5.


【西端の島国】指令所が、傾き始めた日の光で僅かに赤くなっている。こんな指令所を見るはずではなかったが――ここへ戻るのは日が落ちてからのつもりだったのに。
 求めた先にあるものが本当に欲しているものとは限らない。手に入ったと思っても想像していたものと違う。なかなかうまくはいかないものだ。……いや、今はそれよりも――騎左は頭を振って余計な思考を払い落とし、指令所敷地上空に差し掛かったところで地上を見下ろして。
(ああ、やはりな)
 指令所玄関前にカメラを構えた人間が複数いることを確認した。
 維遠が連絡を寄越したのは、事件の一報が指令所にもたらされてすぐのはず。事実のみを伝え詳細を語らなかったことが根拠だ。おそらくあの時点では維遠自身もまだ事件の具体的な内容を聞かされていなかったのだろう。
 騎左たちはその連絡を受けてすぐにこちらへ向かってきた。事件からそれほど時間は経っていない。その短い間に彼らジャーナリストたちは事件を聞きつけここへやってきているのである。
「本当、鼻が利く奴らだよな」
 騎左の後ろでゼファにしがみつきながら塔亜が感心する。それには騎左も同意しかない。
 しかしああやって玄関の前を塞がれては、騎左たちは下りることも出来ない。騎左の術のおかげで姿を見られることはないが、触れれば相手に感触が伝わってしまう。彼らにぶつかることなく、彼らに気付かれずに気付かれず玄関をくぐることは難しいだろう。だからといって、諦めて姿を現すのはそれこそ愚策だ。こんなタイミングで指令所に来るような人間は皆、事件に関係あろうがなかろうが彼らから好奇の目を向けられることになる。それを掻き分けて中に入るなんて、想像するのも嫌だ。
 それではどうするか――玄関上空を通過して、ゼファをぐるりと旋回させた。
【西端の島国】指令所の正門は【西端の島国】王城に向いており、騎左たちが上陸した港は建物の裏手にあった。港から建物までは石畳の歩道があり、両脇には背の高い木々が立ち並ぶ。ちょっとした森と呼んでもいいほどに面積があるようだが、ちゃんと手入れはされているのだろうか。そんなことを考えていると浮遊感に襲われた。枝葉に翼を引っかけないよう、器用に翼を畳みながらゼファが下降を始める。石畳が見えてくる。騎左も術を解いた。
 歩道の先、指令所裏口の前に着陸する。維遠はそこで待っていた。
「やっと来たか。まったく貴様ら、随分と遠くまで」
「ちょっと外出てこいって言ったのあんただろ」
 塔亜の反論には応えず維遠は「ついてこい」とこちらに背を向ける。 
「ったく、軍人って皆自分勝手だよな」
 唸った塔亜だったが、自分たちの身分を振り返った騎左には肯定も否定も出来なかった。
 維遠に指定されたから裏口まで飛んできたのに、維遠は扉を開けることなく森に入っていった。こちらとしてはついていくだけだが、歩道すらないところを歩かされれば不安にもなる。
「どこへ行くつもりだ」
 訊ねれば維遠は肩越しに振り向く。
「これから貴様らが過ごすことになる施設だ」
 そう言って維遠が示したのは丸太の小屋だった。屋根の上には魚の骨に似た形状の大きなアンテナが立っている。
三人と一羽で中に入ると圧迫感がある。ゼファが身体を縮めてもなお窮屈だ。機材や棚が壁を覆うようにして並んでいるせいか、外からの見た目よりも狭く感じる。その機材というのも、気温や湿度を測る計器はともかく、それ以外のものはよく分からない。
 ここがこれから騎左たちが過ごす場所? さすがに無理があるのではないか。
 こちらの言いたいことを察したのか、維遠は「まだここは入り口だ」と言いながら、小屋奥の機材を操作しモニターに右手をかざした。
 機材横の棚がゆっくりと動き出した。箱やバインダーが隙間なく入れられている重そうな棚が音もなく横にスライドして、人ひとりが通れるほどの通路を作る。棚の先には階段があり、地下へと続いていた。外観よりも狭く感じたのではない。階段を隠している分、本当に狭かったのだ。
 騎左たちが階段を下り始めると棚は初めの位置に戻り、代わりに低い天井から吊された電球が点った。ひんやりとしてかび臭い空気が漂う中、剥き出しの電球に頭をぶつけないよう気をつけながら進む。階段はさほどでもなかったが、その先の地下通路は随分と歩かされた。騎左たちの他に歩く者はおらず、三人の足音と妖鳥の羽ばたきだけが狭い通路で反響する。
「なあ、何なんだ? これ。あの小屋といい、日常的に利用されてるようには見えないんだけど」
 塔亜の問いに、維遠は淡々と答えた。
「世界大戦の頃の遺物だ」
 かつて【西端の島国】は、海を隔てた向こう側、大陸北汪地方【壁の国】と南汪地方【港の国】と同盟を組んでいた。しかし【壁の国】が裏切って【港の国】へ攻撃を仕掛けたことにより三国の同盟は破棄、【西端の島国】【港の国】連合軍は【壁の国】へ宣戦布告する。三国の諍いはやがて他国を巻き込み、膨れあがり、後に世界大戦と呼ばれる戦争となったのである。
 この時【西端の島国】国王は、【壁の国】への侵攻の成功を祈ると同時に、他国からの侵略を恐れた。もちろん相手だって同じことを考える。ならば国の、言い換えれば国を治める王自身のため、守りを強化しなければ。また必要に応じて退路も確保しておかなければ――そうして作られたのがこの地下通路だった。
 当時【西端の島国】王家が直接支配していた土地は今よりもずっと広かった。広い王家の庭のあちこちに避難用の地下通路を作り、有事の際に備えていた。しかし戦争は終結を迎え、王家の力は戦前より弱まり、土地のほとんどを手放すこととなる。その跡地に出来た建物のひとつが世界軍指令所であり、そこに掘られていた地下通路もそのまま利用しているという訳だ。
「ってことは」
 通路の先に待ち構えていた鉄の扉に手をかけて塔亜が呟く。
「この先にあるのは……」
「そう、いわゆるシェルターだ」
 シェルター。災害時、難を逃れ生き延びるため一時的に利用する避難施設である。機能最優先、爆発や有毒ガス等から身を守るため強固なコンクリート壁で四方を囲み、狭く息苦しいもの……というのが騎左のもっていたシェルターというものに対する知識である。しかし実際に騎左が目にしたのは、どこかのホテルのような、窮屈どころか開放感のある空間だった。
 地下であるはずなのに天井は高く、シャンデリアが輝いている。空間の中央にはガラスのローテーブル、その脇には革張りの二人掛けソファ。古びてはいるが上等な臙脂の絨毯が床を覆い、オフホワイトの壁紙と相まって暖かさと高級感を演出していた。
 今は軍の施設だが、前述の通りもともとは王家の所有物である。あくまで緊急時の避難用であるため当時からほとんど使われておらず、施設としては綺麗なまま残されていた。所有権が軍に渡ったあとは、軍関係者が使うにあたって必要なところだけ手を加え、あとはそのまま都合よく利用しているらしい。その結果がこれ、シャンデリアや絨毯なんかがその名残だ。
「軍の施設だと考えると、妙な場所だな」
「まあな。だが世界軍に所属する誰もが利用する訳じゃない。一部の人間しか使わないんだ、予算割いてそれらしく整えるなんてこと、軍上層部はしないだろうな」
「一部の、というと?」
 首を傾げた塔亜に答えたのは維遠ではなく。
「裏部隊ってこと」
 開いた奥の扉から現れた風谷だった。見慣れた軍服でなく、南国植物総柄の派手なシャツを身にまとっている。目がちかちかするその男は片手を挙げて挨拶の代わりとし、革張りのソファに深く腰掛けた。続いて部屋に入ってきた汰施もシンプルな白いシャツと濃茶のパンツに着替えており、丁寧に扉を閉じて風谷の後ろに立った。
「え、ここって裏の為の施設ってことなの?」
「そりゃそうでしょ」
 表所属の軍人たちが軍の規律と法律の中で勤務しているのに対し、裏はそれに縛られることなく動くことが許されている。騎左も塔亜も満十八歳以上という軍の定める条件を満たしていないにも関わらず入隊出来たのも、裏のそういった性質のおかげだ。同じ規則で動いている訳ではない表と裏が日頃から行動を共に出来るはずもない。
「一緒に訓練も出来ないし、だからこうやって変なところに裏部隊用の訓練施設を作ってるって訳」
 そういうものなのだろうか。言わんとすることは分からないでもないが……首を捻る騎左をよそに、風谷は汰施に指で指示を出す。汰施は持っていた大判封筒を開けると、中身を出してガラステーブルに並べた。
「そんなことより、事件の話、してもいい?」



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