2.


 騎左も塔亜も【西端の島国】を訪れるのは初めてだった。街まで出てはみたものの、何か目的があった訳ではない。とりあえず空腹を満たそうと目についた飲食店に入り、これから何をするか検討しようという話になった。
 ……が。
「別に、何もねーんだよなあ」
 テーブルを挟んで向かいに座る塔亜は頬杖をついて溜め息をついた。
「そうなのか?」
「だって俺たち、訓練受けろってここまで連れてこられたんだぜ。そのつもりで来てんだから、遊びたいとかそういうのは別にさ……」
 塔亜の言うことが分からないではない。焦る気持ちがあるのも分かる。しかし焦るだけではいけないというのも、騎左は何となく感じていた。【砂遺跡の国】での事件で負った塔亜の怪我はよくなってきたとはいえまだ完治していないし、【港の国】で受けた精神的なショックも大きかった。塔亜はまだ身も心もぼろぼろの状態だ。そちらのケアが先決だし、だから維遠もこんな提案をしてきたのではないだろうか。
 ……などと伝えたところで、塔亜は素直に受け取らないだろう。
「まあ、そうだな」
 ここは頷いて、タイミングよく出されたサンドイッチに手を伸ばした。
 いずれにせよせっかくの機会だ、無駄に時間を過ごすのは得策ではない。まずは今日の日没までの数時間、この国の中心地を一周してみることを提案すると、塔亜はそれでいいと投げやりに承諾した。塔亜のバイクは指令所に置いたまま。路線バスが多く走っているようだからそれを利用するのが王道だろうが、こちらには妖鳥がいる。
「ゼファ、頼むぞ」
 騎左の横でチェリーをくわえていたゼファは、頭を持ち上げて軽く騎左に押し当てた。
 急ぐことではないからとゆっくり食事をしていた騎左だったが、最後のサンドイッチを手に取りながら、ふと目に止まって「それ」と声を上げた。
「その端末」
「ん? これか?」
 維遠から渡された白い樹脂製のリストバンド。塔亜の左手首に嵌まっているが若干の伸縮性もあるようで、引っ張ると手からするりと抜ける。
 雲の白さに似たそれは、持ってみると見た目よりも重量があった。樹脂製バンド部分が重いのではない、これに埋め込まれた液晶画面の重さだ。つるりとした画面は騎左の手首幅ほどの大きさで、既に塔亜の指紋がべたべたと全面に残っている。
「通話やメッセージのやり取りが出来ると言っていたが、他に何が出来るんだ?」
「あーそれ、多分結構いろんなこと出来ると思うぜ」
 例えば、と塔亜が画面をなぞると、指の動きに合わせて画面が変わった。いくつも並ぶアイコンの中から手帳の形をつつくと『維遠』『風谷』『汰施』の名前がリストアップされている。名前を更につつけばその相手と通話が出来るらしい。他にも、マイクのアイコンは録音機能、演算マークの描かれたアイコンは計算が出来そうだ。
「実際に使ってみた訳じゃねーから、ほんとにそんな機能なのかは知らねえけどな」
 なんて塔亜は言っているが、おそらくその通りなのだろう。騎左も使い方を覚える必要があるのかもしれないがそれは今後の課題として、食事を終えた二人と一羽は店を後にした。
 店は交通量の多い大通りに面していた。ここでは都合が悪い。店と隣のビルの隙間に隠れ、騎左は肩に乗ったゼファに触れる。大気が僅かに震え、騎左の妖術が発動する。
 そのまま隙間を通り抜けた先の裏通りは、道幅が狭く車は通れないようなところだった。歩く人も少なく、遠くに犬の散歩をする女性がひとり見えるくらいだ。こちらに近付いてくる。彼女が目の前まで来たところで犬が足を止めた。じっとこちらを見、吠えてくる。驚いたゼファが騎左の羽織の中に隠れる。
「どうしたの?」
 女性の視線は騎左たちをすり抜けてビルの壁を向いた。
「何もないでしょ。行くよ」
 リールを引っ張り強引に犬を従わせ、彼女はこの場を立ち去っていった。自身で知覚することが出来ないから実感がなかったが、今回も無事に騎左の術は発動しているようだった。
 騎左の妖術は相手の感覚を狂わせ、そこにあるものをないように見せたり、逆にないものをあるように感じさせたりする。姿を消す為に周囲の視覚を惑わせる術を発動したのだが、動物の鋭い嗅覚ではにおいで存在がばれてしまうようだ。そこは盲点だった。次にこの術を使う時は気をつけなければ。反省しつつ、羽織から出てくるようゼファを促す。首だけ出したゼファは犬が去ったことを確認し、道路に下り立って道を塞ぐほどに身体を巨大化させた。脚を畳んでこちらに背中を見せる。先に塔亜を乗せ、その後ろに騎左も乗る。腕を伸ばして首を軽く叩くとゼファの翼は力強く羽ばたいた。
 北汪沖に浮かぶこの島は馬の蹄鉄に似た形をしており、島全体が【西端の島国】国土である。湾の最奥に構えているのが【西端の島国】王城で、それを囲むように城下町が広がり、世界軍【西端の島国】指令所はその中に建っている。更にその外側には農業地や森等が点在し、馬蹄形先端付近には広大な土地と巨大な建物があるのが上空からも確認出来た。
「何だろうな、あれ」
 騎左の疑問に、塔亜は翼の下を覗きながらそっけなく「さあな」と返す。反射的に口を開きかけ、思い止まって息を吐き出して、騎左は塔亜の左腕を掴んだ。
「ぅわっ何!」
「端末見せろ」
「何で」
「地図みたいなアイコンがあっただろう」
「あ、そういえば」
 言われて思い出したのか、塔亜の指が画面を滑った。『MAP』と書かれたアイコンに触れると細大様々な線が表示され、画面中央には点滅する青い点が現れる。塔亜が端末の向きを変えると線が、移動すると点が動く。線は道路で、点は騎左たち――正確には端末の位置を示しているようだ。
「おっすげーじゃん、便利だな」
 画面をなぞるとその方向に地図も動く。試しに馬蹄形先端を表示させてみると『自動車工場』と書かれていた。
「へえ、【西端の島国】って車造ってたのか」
 それなりに世界を回っていろいろな国を見てきたが、【西端の島国】製の自動車なんてほとんど走っていなかった。騎左があまり自動車に詳しくなく、さほど興味がないせいもあるかもしれないが、少なくとも騎左の記憶には残っていない。
 対して塔亜は首を横に振る。
「昔の話だよ」
「昔?」
「うん。本当に最初……車の動力が馬から蒸気に変わった頃は、【西端の島国】の技術が世界トップだったんだ」
 しかし他国でも自動車が製造され始め、その上他国の技術が【西端の島国】のそれを上回るようになった。【西端の島国】の自動車産業は世界から遅れ始め、今では【西端の島国】製の自動車はほとんど道を走っていない。
「完全に生産中止になった訳じゃないからあれも廃工場じゃないはずだけど、ほどんど稼働してないんじゃねーの」
「そうなのか」
 こんな風に塔亜から何かを教わるようなことは、これまでほとんどなかった。どちらかというと逆の立場で、騎左があれこれ説明することの方が多かったから新鮮な気分だし、もっと言えば塔亜なんかに講釈を垂れられて釈然としない。
「……あれ?」
 しかし塔亜の疑問符に、その感情を脇へ追いやった。
「工場の向こう、海の方にさ、小さい島があるように見えるんだけど」
 言われて目を細めてみれば確かに、陸地からそう遠くない海上に何かが見える。船ではなさそうだ。
「島だろうな。それが?」
「うーん……地図には載ってねーんだよ」
 画面をなぞったり拡大したりしても地図上に島は現れない。地図が間違っているのか、それともこれは目の錯覚で、本当は島なんてないのだろうか。
 いや――騎左の指先が顎をなぞる。まだ開発段階のものとはいえ、これは世界軍で作成した地図とツールだ。それが間違っているとは考えにくい。というのも、軍の役割のひとつに各地の治安維持が挙げられる。世界各地に指令所を構え、必要とあれば他拠点と連携することもある組織だ。大陸も海も正確に把握していなければそれを円滑に進めることは難しい。そんな軍が用意した地図である、正しいと考えていいだろう。
 だとすれば、目の前のあれは一体?
「何か気になるな」
 塔亜は騎左を振り返った。騎左も頷き、ゼファの腹を軽く蹴る。ゼファが大きく翼を広げる。
 ふわふわと城下町上空を舞っていた妖鳥が旋回する。目的地は馬蹄形先端、この国の果て、地図にない島だ。



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