12.


 どん、と置かれた分厚いレポート。捜査が始まってからせいぜい数時間しか経っていないのに、いったいどこの物好きがこれだけ書いたのだろう……正直に言うと、目を通すのも億劫だ。事の大きさは分かっている。しかしそれとこれとは別の話だ――そう主張したら怒られた、部下に。
「不謹慎です! どうしてこうもヤル気がないんですか風谷少佐!」
「なぜでしょうねぇ。当ててごらん」
「知りませんよぅそんなこと! そんなだから三八歳にもなって結婚出来ないんですよ」
「そう言う珠築は、どうしたの? 彼女」
「……フラれました、先月」
「ほら、他人のこと言えないじゃない」
「はい……じゃなくて!」
 気の毒に、珠築は困っているように見える。否、眉が八の字から戻らないことからして、心の底から困っているのだろう。あんな情けない顔のままでは、いくら軍服を着ていても、とても軍人には見えない。もっとも、風谷とてこの細い身体つきだし、私服姿では軍人だと思ってもらえないだろうが。
 ちょっとやり過ぎたか、いい加減仕事もしてやらないと。ソレ見せて、と指で示すと、写真が伏せて差し出された。悲しいかな、この御身分では遺体を目にすることも少なくないだろうに、珠築はそれを見ようとしない。もちろん風谷よりもずっと経験は浅いし、気持ちは分からなくもないが……いろいろ言おうとした言葉も、声になることはなかった。
 確かに、これは、酷い。
 城門前広場に立つ初代【砂遺跡の国】王の像が差し出した両腕の間で、身体中を切りつけられた女が一人、宙に浮いていた。写真では分かりにくいが、レポートによれば、遺体に絡んでいるのは細いワイヤー。光の反射具合によってはワイヤーがほとんど見えない状態になり、それがより猟奇的な演出をしてくれているのだろう。
 女は王の身の回りを世話する従者の内の一人だったそうだ。もう一枚渡された生前の写真と先の遺体を見比べ……何というか、随分劇的なビフォア・アフターである。貴族という限られた者にしか就けない、言うなれば名誉な職を手にしていたその彼女の身は傷口から溢れ出る血で濡れそぼり、両手の先はワイヤーで強く絞められどす黒く変色、そして壊死している。衣服に染み切れなかった血は胴をつたい足をつたい、像の足元に血溜まりを作っていた。
 よく見ると、像の足に何か書かれている。レポートをパラパラ捲り、一文を見つけた。

 “王死して、死立てり。”

「……珠築、まだ他にもあるでしょ? 写真」
「あっあります」
 机の上に並んだ二枚の写真。一枚は、先程の女とはまた別の遺体。そしてもう一枚は――。
「三本の曲線、表すは“スペード”、ね……」
 まさか国王が殺されるだなんて、いったい誰が予想しただろう!
 亡骸は、今朝王への朝の挨拶に出向いた王妃が発見した。レポートには、大振りの両刃で心臓を一突き、更には力任せに押し広げた跡がある、と書かれている。城の周りを警備していた王家直属軍の者たちも、何者かの手によって意識を失わされていた。もちろん、目撃者はいない。
 答えは簡単、“組織”の犯行。王の遺体のすぐそばに残っていた三本の曲線が何よりの証拠だ。
「我々軍は、こんなことを防ぐ為にあるんです。なのに」
「起きちゃったものはしょーがないでしょ」
「少佐!」
「分かってるよ。私だって、何も考えてない訳じゃないし手を抜いてるつもりもない」
 ソレ嘘ですね、と珠築の目が言っている。やれやれ。
 溜息混じりに呟いた。
「世界規模の大きな組織なんだよ、我々が属しているのは。敵の姿が見えていないのに真っ向から“組織”と戦って、それで勝つことは難しい。だからって、じゃあ裏から手を回して、っていうのが出来ないことくらい分かるでしょ。それが公の組織であるデメリットさ。我々の動きは制限されている」
 各国民から徴収した税金があってこそ動ける組織だ、風谷たちのような“表部隊”が後ろめたい世界に足を突っ込んでいいはずがない。表部隊の軍人は、国民に「こういうことをしています」と公表することが義務付けられているからだ。
 大戦中、世界の存続すら脅かすような大量殺戮兵器開発や生体実験が繰り返し行われた。世界は、各国の一部の国民、主に国のトップに立つような人間たちの為に、滅ぶ一歩手前まで進んでしまっていた。その為、戦後軍組織を改編する際に、多くの国民たちは軍の動向や資金の当て方等を開示するよう主張した。結果これが国王議会で通り、『世界の法律』として制定されたのである。
 その抜け道として“裏部隊”――つまり一般にいう汚れ役を引き受ける連中にはそれが適応されないらしいが、一応軍人である風谷たちでも彼らのことはよく知らない。せいぜい何かやっていて、何か頑張っているらしいのが分かる程度である。表と裏の橋渡しをする諜報部隊の皆さんなら知っていることもあるだろうが。
 しかし、今回はその裏部隊も動いていなかったようだった。それだけ今回のことは急で、対応し切れなかったのだろう。
「本当、面倒なことになってしまったねぇ」
 机の中から潰れた箱とライターを出し、何となく曲がった煙草を引き抜いて火をつけた。部下を安心させる為にも、己なりにレポートを整理しなければ。
 王は刺殺されたのだが、首にも何か絞めつけられた跡があったらしい。物は残っていなかったそうだが、肉への喰い込み方から弾き出した強度や細さを考えると、例の従者の女を吊っていたワイヤーと同一物だと断定してもいいだろう。不自然なのは跡の残り方で、首の後ろ半分にしか確認されなかった。遺体近くに引っ掻いたような傷のついた短刀が落ちていたらしい。短刀は国王が護身用に肌身離さず持っていたものだと言うから、とっさにそれで気道を守ったことが推測される。
 いずれにせよ、普通、首を絞めるのなら後ろから襲うだろう。一人で首を絞め正面から心臓を一突き、なんて芸はいくら“スペード”でも難しいだろう。一度王を気絶させてそれから刺したというのなら一人でも可能だが、気絶させるだけだったら首を絞めるよりも殴り飛ばす方が手っ取り早い。つまり、犯行に及んだのは最低でも二人。少数精鋭を誇る“スペード”がたかだかこれだけのことにそう多くの人数を割くとも思えないから、多くても三、四人――。
「……おっそろしいな」
「何がです?」
 問われて、机の上に積まれたファイルから一冊の紙束を出す。発砲事件の資料だ。
「……ん?」
「さて問題です、犯人は何人だったと予想されているでしょう?」
「三人、ですよね確か」
「正解」
 銃弾の入射角から考えて、狙撃ポイントはそれぞれの現場で三カ所ずつに絞られた。少なくとも三人、狙撃手がいたということだ。
 風谷の個人的推測を掻い摘んで話し、過去一週間の出入国履歴を見ながら「詳しく調べないことには何とも言えないけど、特に怪しい者の出入りはない。つまり“奴等”の内五、六人が、一週間近く前からこの国に滞在していると考えられる」
「そんなに……!」
「分かんないけど、そうかもって話」
 多めに想定しておくに越したことはない。それに、あくまでも勘だが、既に発砲事件の主謀者は何らかの手段でこの国を出て行っているだろう。そもそもこちらは向こうの顔を知らない。見た目で相手を判断出来ないのだから、堂々と門から出て行かれた可能性もある。……まあ、そんなことを考えるのは風谷の仕事ではない。それなら今頃、専門家が調べているはずだ。
 それよりも、発砲事件の意図が分からない。考えたところで“奴等”の頭の中身が分かる訳もないが、今のところ一番の問題だと風谷は思う。国王暗殺は国を揺らがす事件、この国を滅ぼす気なら、理由も分からなくはない……が。
「ねぇ。一昨日の被害者、身元確認取れたの?」
「まだらしいですよ」
「もう丸二日だよ?」
「ええ、でも……」
 軍のデータベースに謎の被害者のデータがない、と。そういうことか?
 ……。
「……珠築」
「はい?」
「今すぐ本部の諜報部隊に連絡しろ」
「本部の? 何でまた……」
「本部で管理してもらってるデータがあってね、それを送ってもらいたい」
「……はぁ」
 個人的なものなら個人の責任で管理しておけばいいものを、なぜわざわざ他人に頼む必要があるのか珠築は気になったが、それよりも別のことで頭がいっぱいだった。本部の、しかも諜報部隊に連絡を取れ、と?
「なぜ自分が……少佐が電話一本掛ければ済むのでは」
「あー、今から現場出てくる」
「はい?」
「だからよろしくねー」
「ちょっ……少佐!」
 上司その人を恨むべきなのか、それとも彼の下に配属させた少佐より更に上司を恨むべきか。それとも自分の運の悪さとお人好しの性格が全て悪いのか。いろいろ悩まされながらも、風谷の机にペタペタと貼られた付箋の中から本部への連絡先を見つけ、珠築は電話の受話器を手に取った。



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