1.


 船の揺れが徐々に収まってきた。湾に入ったらしい。同じ頃から風谷たちが慌ただしく動き始めた。通信機器を手に連絡をとり、進路を確認しながら船のエンジンを緩め、荷物をまとめている。騎左もトランクを自身の脇に寄せ、道中一度も開かれることのなかった塔亜のトランクをその横に置いた。
 とんとんと肩を叩かれ騎左は顔を上げた。
「そろそろだよ」
 言いながら汰施が船室のドアを示す。頷いて返し、ゼファを肩に乗せて立ち上がり、塔亜の腕を引いて立たせた。この船から下りれば、そこはもう【西端の島国】である。
 世界軍――七十年前、世界中を巻き込んだ戦争を省みて、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう各国各地域を相互監視し防衛する為に編成された軍隊だ。世界の治安維持の為に国をまたいで連携し、時には各国王家が所有する王家直属軍とも協力し合い、国内外で起きた事件や事故の対処にあたっている。
 長きに渡り世界に安定をもたらしてきた世界軍だったが、近年信頼が失われつつあった。それを決定づけたのは【砂遺跡の国】国王暗殺、そして【港の国】襲撃事件。軍は事件に対して、確かに最善を尽くしたと言える。しかし国への、民への被害は大きかった。何より事件の犯人を捕らえられずにいることに、人々は不安を覚えたのである。
 事件を起こしたのはとある反政府“組織”。“スペード”と名乗る彼らは、一所に留まらず世界各地で活動し、世界軍の活動を阻んできた。構成員ひとりひとりの戦闘能力が高く、訓練を受けてきた軍人ですら対等に渡り合うのが難しい時もある。とはいえ治安維持の為の世界軍なのである、これではあまりにも不甲斐ない。人々がそう思うのも当然であった。
 だから軍は、次の手を打たなければならない。“組織”に対抗し、“組織”を潰す為の、確かな一手を。
 その為に騎左たちは【西端の島国】へやってきたのである。
 太陽が昇り始めた頃だった。【西端の島国】指令所内の港に着岸し船を下りた騎左と塔亜、ゼファは、指令所の一角、会議机が二脚とパイプ椅子が四脚あるだけの小さな部屋に通された。そこで待っていたのは身体検査、所持品チェック、サイン欄のあるたくさんの書類、そして私服の男性たち。パスポートを回収され、衣服を一枚ずつ全て脱がされ、トランクの中身をひとつ残らず検められ、塔亜の所有するバイクが既に軍の管理下にあると告げられ、促されるままに何度も自身の名前を――騎左はゼファの名前も――書かされた。
「何かすげー疲れた……」
 最後の一枚にサインした塔亜がペンを放り投げて机に崩れ落ちた。うなだれるのも無理はない。全て終わる頃には既に日が一番高いところを通り過ぎ、昼食時も過ぎていたのだ。船での移動から休憩のないままこれである。塔亜だけでなく騎左も疲労を感じていたし、全身撫で回されたゼファは騎左の膝の上でぐったりと丸まっていた。
 男性たちと入れ替わりで維遠が部屋に入ってきた。
「終わったようだな」
「なんだよ涼しい顔して、お前ら今までどこで何してたんだよ、俺らパンツまで脱がされたってのに」
「パンツ脱いだだけで身元の確かさが証明出来たなら安いものだろう」
「ふざけんじゃねえ」
 噛みつく塔亜の声には覇気がない。維遠はやれやれと肩をすくめた。
 このまま塔亜に喋らせていても話が進まない。そう判断した騎左は維遠を見上げた。
「それで? 俺たちは何をすればいい?」
 先程の男性たち――私服軍人は書類を抱えて引き上げていった。入国、入隊諸々の手続きはあれで済んだということだろう。ならば目的通り、騎左たちはここで軍人としての訓練を受けることになるはずである。
 しかし維遠は首を横に振った。
「まだだ。お前たちがここを自由に利用出来るようになるまではもう少し時間が掛かる」
「何でだよ。段取り悪いんじゃ――」
 口を挟もうとする塔亜の脇腹を肘で突いて黙らせ、維遠に先を促す。
「もちろん何日も掛かる訳じゃない。今書いた書類がお偉方のところまでいって、承認を受けて下りてくるまで、一瞬では済まないことくらい分かるだろう」
 それに、と維遠は一呼吸置いて、更に続ける。
「お前たちが軍人として活動をするということは、自由な時間が減るということだ。だから……そうなる前に、今の内に、街を見て回ってきたらどうだ」
 つまり、軍上部の承認が下りるまで騎左たちは何も出来ないという訳だ。それならずっとこの場に留まるよりも、維遠の提案通り外へ出てみた方がいい。これまで狭い船室、その次は小さな会議室にこもってじっとしていたのだし、身体を動かしたいし息抜きがしたい。
「そういうことなら……」
 塔亜を振り返る。塔亜も伸びをして立ち上がる。
「それじゃ、行くか」
 外出を決めた二人に、維遠はリストバンドを差し出した。弾力のある幅広の樹脂に小さなモニターが埋め込まれ、サイドには小さなボタンがついている。
「何、これ」
「通信端末だ。ここを離れるなら持っていけ」
 ボタンを押すとモニターのスリープが解除され、現在の時刻が表示された。触れると画面が切り替わる。維遠の説明によれば、電話のように通話したり、メッセージを送る機能もあるのだとか。こういうものは騎左よりも塔亜の得意分野だ。受け取るとすぐ左手首に嵌め、指先でつついたり画面をなぞったり、あれこれと操作を始めた。
「何かあったらそれに連絡を入れる。まだ開発段階のものだが、十分に使えるはずだ」
「つまり俺たちに使わせてテストしようってことね」
「そういうことだ。技術部門の連中もまだ改良の余地があると言っていた。使っていて気になることがあったら教えてほしい」
「おー」
 軍施設内の宿舎だけは先に利用出来るようになったらしい。それならばと荷物は全て維遠に預け、騎左は塔亜を連れて外へ出た。少しでも塔亜の気が晴れればいいと思いながら。



   ◆



「優しいねえ」
 騎左たちを通用門まで送り戻った維遠に、風谷は開口一番そう言った。
「何がですか」
「すぐに教育に入ってもよかったんじゃない?」
「別に、自分は……」
 風谷をまっすぐ見ることが出来ず、維遠は目を伏せる。しかし風谷はそれを許さなかった。腰を屈めて、下から維遠を見上げてくる。顔を反らしても追ってくる。
「……必要だと、判断しました」
 諦めて、こぼす。維遠の言葉に風谷はにやにやと頷いた。
 施設利用に時間が掛かる、というのは維遠の嘘だった。本当は今すぐにでも利用可能。今日から訓練を始めてもよかったのだ。
「入隊はあいつらの意志だ。それで自由がなくなっても、それはあいつらが選んだこと。維遠が気を遣ってあげることなんてないと思うんだけどねえ、俺はさ」
「しかし彼らは、自分たちとは違います。十七歳なんて、まだ子どもですよ」
「でもね、あいつらは入隊を決めたんだよ。そしたら新人もベテランも関係ない。皆同じ、軍人なの」
「それは……分かっています」
 それでも彼らと同年代の者の多くはまだ学生で、将来への夢を抱いて自由を謳歌していることを考えると、はいそうですかと簡単に言うことが出来なかった。これから彼らを待っているのは自由とは無縁の、ほぼ軟禁生活である。それが始まるまでの間は、例え僅かだとしても、好きにさせてやりたいと維遠は思ったのだ。
「維遠がそう言うのも分からなくもないけどさ」
「……」
「ま、俺はどっちでもいいけどね」
「というより、風谷さんは人の心がなさ過ぎるんですよ」
「えっそれどういうこと? 酷過ぎない?」
 眉尻を下げる風谷を無視し、維遠はふたつのトランクを両手に持ち上げた。これは大切に保管しておく必要がある。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ