2.


 たくさんの店が建ち並び、多くの人が行き交っている。人込みが苦手な騎左は、うんざりしながらも人の波に乗ってゆっくりと歩いていた。甘い香りがする方に目をやれば、果物屋が試食用のオレンジを切っている。何となく近付いて懐から財布を出した。
 背後で人が動く気配を感じた。買い物客たちのものとは異質なソレ。
 しかし敢えて気にせず、果物屋の売り子に声を掛けた。
「そのオレンジ、二つ貰おうか」
「はーい、まいどー」
 威勢の良い看板娘がオレンジをてきぱきと包む。金を受け取り、オレンジが入った紙の手提げ袋を渡した。騎左はその袋に財布も放り込み、再び人込みに紛れた。
 すると。
 ――来た。
 す、と後ろに手を伸ばす。すぐ後ろに有った手首を掴んで引っ張った。その手に握られているのは騎左の財布。
「お前、スリの常習犯だな?」
「……!」
 スリをはたらいたのは騎左より幾つか年上の青年だった。鋭い目で騎左を睨みつけ、手を振り解こうとする。逃げられると困るので彼の両手を捩り上げ、動けないようにしてやった。周りを歩く人々は迷惑そうに騎左たちから離れた。
「放せ!」
「黙れ。強制的に黙らせることも可能だが、それは嫌だろう?」
 スリの彼も騎左の衣服を見ただけで【東端の島国】出身だということが分かっただろう。こういった世界では『【東端の島国】の人間は金持ちだ』と思われているらしいから、わざと隙を見せれば向こうから接触してくることは予想出来た。
 騎左たちに可能で、且つ手っ取り早く稼げる方法なんて、これくらいしか思い付かなかった。
 賞金稼ぎ。
 一国に定住せず、気の向くままに放浪している騎左たちである。職に就いて働く、というのは不可能に近い。しかし生活していく上で金はどうしても必要、その為に騎左たちはこうして『働いて』いるのだ。切羽詰まっている時は多少年齢を偽って賭博にも手を出すが、騎左としては、あれは気が進まない。賭けで勝つ自信は有るものの、賭博場に染み付いた煙草の匂いにはどうしても勝てない。
 青年を軍の指令所まで連れていこうとした時だった。ざわめきと共に、大通りから人が流れてくる。人波の向こうの光景が、騎左の目に映る。
 瞳が勝手に見開いた。
「……すまないが、少し寝ていろ」
 鳩尾に拳を入れる。青年の膝がガックリと折れた。果物屋と反物屋との隙間に彼の身体を押し込む。
「後で引き取りに来るから見張っていてくれ!」
 オロオロとする果物屋の主人に言い置いて、騎左は大通りの方に足先を向けた。右手で肩に掛けた羽織を引き合わせ、左手を高く掲げる。
「ゼファ」
 不意に辺りは陰り、暗くなった。強風が叩きつけられた。前髪が目の前で暴れた。袴が大きくはためいた。
 見上げれば、白銀色の大きな鳥が両翼を広げていた。



     ◆



 泊まっている宿のベッドに、塔亜は身を投げた。
 酒場のおばさんからある程度話を聞いた後に表通りへ行ってみたが、あの男が言っていた通り、王家直属軍隊が行進していた。緑にカラーリングされたジープには明らかに大砲が積んであったし、同じく緑の戦車も走っていた。
 いっそのこと追いかけてみようか。軽い思い付きだったのだが、口に出してみるとなかなか良策のようにも思える。善は急――『善』という訳ではないが、行動するなら早い方が良い。トランクに少ない荷物を詰め込んでいると。
「塔亜」
 窓の外から名前を呼ばれた。そんな所から話し掛けてくる奴なんて、塔亜は1人しか知らない。
 起き上がって窓に近寄り、鍵を掛けてやった。
「おい……」
「窓から出入りするのは泥棒、って相場は決まってるだろ。だったら戸締りするのが常識」
「盗られるような金目の物なんて持っていない奴が何を言う」
「騎左だって金持ってないじゃん」
「馬鹿言え。お前の三倍は有る」
「そういうのを『五十歩百歩』って言うんだよ」
 窓の外の人物、つまり騎左を見れば、怪鳥の背の上で両手の指を絡めていた。ヤバイと思って目を逸らすが、逃げられないことくらい分かっている。
 先程まで塔亜が寝転がっていたベッドの下から、巨大な蛇が現れた。塔亜の太腿程の太さが有る蛇。それが足元で這い回る。身体に巻き付いてくる。締め付けてくる。蹴っても蹴っても、鎌首を持ち上げてくる。
「うわっ……何すんだよ騎左!」
「開けろ」
 仕方無く鍵を開けると蛇は煙の様に消え、紙袋を抱えた騎左は白銀色の鳥の背から飛び降りて窓枠に着地した。馬程の大きさだった鳥も拳大まで縮んで騎左の肩に降り立つ。
「ったく……こんなことくらいで妖術使うなよ」
「だったら、餓鬼みたいな行動は止めろ」
「誰が餓鬼だ!」
 というか、たかが喧嘩で妖術を使うのも、十分『餓鬼みたいな行動』だと思う。
「お前も人に言えない癖にー!」
「……煩い」
 騎左は噛み付いてくる塔亜に抑揚の無い声を返した。椅子に座って羽織を脱ぎ捨て、腰の刀も外す。自分のトランクからナイフを出して先程買ったオレンジを切り、半分をゼファに与えた。残りは当然、騎左の腹の中へ。
「金無いくせに贅沢」
「言ってろ。俺はちゃんと稼いできたんだから」
 その辺を遊び回ってきたお前とは違ってな、とでも言いた気な表情で此方を見る。そんな風に見下したような態度を取る騎左とは昔から仲が悪かった。同じ孤児院で生活していた奴等とは男女問わず仲良くしていた塔亜だったが、騎左とだけは喧嘩ばかりだった。どうしても仲良くなんて出来なかった。何故あの火事で生き残ったもう一人が、よりにもよって騎左なのだろう。そう思ったのは一度ではない。……勿論それは、向こうとて同じだろうが。
 ゼファが物欲しそうに見上げてくるので、騎左はもう一つのオレンジにもナイフを入れた。今度は全部をゼファに食べさせる。食べ終わった皮をごみ袋に放り込んでいると。
「じゃ、俺また出掛けるから」
 腰のホルスターにはしっかり改造銃が収まっているし、右太腿に装着したケースにはナイフが数本刺さっている。他にもあの上着の下にはいろいろな武器が隠されているに違いない。そんな大層な格好をした塔亜に向かって発せられる問いはただ一つ。
「……何処行くんだ、お前」
「騎左も見たんだろ、表通りのアレ」
 【古代遺跡の国】王家の紋章を高々と掲げて国門へ向かう軍人たち。まるで戦地に赴くかのような装備。
「不思議に思わなかったのか? 何であんなのがああやって行進してたのか、って」
 六十年前の世界大戦の後、互いが互いを見張る為に、また、国王の独裁を防ぐ為に、先進国にしか存在していなかった新たな『軍』の制度が世界各国に設置された。一般に王家直属軍とそれは『王家軍』、『世界軍』と呼び分けられ、王家の軍、政治の監視や世界各国の間で決められた法に基づいて裁判を行うのが新軍の主な役目だ。他にも、例えば、火事に遭った塔亜と騎左を保護したのも新軍の軍人である。
 永世中立を唱えた国に至っては、王家軍を解体させ全てを新軍が取り仕切っているところも有る。その新軍が、今回のような王家軍の行動を見逃すとは考え難い。
「ということは、『目的は戦闘ではない』?」
「そ。勿論、書類の上では、だけどな」
「……」
 【古代遺跡の国】の南西に【聖地】と呼ばれる場所が在る。何千年も前に戦争で滅びた其処は、現在では観光スポットとなっているが、元は人の住む自治区であった。塔亜が聞いてきた国民――酒場のおばさんの話によると、王家軍は其処に向かったのだとか。
 名目上は『【聖地】調査としての派遣』。学者たちが調査をしやすいように環境の整備をするのが、今回の軍人の仕事だ。
 此処で重要なのは、隣接する【双峨の国】や【峡谷の国】も同様の調査を始めたということ。つまり、他国の軍も動いているということ。
 他国の軍と干渉することは良いことではない。戦争が終わったといっても、軍は軍でしかないのだ。軍は国家機密事項の内の一つだし、そうである限りは外にその実態を知られてはならない。それを守る為なら、例え世界の法で『戦争をしてはいけない』と定められていたとしても、正当防衛として攻撃は許可される。
 これは意図的に用意された『戦争』なのだ。
「けど、どうして今なんだ? 新軍の制度もかなり整備されてきてるし、軍事に関してはかなり煩くなってきている筈なのに。今更戦争する必要なんて……」
 塔亜がそう呟くと、顎に手を当てて考え込んでいた騎左は急に立ち上がった。トランクの中から一冊のファイルを取り出し、ページを捲っていく。目的のものを見つけて塔亜に見せた。
「最近極秘に行われている研究のレポートだ」
 『極秘』というからにはかなり厳重に扱われている情報なのだろうが、騎左にそんなものは関係無い。妖術で相手の視界から己の姿を消し、何処かの研究室から書類を失敬してくることくらい、騎左にとっては造作も無いことなのだ。きっと……いや、絶対間違った妖術の使い方なのだろうが、そんなことは言っていられない。本当に必要な情報は、待っていても誰も与えてはくれない。こうでもしなければ手に入らないのだから。
 騎左が持ってきたそれは、考古学のレポートのようだった。【古代遺跡の国】王室で保管されていた未解読の古文書を、三国で合同研究したらしい。解読の結果、それには学者たちが驚くに十分足ることが書かれていた。要約するとこういうことになる。

 ――【聖地】には金銀他、宝石の類が眠っている――

 嘗て其処に住んでいた人々が遺したものらしい。まさか、そんな所にそんなものが有るとは。学者たちは驚き、また期待もした。少し前に派遣された調査隊が本当に宝石を持って帰ってきた時、その期待は更に膨らんだ。古文書に記された数字等を元に推定したところ、【聖地】を含む三国の地下ほぼ全域にそれらが埋まっている可能性がかなり高いことも分かった。
「こういうことだ。国王たちが、金と領地を手に入れようとしている……その為の戦争だ」
「それなら、余計に首突っ込みたくなるな」
 幼い頃からの付き合いなのだ、塔亜が何を考えているかなんてある程度予想が付く。自分もお宝を掘り当てるつもりでいるのだ、彼は。
 仕方無いな、と溜め息を吐く。ウンザリ、といった感じで。でも表情はそれに伴っていなくて。
 外したばかりの二本の刀を再び腰に差し、羽織を肩に掛けた。
「行くにしたって、足が必要だろう?」
「あ、乗せてってくれんの?」
「ただのついでだ」
 ゼファが窓から飛び出して翼を広げる。巨大化する。
 足に塔亜をぶら下げ、背に飼い主を乗せたゼファは大きく羽ばたいた。



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