1.


 国の外れの小さな宿屋、二一五号室。騎左は窓辺の椅子に腰掛けて刀を磨いていた。決して高価ではない、むしろどこにでも売っている安物の刀。幼い頃に養父から貰った物だ。特別愛着がある訳ではない、ただ手元にあるから使っているだけ。業物があれば、と思ったことくらいあるが、そんなものを買う金は持っていない。第一こんな刀だってまだ使える。いいものなんか使わなくても、切れ味というのは手入れと使う者の実力による。それが騎左の信条だった。
 ふと手を止めて、顔を上げた。
 ――胸騒ぎがする。
 騎左は部屋の中央で丸くなっている大きな鳥に声を掛けた。
「外をちょっと見て来てほしい。それから、買い物を頼まれてくれ。そろそろ出発の準備をしなければならんらしい」
 怪鳥は立ち上がり頷くと、騎左のそばへ歩み寄った。一歩一歩進む毎に、小さくなっていく。騎左の隣に立った時、天井に頭がついてしまうほど高かった鳥の身長は、彼と同じくらいまで縮んでいた。
 彼が差し出した財布を鋭い鉤爪で傷付けないよう注意して受け取ると、怪鳥は白銀色の大きな翼を広げて窓から飛び立った。騎左は怪鳥を見送ると、部屋に散らかっている相棒の私物を見回し深い溜め息をついてから、片っ端から片付け始めた。



   ◆



 ちょうど同じ頃。
 背中に何かを押し付けられた。その感じは拳銃――凹凸や形、大きさから判断してMJ17だろうか。銃口の位置からして、相手は自分より十センチメートルほど背が高い。男だろう。
 瞬時にそこまで分析して、塔亜はゆっくり振り向いた。
 ほぼ予想通り。筋肉質で、顔に見られる傷痕は数多くの修羅場をかいくぐってきたその事実を物語っている。戦闘においては全くの初心者ではないようだ。ただ、男の所有する拳銃はMJ17ではなくMJ15、17より一世代昔の物だった。
 ……どうやら今日は冴えていないようだ。いつもならこの程度を言い当てるのは造作もないことなのに。
 男が、口を開いた。
「見かけねェ顔だなぁ。お前が“最近入国した旅人”か?」
 小さいし、観光地でもない。そんな国に旅の人が来たら噂になるのも当然かもしれない。
「……そうだけど」
 塔亜がそう答えると、男は拳銃を構え直した。それに気付いた通りすがりの国民がバタバタと近くの民家や店に駆け込む。戦闘に巻き込まれるのが嫌だからに違いない。しかし、彼には分かった。皆、こちらを見ている。彼らの戦いを見届ける気なのだ。関わりたくはないが気になるのだろう。
 辺りがしんと静まり返る。何でもないような弱い風の音が、つい先ほどまでよりもずっと大きく聞こえる。足元で、風に乗った砂がざらざらと踊る。
「で?」塔亜は男の目を見据えて言った。「何か用?」
 男の目が、すっと細くなる。
「どうやらこの旅人さんは礼儀を知らねェようだなぁ」
「いきなり拳銃なんか突き付けてくるような奴に、礼儀もクソもあったもんじゃねーよ」
「口が達者だな。コイツが見えねェのか!」
 引き金に掛かった指に、力が入るのが見て取れた。ニヤリとする。
「『弱い犬ほどよく吠える』。アンタじゃ俺には勝てないよ」
「! テメェ!!」
 銃声が響く前に、塔亜の左腕は男の右腕を払っていた。流れ弾が民家の窓を割る。ガラスの割れる音に女の甲高い叫び声が重なった。おそらく驚いただけだろう。銃口、民家の窓ガラス左上に開いた穴から銃弾の軌道を予想する限り、中にいる人間には当たってないはずだから。
 コンマ数秒の間にそれだけ判断し、コートを脱ぎ捨て男の背後へ回った。男の首を左腕で絞め、右太腿にくくりつけてあったナイフを抜く。小振りだが手入れは完璧、切れ味は抜群だ。
 鋭利な鈍色を男の鼻先にちらつかせた。「ね、もうおしまい?」
 次の瞬間、彼の腹部に鈍痛が走った。男の肘がまともにみぞおちに入ったのだ。反射的に身体をくの字に曲げて衝撃を和らげたが痛いものは痛い。もちろんその瞬間力も抜ける。体が後ろ向きに飛び、見事に尻から着地した。
 男は彼を見下ろした。
「さっきの台詞、そっくりそのままお返しするぜ」
「……どうかな」
 咳き込みながら立ち上がる。塔亜の腹部は、血で赤く染まっていた。
 しかし彼本人の血ではない、男は結局、相手に傷を与えるような武器を使えていない。
 男はハッとして自分の右腕を見た。
「……ねェ……」
 肘から下が、スッパリ切り取られていた。その断面からは血が流れている。男の足元には、赤い水溜まりが出来始めていた。
 呆然と辺りを見回す。左手五メートルほど先に、赤い液体が流れ出ている物体を確認した。その手が持っていたMJ15は、更に遠くに飛んでいる。
 男は膝をついて、倒れた。塔亜が男に歩み寄る。そして、男のシャツの裾でナイフに付いた血をぬぐった。
 ナイフを再び右太腿に留め、もう一度男を見下ろす。
 薄れていく意識の中で、男は「俺の邪魔をするな」という声を聞いた。

 国の外れの小さな宿屋に、彼らは泊まっていた。
 ドアを開けると、受付嬢の「おかえりなさいませ」と言う声が聞こえた。軽く会釈をして、返り血をコートで隠しながら奥の階段へ向かう。
 二一五号室が彼らの部屋、そのプレートが掛けてあるドアを開けた。
 ――と。
「何を考えているんだ、塔亜」
 窓枠に腰掛けて腕と足を組んだ彼の目付きは元々悪いが、更に鋭くなっている。塔亜は一瞬たじろいだ。
「『何を』って……何が?」
「これを見て思い出せ」
 訳が分からないまま、塔亜は差し出された紙を受け取る。「指名手配書?」
 それは今朝、軍指令所の事務員が配っていたものだった。昨夜捕らえた連続殺人犯を、連行中に逃がしてしまったらしい。新米の軍人がその担当をしていたとか何とか、という話も聞いたが、そんなのはミスの言い訳にならない。新米に大きな事件を任せた指令所の上層部が悪いのである。かつては怖れられた指令所も落ちたものだ。
 ……しかし気になる。この殺人犯の男の目といい鼻といい口といい……。
「――あ!」
 思い出した。さっき街で右腕を切り落としてやった、あの男!
 どうりで、街の人たちが一斉にいなくなった訳だ。あの時はそこまで気が回らなかったが、考えてみれば当然だ。普通に歩いているだけならすれ違ったものの顔なんかいちいち見ない。が、銃が現れる、それを構えているのは指名手配書に載った顔。治安が悪い、銃だって溢れているとはいえ、そんな男がいるとなれば話は別だ。
「騎左! 俺、さっき……」
「思い出すのが遅い!」
 騎左は、かなりいらいらしている。無理もないだろう。
 彼らは今、文無しに限りなく近しいのだ。
 一国に、長くても一週間しか滞在しない彼らである。定職に就けなど、無理な相談だ。しかし、生活の為に金は要る。
 その為に彼らがしていること、それが賞金稼ぎ。
「わ、悪ィ騎左。すっかり忘れててさー……」
「お前はこのままのたれ死ぬつもりか」
「ンな訳ねーだろ。俺だって――」
 そこまで言って、ふと考える。塔亜は街中であったことを、まだ騎左に告げていない。なのに、なぜ?
「……ゼファ、遣わしたんだろ」
「だから街で起こったことも知っているんじゃないか」
「じゃあ!」
 騎左が頷く。
「あの男は、ゼファが地方指令所にぶち込んだ。報酬も、明日には口座に入る」
「何だよ。じゃあ全然オッケーじゃん。そんなにカリカリすんなよォ」
 そう言って、塔亜はベッドにひっくり返った。さっき騎左が片付けたベッドの上に!
 思わず声を荒げた。
「そのだらしなさ、何とかならないのか!」
 几帳面な騎左には、塔亜のそういうところが気持ち悪くて仕方ないのである。
「ンなこと言ったってさぁ……」
「とにかく着替えろ。そうしたらすぐに、この国を出る」
 例えこの世界で正当防衛による殺傷が合法化されているとしても、街中で人の腕を斬り落としたのだ。相手が殺人犯だろうが何だろうが関係ない。彼らを見る国民の目が、昨日までとは別のものになるであろうことは目に見えている。そんな居心地の悪い国に、いつまでもいる理由はない。
「了解」
 赤い模様のついたシャツを脱ぎ捨てふと呟いた。
「……買い出しは?」
「ゼファに頼んだ! もう済んでいる!」
 腰の左側に二振の刀を提げながら怒鳴る。
 騎左の胃にそろそろ穴が開く。今は握り拳大ほどに縮んでいるゼファは、小さく溜め息をついた。



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