能性が高い者と、それから彼らと関わりがあったであろう人物を集めたデータ」



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