3.


 城下町中心地から離れるほど人の行き来がなくなっていく。とはいえ皆無という訳でもなく、眼下を走る自動車がぽつぽつと見られるし、木々の隙間には家屋と見られる建物も点在する。馬蹄形先で生活する人々は、あの地図に載らない島の存在を知っているのだろうか。そう疑問に思うほど、島は陸地からすぐ近くにあった。波も穏やかで、泳ぎが得意な者なら舟など使わずとも渡ってしまえるかもしれない。
 そんな島の端に上陸して最初に気付いたのは悪臭だった。腐敗臭、生き物の汚物、何かが燃える臭い――何の臭いか元を特定しようと記憶を探ろうとして、すぐにやめた。混ざり合っていて区別することは出来ないが、おそらく、全部だ。過去騎左がくさいと感じたものの全てがここにある。
「何だこれ、やべーな」
 塔亜は顔をしかめて唸り、シャツの袖を伸ばして鼻を覆った。騎左も襟巻きを鼻の上まで引き上げた。それでもふたりはまだいい、それよりも気の毒なのはゼファだ。妖鳥は人間よりも鋭い嗅覚をもち、しかし人間のように衣類などで鼻を覆うことが難しい。ゼファは可能な限り縮こまると騎左の着物の中に隠れてしまった。
「ここはいったい……」
 辺りを見回しても目に入るのは、窓ガラスが割れ潰れた自動車や欠けて内部の配線が飛び出した家電製品、割れて腐りかけた野菜。騎左の常識に当てはめて言えばどれもごみ――そう、ごみだ。もしかしてここはごみ捨て場で、【西端の島国】中のゴミを廃棄している場所なのだろうか。
 ここは地図にない島である。ということはこのゴミの山も不法に投棄されている可能性が高い。興味半分で来てしまったが、思っていた以上にアンダーグラウンドな場所のようだ。
 とはいえこちらもゴミの山に用はない。長居は無用である。騎左はここから引き上げようと塔亜に目を遣り、ゼファを着物から出そうとして。
 目の前に転がる車の下から這い出てきた猫を見て、やめた。
 猫は泥だらけでがりがりに痩せており、虫に刺されたのか目の上が腫れている。一見ごみにまぎれ誤ってここまで連れてこられた野良猫のように見えるが、首に巻き付けられたぼろ切れがそうではないと言っていた。ぼろ切れは猫の首の後ろで蝶結びにされているのである。
 蝶結びなんて、猫が自身で結えるものではない。この猫は人間にぼろ切れを結わえ付けられた。その上、目の前にいるこの猫のぼろ切れはまだしっかりと首に収まっている。猫が暴れたり狭い隙間をくぐったりする内に緩んでしまうだろうにこの猫がそうではないことから、まだ結われてそこまで時間が経っていないと思っていいだろう。同じ理由で、【西端の島国】本土で結われてから猫がここまで泳いできたとも考えにくい。
 これらの推測を合わせて導き出せる推測。それは。
「この島には人間が出入りしている、あるいは住み着いている」
 こんな劣悪な環境に身を置く人間がいる。なぜ? 何の為に? 疑問が湧き上がり、騎左の記憶を刺激する。
 塔亜はわざとらしく咳をして「で、どうする?」と頭の後ろで手を組んだ。
「まだここで何かする? こんなとこいつまでもいたらビョーキになりそうだけど」
「……そうだな」
 そこら中に転がる壊れたがらくたと割れたガラス片で足元は悪い。鼻は曲がりそうだし、何かが焦げる臭いと一緒に漂ってきた煙で目も喉も違和感がある。塔亜の言う通り、これ以上いると具合が悪くなりそうだ。
 しかし、地図にはなかったごみの山にいる人間の存在が、騎左をざわつかせる。好んでか仕方なくかはともかく、ここにいなければいけない理由があるのなら、いったいそれは何なのか。
 塔亜がどうしても嫌だと言うのなら騎左だってすぐに引き返すのだが。
「もう少しだけ、様子を見たい」
「ふーん。ま、俺は別にいいけどな」
 彼は反対しなかった。ならば、ゼファには悪いがもう少しだけ。騎左は一歩、前に踏み出す。
 ――そうだ、ただの好奇心だ。ここで誰か人間に会ったとして、騎左はその人に何かを言う権利もすることもない。ただただそこにある現実を見るだけである。
 少し移動しただけで、生物の痕跡をいくつも見ることが出来た。食い散らかされた魚や果物は、もしかしたら先ほどの猫のような動物かもしれない。しかし縁の欠けた器に残る汁物や、車と車の間にテントのように張られた布は、人間がここで生活する証だ。
「まじか」
 驚いた様子で声を上げる塔亜の脇腹をつつき黙らせる。何か言い返してくる前に、騎左は前方を顎で示した。
「あっ……」
 男性が慣れた様子でごみの山に上り、あちこちを掘り返していた。何かを拾い上げては捨て、別の何かを掘り当てると肩から提げた袋に入れている。状況から推測はしていたが、実際に人間を見ると腹の底が締め付けられるような気がした。
 まだ騎左の妖術は発動したままだから、こちらの姿は男性には見えていない。しかし姿以外は消すことが出来ないため、足音や影で存在がばれかねない。なるべく足音を立てないようゆっくりと男性の死角に回る。気付かれないよう男性に注意を払いながら彼の行動を観察した。
 拾ったものを一瞥し、肩越しに投げ捨てる男性。その内のひとつが騎左の足元に転がってきた。握り拳程度の大きさの石だ。ならば捨てずに袋に入れているものは――目を凝らす。男性の手が袋の紐に掛かる。口を開けた袋に滑り落ちたそれは、小さなナットだった。
 きっとあれが彼の仕事なのだろう。このごみ山から鉄屑を探し出して集め、業者に売り、金にする。そうやって得た金で必要なものを買い、またごみ山に上って鉄屑を探す。これの繰り返しだ。
 見ていられない。
「……行くぞ」
 踵を返して島の更に奥へ足を向ける。
 それから何人か大人を見かけた。先程の男性のようにごみ山を漁り金目のものを探す者、ボンネットが開いた車の中で寄り集まり何やら話し込んでいる者たち、日陰で大の字になっている者――見かけた時はぎょっとしたが、胸がかすかに上下しているように見えるし、ただ寝ているだけだと思うことにした。
 一定の速さで歩き回っていた騎左だったが、目の前に見えたそれに小さく唸って足を止めた。すぐ後ろを歩いていた塔亜もそれに倣う。何だ何だと騎左の肩越しに先を見て、思わず「あっ」と声を上げた。騎左の正面には子供がいたのだ。
 少年は首回りがだらりと伸びたオーバーサイズのシャツを着、履いている靴の爪先は裂けていた。裂け目からは足の親指が覗いている。服も靴も顔も泥だらけで、髪は油でべたべた。しかし目だけは輝いていて、不思議そうに首を傾げ、きょろきょろと辺りを見回していた。
「どーしたの?」
 というのは少年に掛けられた声。彼と同じくらいの年頃で、彼と似たような外見の少女が駆け寄ってくる。
「今、声がしたような」
「声?」
 しまった。ここの人間には介入せず様子だけ見て引き上げるつもりだったのだが、気付かれたか――いや、今ならまだ大丈夫だ。
「誰もいないよ、気のせいだよ」
 少女が首を横に振っている。それでいい、気のせいなのだと、そういうことにして忘れてほしい。
 じりじりと少年たちから距離を取る。ここがどういうところかはよく分かった。だから早くここを出なければ。
「おい騎左、落ち着けよ」
 塔亜が耳打ちするも、今は届かない。手が震える。額を汗が伝う。
 焦りは注意力を低下させる。そのせいで。
「あの……」
 声を掛けられるまで、背後にいた彼女の存在に気付かなかった。
 妖術で姿を消しているはずなのだ、こちらが見えているはずがない。のに、振り返った騎左は、彼女と目が合った。そして彼女はまっすぐ騎左の目を見て、言ったのである。
「あなた方、ここへ何しに来たのですか?」



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