3.


 荷物は宿に置きっぱなしだし、どうせもう一度戻ってくるのだから。そう言い張る塔亜を無視して、騎左は第三国門へ向かうようゼファに言った。すぐ帰国するしないに拘わらず出国手続きをする為である。門番とテキスト通りの会話をし、パスポートに印を捺して貰う。そこで漸く門の外に出た。
 第三国門――ちょうど【聖地】の方を向いている門。風に乗って景気の良い爆音だの銃声だのが聞こえてくる。ゼファは再び舞い上がり、【聖地】を取り囲むように立ち並ぶ樹々の上を滑るように飛んだ。
 風で多少聞き取りづらいが、ゼファの足にしがみついている塔亜にも騎左の声は聞こえてきた。
「もう始まっているのか。随分と気が早いな」
「でも、あちらさんはその所為で忙しそうじゃん。俺が穴掘ってても、誰も気にしなさそうだな」
 そう言うと、呆れたような声が返ってくる。
「……呑気だなお前。死ぬぞ?」
「俺が? まさか。俺はそこらの軍人より強ぇっての!」
 眼下を見、塔亜はゼファに掴まっていた両手を離した。落ちながら、ホルスターから銃を引き抜く。安全装置を外して狙いを定め、二発撃った。
「塔亜……!?」
 小枝に引っ掻かれながらも張り出していた木の枝に掴まって一度衝撃を殺し、それから地面に着地した為、塔亜はほぼ無傷だった。そして、塔亜が銃口を向けていた先で人間が蹲っていることは、上空の騎左からでも確認することが出来た。必死に両腕を動かして移動しようとしているところを見ると、そう深手を負った訳でもなさそうである。おそらくあれは何処かの国の王家軍人、銃口は此方に向いていたのだろう。それをあの距離から見つけ、落下しながら急所を外して撃ち抜くとは。
「ただの馬鹿じゃなかった、ということか」
 ふ、と口の端が持ち上がる。塔亜ばかりにそんなことをさせる気なんて全く無い。ゼファにある程度高度を下げさせ、騎左も地面に飛び下りた。
 まだ生き物の気配がした。少ないが、複数の。
「騎左!」
 後方から塔亜が駆けてきた。彼に目を遣った瞬間、銃声が轟く。
 騎左の大刀が抜かれた。
「どけ、塔亜」
 一歩引いた塔亜の前に立ち、彼目掛けて飛んできた銃弾を刀で弾き返した。反動を利用して大きく振るい、辺りの枝を斬り払う。現れた軍人――胸元の白い紋章から判断して【峡谷の国】の軍人のようだ――を刀の背で襷に斬る。軍人は気を失って倒れた。
「大きな声を出すな。気を付けろ」
「人を囮にしといて良く言うよ」
 誰かが居る気配は感じていたが、その位置までは特定出来ていなかった。だから騎左は銃声が聞こえてくるまで、大きな声を出している塔亜に向かって発砲されるまで待った。相手の居場所を知る為に。
「だが、お前も同じ状況だったら、同じことをしただろう?」
 改造銃をホルスターに納めながら、塔亜は鼻で笑った。
「当たり前じゃん」
「なら問題無い」
 肩の高さまで上げられた騎左の左手に小さく縮んだゼファは止まった。肩に飛び移って丸くなる。その頭を軽く撫でて、騎左は顔を上げた。
 今度は後方から銃声がした。やはり騎左がそれを刀で弾く。次の瞬間に塔亜が投げたナイフは、近付いてきていた【峡谷の国】軍人の右腕を切り裂いた。軍人の動きが止まる。その隙に距離を詰めた塔亜の一蹴で軍人は膝から崩れた。
「……もう居ないだろうな?」
「おそらくは」
 前回の調査隊が宝石を見つけたというのは、此処から少し北に行った所だ。学者の言うことが正しければ何処を掘ってもお宝と出会えるのだろうが、一応近い場所の方が良いだろう。しかし、その場所に多くの兵士が配置されている可能性は十分高い。
「そんじゃ、やりますか」
「塔亜、失敗するなよ」
「分かってるって。金の為なら」
 騎左が両手の指を組むと、ゼファの額の石が光り始めた。騎左の妖力がゼファの石を媒介として増幅する。力は目に見える程大きくなり。
 術が発動した。



     ◆



 大きな樹の幹に隠れ、撃っては撃ち撃たれては撃ち返し、を繰り返していた。確実に敵兵――今のところは【峡谷の国】軍兵――は減っている筈だ。この辺り一帯はもうすぐ、自分たち【古代遺跡の国】軍の手に落ちるだろう。
 銃弾を避け、また撃ち返そうとした。が、トリガーを引いてもカチリという軽い音しかしない。
「弾切れか……!」
 空になった弾倉に銃弾が装填されたカートリッジを差し込む。そして再び銃を構えた時。
 視界の端に、揺らめく炎を見た。
 これまでに炎が大きく広がってしまうような爆発は起こっていなかった筈。なら、誰が火を放ったというのだ。しかもこんな、樹や下草が生い茂っている所で。
「ひとまず撤退だ!」
 何処からか声がした。炎を目の前にして、皆その至極もっともな意見に従う。炎の被害が自分たちにも及んでしまう前に。
 ただ1つ、気になることが有るとすれば。
 此処から敵の居る所まで、だいぶ距離が有る。向こうの声が此方に届く筈が無い。だが、あの声に聞き覚えは無い。ということは、自軍の者ではない。
 ならば――あの声の主は、誰だ?



     ◆



 外から「撤退だ!」という声が聞こえる。この場で隊の指揮を預かっていた【双峨の国】軍少佐は彼の補佐官と顔を見合わせ、何事かと青いテントの隙間から顔を出した。
「!」
 目に入ってきたモノに、ただ驚く。
 だが、彼には「何故炎が?」と考える暇など無かった。腹部に鈍痛を感じ、直後頭を 強打された。視界は霞み、そして暗転した。
 少佐補佐官は、炎に気を取られていたとはいえ、自分が一度として勝ったことが無い上司をあっという間に伸した金髪の少年に銃口を向けた。その手は、震えている。
「な、何者なんだ君は!」
「答える必要なんて無いね」
 少年は言い終わるか終わらないかの内に動き出し、マシンガンを振り上げた。上司のことも有り気が動転していた少佐補佐官だが、己の身の危機に因り我を取り戻した。少年の右手に弾をかすらせて蹴り上げ、マシンガンを叩き落す。更に撃とうと構えたが、その時既に、少年は視界から消えていた。
「じゃ、暫く寝ててよ」
 後ろから少年の踵が飛んできた。それは見事横っ腹に命中。そして首筋に手刀を落とされ、補佐官も少佐の隣に倒れた。
 誰にともなく、少年は呟いた。
「だから言ったろ、俺はそこらの軍人より強ぇんだから」

 やがて炎は小さくなり、消えた。随分と大きな炎だったにも拘らず、それによって辺りが焼け焦げた跡は見られなかった。
 まるで、炎なんて初めから無かったかのように。



     ◆



 火事騒ぎからずっと南に下ったところで。
「やっぱ自分で掘って探すの面倒だったから、軍人たちが大事そうにしてたヤツを少ーし貰ってきた」
 ぬけぬけと言い放った塔亜には呆れたが、目的はしっかり果たせたので良しとする。
 書類や宝石を盗む、なんて確かに泥棒のすることだ。
 だが、仕方が無いのだ、これは。
 人を傷付ける。人の物を奪う。
 そうでなければ、汚いこともしなければ、彼等は生きていけないのだ。保護者がいる者たちとは違って、誰も彼等を助けてはくれないのだから。頼れる存在だった孤児院の先生ももう居ない。自分しか頼れないのだ。
 そうするしか、ないのだ。
 暫くは大丈夫だろうが、念の為に身を隠さなければならない。塔亜は適当な樹によじ登り、太い枝に腰を下ろした。
 そして、見た。
「……おい、騎左!」
「何だ」
 下から声が聞こえて、そういえばあの袴姿でどうやって登っているのだろうという疑問が持ち上がる。下に視線をずらせば、ゼファの背に乗っている彼が目に入った。ゼファがただの『道具』として扱われているような気がして、少し同情する。
 いや、今はそれよりも。
「見ろよ、あれ!」
 塔亜が指で示した先は窪地になっている。其処には大きな湖が横たわっていて、三本の滝が流れ込んでいた。滝の水は無色透明なのだが、湖に入った瞬間、各々違う色に変わっている。
 一つは緑に。
 一つは白に。
 一つは青に。
「凄ぇ……」
「そうか……これが、この地が【聖地】と呼ばれる所以なのか」
 現代では、この現象も科学的に証明出来るのだろう。しかし古代の世界では違う。まさしくこれは神の業、そしてこの地には神が住んでいる――そう信じられていたのだ。
「嘗てこの地で繰り広げられた戦争は、神の信仰の為。だがこれは……人間の醜い欲望の為、か」
「神様も怒るよな、それじゃ」
 俺は無宗教だけどさ、と付け加える。
 その時突風が吹き、危うく塔亜は枝から落ちそうになった。風は神の吐息だと聞く――この地で汚いことをはたらいた彼等に対する咎めなのか。
「俺たちが此処に居る資格は無い、ってか」
「……だろうな」
 そろそろ行くか、騎左が呟く。答える代わりに、塔亜は枝から飛び下りた。

 彼らが求めるのは神の許しじゃない。
 失った多くのもの、それを埋め合わせることの出来る何か。
 きっと、あの軍人が言った『世界を回れ』という言葉には、それを探せという意味が含まれていたのだろう。


「……ん?」
「あん?」
 宝石を見詰めていた騎左だが、何かに気付いたのか眉を顰めた。どうした、と問えば宝石の一つを放って寄越す。
「見てみろ。妙な模様が刻んである」
 三本の曲線が絡み合ったその模様。見ていると頭がくらくらしてくるような気がした。
「……何なんだろうな」
「不明だ。ただ分かることは……」
「『分かることは』?」
 いやに難しい顔をしているので、何か重要なことでも分かったのかと期待をする。
 しかし。
「この傷のお蔭で、例えこれを何処かで売ったとしても、たいした金にはならないということだ」
「……えぇ!?」
 確かに重要なことではある、が。
「ヤバイよソレ困るよ! やったこととリスクに収入が伴ってないじゃん!」
「と言っても仕方無いだろう」
「あーもう! 凄ぇ腹立つ!」
「塔亜煩い」
「だってー!」



 ――三本の絡み合った曲線。
 彼等は知らない。
 その模様が、彼等の敵である『組織』を表していることを。
 この戦争も『組織』に因って仕組まれたものだということを。

 解読された古文書は『組織』に因って作られた偽物。
 発見された宝石類は『組織』の手で埋められた偽物。


 彼等が真実を知るのは、もう少し先の話。



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