11.


 太陽が照りつける砂漠を短時間でも走ったのがいけなかったのだろうか。太陽といっても、既に傾いた赤い光の下だったのだが、他に原因も見当たらない。いずれにせよ随分疲れていたようで、朝起きてみればもう午前十時を回っていた。基本的に遅寝遅起きの塔亜はともかく、旅をしている割には規則正しい生活態度を崩さない騎左までそうだったのだから、春だろうが夕方だろうが砂漠は危険なのだと思う。この周辺の砂漠地帯を通るのが真夏の昼間でなくてよかった、とも思う。
 朝食をとる気にもなれず、昼にまとめて食べようと決めてからは、宿のあてがわれた部屋で今後どう動くか等について話し合うことになった。何となく、流れで。
 塔亜がベッドに転がったまま起き上がろうとしないので、仕方なく騎左は塔亜の寝ているベッド脇の床に昨日風谷から奪った……もとい貰った【砂遺跡の国】地図を広げ、ベッドを背にして座った。
「今まで発砲事件が起きたのは全五カ所」
 昨日風谷に聞いた通り、青いマーカーで四つ印をつけた。それから赤いマーカーに持ち替えようとしたが、塔亜が手で「寄越せ」と示すので渡してやると、騎左の肩越しに精一杯手を伸ばしてペン先を置く。
「死者が出たトコ」
「……そうだが」マーカーを受け取りながら、「起きたらどうなんだ」
「昼飯の時までには」
「あのな……」
 まだ顔も洗っていない髪もとかしていない、寝巻きのまま着替えてもいない。毎朝相変わらずで、もう溜息も出ない。何か言っても無駄なのは十分承知しているし、諦めてまた地図に向き直った。
「どれも起きたのは人通りの多い昼間、時間はまちまち。場所もこれといって共通点はない」
「あるとすれば、まぁ城に近いっつーか」
「しかし特別近くもない」
「じゃあ“奴等”の目的は?」
「それが分かっているのなら、とっくに軍も動いているだろう」
「何かもー堂堂巡りじゃんかコレじゃあ!」
 枕を殴ってじたばたするのは幼い餓鬼だけかと思っていたが、それは騎左の勘違いだったのか。さすがに一七歳の男を餓鬼とは呼びづらい。勝手に一人で暴れている分には構わないし(うるさいのは問題だが、それはいつものことだ)こちらも無視するだけ。
 ただ、隣室に人がいたら迷惑が掛かっていることだろう……空室であることを祈る。
 塔亜がいつも以上にうるさいのは朝食をとらなかったせいで空腹だからに違いない、という理由で少し早めに昼食をとろうということになった。期待なんてしていないが、実際自分たちで現場を見たら何か別のことが見えるかもしれないと思い、城の方向へ。その道すがら、目についた飯屋での食事、メニューはサンドウィッチ。
 自分のとは別に、パックに入ったカットフルーツを購入し、席に着いてゼファに与える。それから自分の食事に手をつけようとして。
 異常に気付いた。
 スライストマトがパンの上に乗っている。トマトからは水が滴り、パンに染み込んでいる。
「塔亜、何なんだこれは……」
「トマトじゃん、どう見ても」
「いや、そうじゃなくて」
「だからいつも言ってんじゃん、食べてよ」
 昔から塔亜がトマト嫌いだということは知っている。孤児院で出された食事でも、決してトマトにだけは手をつけていなかった。大抵残すか、隣に座った友人の皿にさり気なく移していた。「あのぐちゃぐちゃした中身と人間様をナメたような毒々しい色が気に入らない!」と、頑として食べない塔亜を注意した先生に彼がそう言っているのを聞いたのは、一度や二度ではない。
「お前な……嫌いなのは別に構わないが、それを俺に押し付けるな」
「だって残すのはちょっと悪い気がしない?」
「ならまず買うな!」
 塔亜が買ったサンドウィッチの名前はベーコントマトサンド、あからさまな名前である。
 もう一言二言付け加えようと口を開きかけたが、視線を感じてその方を見た。
(……上?)
 高い天井。回廊がある訳ではないから、もちろん見上げても人はいない。窓枠に数羽鳥がとまっているが、それだけだ。
「何だ、今のは……」
「……分かんない。けど、敵意とかそういう感じじゃなかったな」
「まぁ確かに」
 メインのトマトがなくなったサンドウィッチにかぶりつく塔亜を見て、騎左も自分のを見下ろす。見るからに可哀想なパン。
 もう怒る気は失せ、空腹な筈なのに食欲も湧かなかった。
 黙々と食事を続けながら(結局騎左はもう一つ新たに買い直した)周囲の会話を何となく聞く。皆この地方の言語で話している為、大陸向こう側の【東端の島国】母国語と共通語しか知らない塔亜と騎左は何についての会話なのかさっぱり分からない。しかし、あちこちで同じ音の並びが繰り返されているのを聞けば、どのテーブルでも同じ話題が上っていることくらい想像出来る。そういえば、外をうろうろ歩いていた時も何やら騒がしく、慌ただしかったような気もするが……。
「何か有るのかな。お祭とか?」
「どう見てもそんな雰囲気じゃないだろう」
「じゃあ新聞は?」
「それらしい記事は見ていない」
 騎左は、今日の朝刊にはざっと目を通してある。
「テレビ」
「見ても音声が分からんからな」
 こんな発展途上国では、共通語で読まれる番組はほとんど流れない。その為テレビをつけることさえしなかったのだ。
「なら次の手段」
 最後の一口を放り込み、ペーパータオルで軽く手を拭く。ウエストポーチからずるずるとコードを引っ張り出してその先についているイヤホンを騎左に渡し、塔亜はコードと繋がっている小型機械を弄り始めた。
 どう見ても音楽ディスク再生用機械である。しかも、最近買ったばかりの。
 もう片方のイヤホンを塔亜が耳に突っ込んでいるので、真似して耳に当てる。聞いたことのあるような雑音がイヤホンから飛び出してくる。これは、つまり、アレだ。
「……ラジオ?」
「ピンポーン」
「前に持ってたラジオは?」
「それがコレ」
「意味が分からん」
 少し古いタイプの携帯ラジオ。中身はまだ生きているのに外装が酷く錆び付き汚れていたのでフリーマーケットに出されていた。それを買ったのが塔亜。しかし、イヤホンを使えばスピーカーなんていらないし、となるといらないコードも幾つか出てくる。持ち歩くにはより小さな方が便利で都合もいい。可能な限り切断し小さく削り、小さな入れ物の中へ。
 そうして出来上がったのがこの改造ラジオだ。
 確かに塔亜は音楽なんて聴かないし、そもそも再生させるディスクも持っていないのになぜこんな物を買ったのだろうと不思議に思っていた。まさかこの為だったとは。
「……大丈夫なのか? これ」
「んー聞こえるはずだよ。アンテナ内蔵してるし、上手くすれば海の向こうのニュースも……」
 ちゃんと配線したから大丈夫だろ、なんて言いながら、本来はディスクのトラック数を指定する為のボタンをぽちぽち押して周波数を変えていく。相変わらず器用な奴だ。塔亜の銃やバイクも、このラジオ同様、今までに何度も手を加えられている。騎左は機械が云々なんて知らないが、彼と同じことをしようというのはなかなか難しいであろうことくらい分かる。その点だけは認めてやる。それだけは。
 ぶつっ……――
 雑音と共に、音声が耳に入ってきた。周りから聞こえてくるのと同じ言語だったが、電子音一回(多分塔亜がまた何か操作したのだろう)でそれに共通語が被さり、もう一回電子音で共通語だけの放送となった。
『――ので目撃者は一人もおらず、犯人の手掛かりは現場に残された印のみ。世界軍はこれを元に、今後捜査を展開する方針です』
「お、ちゃんと聞こえるじゃん」
「しっ」
「はいはい」
 どうやら、殺人事件でもあったらしい。関係なさそうだし周波数を変えてみよう、ボタンに手を伸ばしかけたが。
『ではここで、【砂遺跡の国】国王陛下暗殺について、各専門家の方々にお話を伺いたいと思います。まずは国際政治の――』
「!?」
「何だと!?」
 国王が……殺された?
 犯人なんて推理するまでもない。“組織”メンバーに決まっている。奴等は本気で、この国を消し去るつもりなのか。
 完全に、後手に回ってしまった。
 世界軍は、彼らは、これを未然に防がなければならなかったのだ。
「どうする? オッサンのとこ、行ってみるか?」
「いや、風谷も今は忙しいだろう。行ってもおそらく無駄だ。そっちは軍人たちに任せて予定通り現場を回るか……無理にでも捜査に首を突っ込むか。どちらかだな」
 当然、即決だ。
「国王の方、まだ何か残っているかもしれない」
「なら急ごう」
 いずれにせよ、城も指令所も発砲事件現場も、ここからだと全て同じ方角だ。店の脇に停めてあったバイクに飛び乗りエンジンをふかす。通りを走る車の間を縫うようにしてバイクを走らせる。その上空を、白銀色の怪鳥が飛ぶ。
 目指すは国の中心、【砂遺跡の国】王城。



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