4.


 ――なぜ?
 同じ言葉ばかりがぐるぐると頭の中を巡る。なぜ彼女と目が合う? なぜ彼女には騎左が見える?
 自分の術に不備があったか? 否。いつも通り完璧であった。それはこの島に移動してくる前、犬の散歩をしていた女性の反応からも明らかである。
 この場所では妖術が使えないのか? それも否。特定の土地で術が無効になるなんて聞いたことがない。騎左が知らないだけかもしれないから絶対にないとは言い切れないが、少なくとも目の前にいる少年に対しては有効だと思っていいだろう。
「峰葉、誰としゃべってるの?」
 なんて首を傾げているくらいなのだから。
 だからいつも通りでないのは、『峰葉』と呼ばれた彼女の方だ。
 彼女の衣服には目立った汚れもほつれもない。背に届くほどのまっすぐな長い髪には艶があり、丁寧に手入れされていることが窺える。歩く時、子供から声を掛けられ身を屈める時、顔にかかる髪を耳にかける時、彼女の所作の全てが柔らかい。
 こんなごみ捨て場には不釣り合いだと感じられる彼女だが、何より目を引くのは顔の半分近くを覆う眼帯だった。厚手の生地に鈍青色と淡黄色の糸で、幾重にも渦を描くように刺繍が施されている。渦の中心にいくほど色が深くなり、じっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
 ――なぜ?
 その言葉が頭の中で渦巻き澱を成す。彼女はなぜここに? なぜ子供たちと親しげなのだ? なぜ――。
「おい」
「!」
 塔亜に肩を叩かれて騎左ははっとした。
「その……分かるけどさ」
「いや、大丈夫だ」
 軽く頭を振り、視線をさ迷わせる子供たちの横で確かにこちらを見る彼女に意識を戻す。
 理由はともかく、彼女に妖術が無効であることは確定的だった。子供たちには姿を見られていないとはいえ、ひとりに気付かれれば同じこと、このまま術を発動し続ける意味もない。諦めて妖術を解いてみせると、子供たちは目を丸くした。誰もいないと思っていた場所から、霧が晴れるように騎左と塔亜が現れたのだ、驚くのも無理はない。
「えっ、なんで!」
「兄ちゃんたち、どこから出てきたの?」
 想定通りの反応を見せてくる子供たち。しかし案の定、彼女の方は特に顔色を変えなかった。
「だいたいはこういう反応を見せるものだが?」
 彼女から目を離さずに子供たちを顎で示すと、彼女は「ええ」と頷いた。
「この子たちを見ていてそう思いました」
「しかしお前は違う」
「どうでしょうか?」
 首を横に振る彼女の表情は、眼帯のせいもあるだろうが読みにくい。渦に流れそうになる視線を意識して外し、見えている左目に向ける。
「お前はいったい……」
 言いかけた騎左だったが、背後から聞こえた砂利を踏む音に口を噤む。先ほどまでごみ山の上で金属を拾い集めていた男がこちらに近付いてきていたのだ。
「ちょっと、移動しましょうか」
 同様に気付いた峰葉の提案に、騎左は塔亜を振り返った。
 峰葉と子供たちから敵意は感じなかった。向こうの有利な場所に誘導してこちらに害をなす可能性は否定しきれないが、それも限りなく低いと思われる。騎左の判断に、塔亜も頷いて返す。いいだろう。
 背を向けて子供たちを手招く峰葉に騎左たちも続いた。峰葉は子供たちに気を配りながらも、小さな物音や気配に反応している様子だ。常に周囲を警戒していることがその後ろ姿からも分かる。
(この女、何者だ……?)
 年齢はおそらく騎左たちと同じくらい。身なりから生活水準が高いと知れる。一言一言丁寧に発音する話し方はテキスト通り。それがかしこまった公の場ではなく日常会話でも現れているのは、長く教育を受け、きちんと身についている証拠だ。
 つまり彼女は“ここ”の育ちではなく、今もここで生活している訳ではない。
 その割には子供たちとは親しげだし、島に来るのも初めてではなさそうだ。騎左たちをよそ者と見抜き先に立って歩くくらいだから、むしろそれなりの頻度で通っているのだと思う。しかし、何のために? 身を屈め、積み上がる廃車の間の狭い隙間をくぐりながら考える。
 この隙間、騎左にはかなり窮屈だが子供たちは難なく駆けていく。とても真似出来ない。彼らくらい幼かった頃の騎左なら出来ただろうが――沸きかけた考えは即捨てる。そんなことより前方が明るくなってきた。隙間の出口が近いのだ。顔を上げかけて、前を行く峰葉の尻が鼻先にあることに気付き、再び視線を落とす。何もしていないのに罪悪感がすごい。いや、何もしていなくはないけれど……見たけれど……。
 明るいところに出たその時だった。自分のものではない影が足元で動いた。反射的に提げた大刀に手を伸ばす。鞘から抜かないまま振り上げる。
「いてっ!」
 次の瞬間、子供の声に続いて木切れが落ちる軽い音が響いた。
 一緒にここまでやってきた子とは別の少年だった。彼も顔にも髪にも泥がついていて服のあちこちがすり切れている。いったいここにはどれだけの子供がいるのだ。こめかみの辺りにぴりっと痛みが走った。
「何のつもりだ」
 問いかけるも彼は「くそー」と呻いて赤くなり始めた手首をさすっている。鞘の先を向けたが峰葉に割って入られ、刀を下ろした。峰葉はちらと騎左に目を遣り「ごめんなさい!」と短く言うと少年に向き直った。
「黎武、危ないですよ、棒切れなんて振り回して」
「だってあいつら、何なんだよ! 何であんなの連れてきたんだ!」
 出会って即『あんなの』呼ばわりだ。既視感を覚えて振り返る。塔亜は峰葉と黎武のやり取りをぼんやり眺めていたが、騎左の視線に気付いたのかこちらを見た。
「何だよ」
「いや、似ていると思って」
「は? 冗談だろ」
 どうも本人には自覚がないらしい。その方が本人にとっては幸せかもしれない。
 改めて周りを見回してみる。ここはちょっとした広場になっており、潰れた自動車が積み重なった壁に囲まれていた。壁の外と比べて地面に転がる大きめのごみは取り除かれており、幾分か歩きやすくなっている。それはきっと幼い子供たちの為だろう。
 そう、両手の指では数え切れないほどの子供がここにはいた。子供たちの年齢はさまざまで、上は十代半ばくらい、下はやっと立てるようになったくらいの子までいる。先ほどの黎武はおそらく十に満たないくらい、この中では年長者の部類に入るだろう。その彼は今、峰葉に背中を押されて、広場中央にあるタイヤを失った大型のバスに乗り込んでいった。
 二人の元に戻ってきた峰葉は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当にすみません。皆知らない人のことをとても警戒していて……さっきの子は特にその傾向が強いものですから」
「いや、まあ」
 こちらはいなしただけで怪我もしていない。確かに驚きはしたがあんな子供相手では腹も立たない。首を横に振ると峰葉の表情が少しだけ和らいだ。
 しかしそれも一瞬で、峰葉は二人に向き直る。
「まだお名前も伺っていませんでしたね。失礼いたしました。わたし、峰葉と申します」
「騎左だ」
「俺、塔亜」
 つられて名乗り、頭を下げる。が、このままでは彼女のペースに乗せられたままだ。続けて話そうとする峰葉を遮り騎左が口を開いた。
「あの子らにとって、お前はいったい何なんだ?」
 ここはごみ捨て場。この国のあらゆる“不要物”がここへ捨てられる。走れなくなった自動車、もう使えない家電、そして育てられない子供。
 両親と死別してここに流れ着いた子もいないことはないだろう。しかしほとんどは、子の身体的弱点や家庭の経済状況を理由に捨てられたに違いない。この環境下で死んでいく子供がほとんどなのだろうが、幸か不幸か生き延びてしまったのが黎武たち。命がある以上、こんなところでも生きていくしかない。
 そんな背景、子供たちからすれば、峰葉は“異物”に違いない。
 指摘すれば彼女は「そうですね」と目を伏せた。
「ここは見ての通りの場所です。まだ使えるものでも古くなったり不要になったりすれば、ごみとしてここへ運ばれてきます。それは人間も一緒。わたしは、そんな子供たちを、ひとりでも多く助けてあげたくて」
「慈善活動か」
「いえ、むしろ……罪滅ぼし、の方が近いかもしれません」
「罪?」
 更に尋ねようとして、塔亜の手首の端末が鳴った。見れば画面に『維遠』と表示されている。軍人というのはどうしてこうもタイミングが悪いのだろう。いや今は自分たちもその“軍人”だったな――自覚と同時に口がへの字に曲がる。それをごまかしたくて必要もないのに咳払いをし、塔亜を見遣る。
 塔亜の指が画面を滑り、コールに応える。
「何だよ急に」
『貴様ら、無事か!』
 スピーカーが吐き出した維遠の声は、想像以上に緊張感があった。
『街で軍人が襲われた。今後何が起こるか分からない。お前たちも一度戻れ!』



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