9.


 閉められたカーテンの隙間から差し込む朝の太陽光に照らされ、病室内の輪郭がはっきしてきた。改めて見回すと、ここにはベッドが二つとサイドテーブルが並んでいるだけ。ものがなく殺風景なのに、随分と窮屈に感じられる。
 起きてからずっと……いや、昨夜からずっと、窓側のベッドに転がった塔亜は「どこも悪くねーのに」と文句を垂れ続けていた。しかしそれこそ騎左が言いたい台詞である。病を患っている訳でもなければ、塔亜のように骨を折っている訳でもないのだ。それなのにどうして入国してから最初の夜を、こんな狭い軍指定病院の病室で過ごさなければならなかったのだろうか。病院服に身を包んでベッドに横たわる騎左は、昨日のことを思い返した。
 昨日、あの青い髪の軍人は塔亜と騎左、ゼファを病院に放り込むとまたすぐに立ち去ってしまった。二人と一羽はそれぞれ看護師に連れられ、別々に検診をされた。騎左とゼファは目立った外傷もなくすぐに解放されてこの病室へと案内されたが、塔亜の検診が終わったのは深夜近く、日付も変わろうかという頃。塔亜曰く、肋骨が折れていたせいで骨以外にも損傷がないかどうか身体中ひとつひとつ確認された、とのことだった。
 塔亜を病室まで連れてきた看護師は、退室際に「明日の朝、維遠中尉がまたここへいらっしゃるそうです」と言い残していった。向こうがまた来ると言っている以上こちらは待つしかない。仕方なしに薬くさい部屋で一夜を明かしたが、なぜ軍が自分たちに対してこのようなことをするのかは、やはり分からなかった。
 看護師が運んできた病院食を食べながら塔亜がぼそりと呟いた。
「日和たち、大丈夫だったのかなあ」
 昨日襲撃された時に同行していた行商団のその後の安否も聞いていない。襲撃犯が何者であったのかも知らされていない。分からないことばかりなのに動けないのはもどかしい。疑問を飲み込むように、騎左はロールパンを口に入れた。
「確かに、気にかかるな」
「だろ?」
「護衛任務は遂行されたことになるのかどうか……」
「そっちの心配かよ」
「仕事だからな」
「お前って本当に冷たい奴だな」
 やれやれと塔亜は首を横に振っているが、騎左としては心外である。日頃の生活費を主に管理しているのは騎左なのだ。仕事に対する意識が甘い塔亜に収入についてとやかく言われる筋合いはない。
 もちろん、今回の護衛対象である行商団に塔亜の知人がいたことは騎左とて承知している。知人が危険な目に遭って気をもむのは当然だろうが、それと仕事とはまた別の話だ。懇切丁寧に説明してやると、塔亜は「ああ、そう」口をへの字に曲げた。
「だいたいあの青髪、俺のバイクちゃんと運んでくれてんのかな」
「襲撃現場に落ちてたものなんだ、事件の証拠品として押収されているんじゃないか?」
「落としたんじゃねーよ落ちたのはむしろ俺だよ」
「ああ、そうだったな」
「っつーか押収されてたら返してもらえねーじゃん、それすっげー困るんだけど」
「軍はお前の都合なんか知らないだろうからな」
「何か腹立ってきた! すっげー腹立ってきた!」
 塔亜はスープを一気に飲み干すとベッドから降り、ベッドの中、下、サイドテーブルの周りを覗き回った。どうも何かを探しているらしい。
 はじめは塔亜など気にせずテーブルの上でオレンジをつついていたゼファだったが、テーブルをがたがたと揺らされたことが気に障ったのか、騎左の布団にもぐりこんできた。
 ……全く。
「俺たちの荷物ならここには何ひとつないぞ」
 言い放つと、塔亜は「はあ?」と声を裏返した。
 昨夜の内に、この部屋の中は騎左の手によりくまなく調べられていた。今の塔亜と同様、騎左も自分の荷物がここにないか探していたのである。バイクにくくりつけておいたトランクはともかく、検査の最中に脱がされた着物や靴、刀くらいはあってもいいはず。しかしそれらは見つからなかった。
 おそらく病院側は――正確に言えば軍は、騎左たちをここから出す気がないのだろう。そしてその理由はもちろん昨日の襲撃事件に関することだろうが、どうもおかしい。騎左は首をひねった。
 事件に関する事情聴取をしたいのならさっさとすればいいのだ。軍はこちらを病院なんかに運ぶ必要も、検査をする必要もないはずなのだ。
「いろいろ理解出来ないことはあるが、昨日の看護師の話だと、あの維遠とかいう軍人は俺たちの面会に来るんだろう? それなら待っていればいいじゃないか」
「そうかもしれないけど……」
 納得はしていないが理解は出来たのだろう。塔亜はぐしゃぐしゃと頭を掻くと、再びベッドに腰を下ろした。
 落ち着きがあるかないかで言うと、もちろん後者に分類される塔亜である。そんな塔亜が、ただ待つ以外に何もすることがないというこの環境状況下でじっとしていられるはずがなかった。
 もしこの場に私物があれば武器をいじったりトランクを引っ掻き回してみたりと何かしら手を動かす用事があるのだが、今はそれが出来ない。朝食は済ませてしまったし、十分に寝たから眠くもない。扉をノックする音に顔を上げれば入ってきたのは看護師で、空いた食器を下げると特に会話もしないまますぐにいなくなってしまった。
「びっくりするほど暇だな」
 騎左を見れば、この男は、ベッドの上でゼファを抱えてその背中を撫でていた。
 こういった暇を潰したい時に騎左が役に立たないことを、塔亜は知っていた。騎左と一緒に何がしたい訳でも何でもないが、話し相手にすらならないのである。実に役に立たない男なのである。
 窓の外に見えるのは病院を囲む壁のみで、例えば大きな貿易港や真っ白な壁の神殿などの【港の国】らしい風景を見ることも出来ない。これでは何も面白くない。窓から視線を外し、塔亜が次に目を止めたのは、この部屋の扉であった。
 そういえば――一度この部屋から出た時のことを思い出した。
 明け方のことである。起きるには早過ぎる時間に目を覚ましてしまった塔亜は、とりあえずトイレに行こうと思い至った。この病室内にトイレはないのだから外へ出るしかない。部屋を出てすぐのところにあるトイレで用を足し、また病室に戻ってきた。誰にも咎められることのないままに。
 状況からして軍が塔亜たちを拘束したいであろうことは推測出来るが、それはただ塔亜たちを『この場に留めておきたい』だけであって、『この部屋に拘束したい』訳ではないのだろう。ということは、病院内をうろつく程度なら問題ないはずだ。よその病室を覗いて回るだとか廊下を行き交う他人の邪魔をするだとかそういった迷惑行為さえしなければ誰かから怒られることもないに違いない。
 塔亜は立ち上がると、騎左の腹をつつくゼファを横目に見ながらまっすぐ扉に向かった。
「出歩くのはあまり感心しないな。あの軍人、そろそろ来るぞ」
 騎左はそう言うが気にしない。扉を開ける。
 濃紺の制服が塔亜の目に飛び込んでくる。
「貴様、どこへ行く気だ?」
 顎のラインで切り揃えられた青いストレートヘアが揺れる。
「……え?」
 塔亜が首を傾げる。
「だから言っただろうが」
 塔亜の後ろで、騎左が溜め息をついた。
 病室にやってきた維遠は、両手にひとつずつ紙袋を提げていた。中身はそれぞれ塔亜と騎左の服と武器だと言う。検査の際に没収されてしまったものを全て持ってきてくれたらしい。確認すれば、昨日乗り捨てた塔亜のバイクも軍の方で保管しているとのこと。それを聞いた塔亜は安心して胸を撫で下ろした。
 維遠は騎左のベッドに塔亜を座らせると「医者から話は聞いた」と言った。
「騎左、ゼファ、異常なし。塔亜の怪我の回復も順調だそうだ。よって、貴様らはもう退院だ」
「えっマジで」
「しかしそれには条件がある」
「条件? 退院に?」
 騎左が左手で顎をなぞる。「そうだ」と維遠が頷く。
「条件をのめば退院を許可し、貴様らの武器、荷物、バイクの返却を約束する」
「それで? その条件って何なのさ?」
 塔亜に問われた維遠は二人と一羽をぐるりと見回した。
「塔亜、騎左、妖鳥ゼファ。軍は今後半永久的に貴様らを監視下におく方針だ。素直に身柄を拘束されろ」



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