8.


 反物屋が待ち合わせに時間厳守と言ったのには理由があった。簡単なことだ、商人たちはあらかじめ電車の指定切符を用意していたのである。
 駅に着いてゼファから降りた騎左と合流し、全員が揃ったところで乗車手続きをすると、ホームではなく駅の裏側にある車両置き場に通された。車両置き場と言ってもただレールが平行に何本も敷かれているだけで、牽引車に繋がれた小豆色の大型コンテナの他には、古い客車がいくつか片隅で錆びついているのみであった。
 三台の車はそのコンテナ車両の前で止まり、運転席に座る商人以外は全員車を降りた。
「商品は車ごと運ぶんだ」
 時雨がそう説明する間にコンテナの大きな扉が開き、スロープが取り付けられた。車が乗り込んでいく。これまで積み荷を運んでいた車が、今度は積み荷となる。日和からバイクのハンドルを返された塔亜も、商人の車に続けてバイクを積み込んだ。コンテナの隅にバイクを停め、二人分のトランクを両手に、外で待つ騎左の隣へ戻った。
 車の乗ったコンテナ車両は次にこの駅に入ってくる電車に連結されて【港の国】最寄り駅へと向かう。商人たちは車や積み荷と一緒にコンテナ車両に乗り込むことになっている。その車両の出入り口となるのは前後の連結部分のみで、窓はない。つまりコンテナへの外部からの侵入経路は計二つしかないことになる。行商団に雇われている護衛は時雨の他にも複数人いる為、出入り口と積み荷、商人につけば、車内の警備はそれで十分のように見える。
「それじゃあ俺たちは何をするんだ?」
 騎左が訊ねると、コンテナから降りてきた反物屋はコンテナ車両の前方連結部を指差した。
「君たちに任せたいのは車外の警備だ」
「車外?」
 意味が分からない、と塔亜が首をひねる。
「屋根にでも貼りつけってこと? 護衛任務は了承したけど、それはちょっと無茶な要求じゃない?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ」
 反物屋は質問を重ねようとする塔亜を両手で制した。
「そろそろ連結予定の電車が駅に入ってくる、具体的な話はホームでしよう」
 レールを踏む足がかすかに震え始めていた。その振動は徐々に大きくなってくる。警笛が聞こえる。顔を上げると遠くから――【砂遺跡の国】方面から、重厚感のある黒塗りの車体が近付いてきていた。
 電車がホームに滑り込むと、牽引車がコンテナ車両を押して動き始めた。線路分岐点に立っていた駅員が切り替え装置を操作し、コンテナ車両も電車に続いてホームに入っていく。それを追って塔亜たちもホームに移動した。
 彼らがホームに到着した時には既に、駅員たちが最後尾の客車とコンテナ車両の連結作業に取り掛かっていた。
「さっきも言ったように、君たちには車外の警備を頼みたい」
 そう言った反物屋は車両置き場でしたのと同様にコンテナ車両の前方連結部を――正確には最後尾の客車後部を指差した。
 塔亜たちに宛がわれた座席は行商団たちとは異なり、最後尾客車のコンパートメント。二人は客車とコンテナ車両の間に陣取って、無関係な乗客が行商団に近付いてこないように電車内の乗客を『監視』することになる。時雨たち護衛のようないかにも武闘家が客車にいたのでは、他の乗客が何事かと不思議がるかもしれない。その点塔亜たちは、武器こそ持ってはいるが一見ただの子供である。他の乗客に紛れ込むには適任と言えるだろう。
 コンテナ車両に近付いてくる者、特に不審な者がいなければ、ただ座っていればいいだけである。何だそんなことか。反物屋の説明にうんうんと頷いた塔亜は、話の後半を聞き流してさっさとコンパートメントに収まった。
 床にトランクを放り出し、進行方向を向いて座る。柔らかいシートにもたれかかって足を投げ出す。投げ出した足を正面の座席に乗せようとして。
「行儀が悪い!」
 叱られた。
「えっ」
 お叱りの声に顔を上げれば、コンパートメントの入り口にゼファを抱きかかえた日和が立っている。中に入ってきたかと思えば、当然のように塔亜の隣に座る。
「お前あっちじゃねーの?」
 後方、コンテナ車両を指差せば、日和は首を横に振る。更には、後から来た騎左の「日和の座席はこっちだぞ」という追撃を食らい、塔亜は眉間に皺を寄せた。
「何でだよ」
「何でも何も、反物屋が言っていたじゃないか……お前は聞いていなかったようだが」
 どうやら、子供は子供同士、という反物屋の配慮らしい。確かにコンテナ車両に乗り込んだ行商団には同じ年頃の子供などいなかったが、今更そんな配慮が日和に必要だったのだろうかという疑問は残る。何しろ彼女は【東端の島国】からここまで大人ばかりの行商団にくっついてきて観光気分に浸っているのである。仮に彼女が大人相手に尻込みするような人間だったら、そもそも時雨を言い負かしてまで行商団に同行などしないに違いない。
 ……まあ、そんなことを考えていても仕方がない。何でもいいや。そう結論づけた塔亜は、荷物を網棚に乗せようとする騎左の手を断ってトランクを広げた。騎左が迷惑そうな表情で塔亜の正面に座るが、気にせず目当てのものを探す。綺麗に畳まれた衣服をめくっていると、横からトランクを覗いてきた日和が声を上げた。
「ちゃんと荷物が整頓されてる!」
「そんなに驚くなよ失礼だな」
「だって塔亜、うちにいた時は服も畳めなかったじゃない!」
「服を畳めないのは今もだ」
「ちょ、騎左……!」
 騎左の横槍に、塔亜は言葉を詰まらせる。離れていた間にいかに成長したかを(例え偽りでも)日和に見せつけられると思ったのに、これでは台無しどころかむしろ株を下げてしまう。
「え、じゃあこのトランクは」
「俺がやった」
「ああ、やっぱり」
 案の定、日和は呆れたように息を吐き出して肩を上下させた。
「でも逆に安心するわ。服が畳める、整理整頓が出来る、生活能力がある塔亜なんて、そんなの塔亜じゃないもの」
「うっせーぞ!」
 あまりの言われように日和から目をそむけた。視線は何もない方を求め、天井、足元とさ迷い、窓の外に辿り着く。外に見える駅のホームが、ゆっくりと流れ始める。電車が【港の国】方面へ動き始めた。

 移動は順調だった。道中車外から襲ってくる盗賊に出会うことはなかったし、最後尾のコンテナ車両に近付こうとする怪しい乗客もいなかった。行商団の懸念は杞憂に終わり、商人にも商品にも、何事も起らなかった。仕事の必要などなく、極めて順調な電車の旅だったと言えよう。
「お前って奴は本当に最低だな」
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
 塔亜と騎左、二人が喧嘩を始めた以外は。
 二人のことである、喧嘩の原因は相も変わらずささいなこと。今回は、騎左が塔亜のメモを捨ててしまったことが原因だった。【港の国】に着いたら観光をしようと考えていた塔亜は、行きたいところをメモ用紙に書き留めていた。それを適当に折りたたんでトランクに入れておいたのだが、その上から別のものを放り込んだおかげでメモには皺が寄っていた。出発前に塔亜の荷物を整理した際、皺の寄ったメモをごみと勘違いした騎左はそれを捨てた――これがことの一部始終である。
「あれには字が書いてあっただろーが、普通に考えてごみじゃねーだろ」
「大事なものならちゃんとしておけよ」
「勝手に捨てたお前が悪い!」
「どう考えても、俺に荷物の片付けをさせたお前の責任だろう」
 それは電車が【港の国】最寄り駅に着いても収まらなかった。電車から降り、切り離されてホーム裏の車両置き場に運ばれたコンテナ車両に乗り込み、バイクの荷台に二人分のトランクをくくりつけても、二人の言い合いは止まらなかった。連れの行商人や、他の無関係な駅の利用客までもが何事かと振り返る。黙って二人の一歩後ろを歩いていた日和だったが、「いい加減にしなさいよ」と間に割り込んだ。
「あんたたち仕事中でしょ。そんなつまらないことで喧嘩してる場合じゃないでしょ」
「いっこいっこの喧嘩の原因はつまんねーけど、とにかく数が多いから腹立ってんの」
「そんなこと依頼側からすれば関係ないよ。ほら、今だけでもいいから仲直り!」
 日和に言われて渋々と目を合わせる。いつも通り目つきの悪い仏頂面の騎左の顔に、塔亜はまたいらっとする。すぐさま視線を外してバイクのハンドルを握る。騎左もその後ろ、荷台に座る。ゼファが陽の傾きかけた空に飛び上がる。
 互いに悪態をつきつつも仲良くバイクに二人乗りする塔亜たちを見て、日和は「仲いいんだか悪いんだか」と首を傾げていた。
 大国【港の国】最寄り駅は利用客も多い。商業ビルやオフィスビル、宿泊施設が併設されており、その規模は以前立ち寄った北阿地方の駅の比ではない。駅の周りの道も綺麗に整備されていて、特に【港の国】へ向かう一本道はコンクリートでがっちり平らに固められていた。これなら塔亜の怪我に大きく響くことはないだろう。先を行く行商団の車に続いて、塔亜はバイクのエンジンをふかした。
 これまで滞在していた北阿地方は砂漠が広がっていたが、そこから大河を挟んで北側に位置する南汪地方は土壌が豊かで水資源も豊富である。無法地帯には森が広がっており、木の影からは生物の息づかいを感じる。頭上に伸び放題の木の枝が弱くなり始めた太陽光を遮断しており、一本道は薄暗かった。
 木枝がつくるトンネルの中、塔亜は前方に、騎左は後方に注意を傾ける。
 上空から周囲を探っていたゼファが騎左の肩に下りた。
 ……。
「おい」
 騎左が口を開いた。塔亜は前を見据えたまま頷いた。
 この森にはもちろん野生動物が棲んでいるだろう。生物の鳴き声、足音、鳥の羽ばたきが、木の葉が擦れる音に混ざって聞こえてくる。
 しかし、感じる。間違いない。何者か……人間の悪意、敵意を。
 敵意の主は距離を開けることなく詰めることなく、一定距離を保ってついてくる。これに加え、夜が近いせいか道行く人は少ないことを考慮すると、敵意の主のターゲットはこの行商団と断定しても差し支えないだろう。
「どうする? 森に入ってみる?」
「いや、気配は感じるがはっきり位置を特定出来ている訳じゃない。闇雲に動くのはリスクが大きいだろう」
「だな」
 森にいる何者かの存在は、おそらく時雨たち護衛も気付いているだろう。だったら……塔亜は最後尾の車の右側にぴったりとバイクをつけた。騎左はトランクの上で片膝を立てて大刀に手を掛けた。【港の国】第一国門はすぐ目の前。相手が盗賊で、かつこちらを襲う意思があるのなら、門に到達するまでに襲ってくる。残りたったの数百メートル、全神経を尖らせる。
 木の陰で何者かが、銃口が動くのを、塔亜は見逃さなかった。
「させねえよ!」
 右手だけをハンドルから放し、腰のホルスターから改造銃を引き抜いた。片手で構え、銃口を右に広がる森に向ける。銃声が響く。刀を抜いた騎左が飛び出す。飛んできた銃弾を刀で弾き返そうとして。
 銃弾よりもずっと大きい、人間の体当たりをまともに食らってしまった。
「騎左! ……っ!」
 一瞬でも騎左に気を取られたのがいけなかった。また銃声、そしてバイクの目の前には別の人間が飛び出してくる。慌ててハンドルをきり、バランスを崩して横転する。塔亜の身体が運転席から投げ出される。受け身を取って飛び起き車の方を見れば、荷台に立った時雨が掌底で人間を弾き返していた。
「急げ! とにかく門をくぐれ!」
 身を起こした騎左が咳き込みながら叫ぶ。これを聞いた時雨は片手を上げてこちらに応え、前を向いて運転手に指示を出す。車のスピードが上がる。
 銃声を聞きつけたのか、【港の国】第一国門がわずかに開き、その隙間から門番が顔を覗かせていた。猛スピードで突っ込んでくる車を見て更に大きく開く。
「急げ!」
 それぞれの商人から雇われた護衛たちの仕事が商人と金品を守ることなら、行商団から雇われた二人の仕事は行商団を守ることだ。二人には行商団を無事【港の国】に入国させる義務がある。三台の車に先を急がせ、塔亜と騎左は門を背にして道の真ん中に立ち塞がった。二人の後ろでは巨大化したゼファが翼を広げた。肩越しに視線を遣ると、最後尾を走っていた車が門の内側に滑り込んでいた。
 改めて来た道の方を向く。薄暗い一本道が朱に染まり始めている。風が吹き、梢が鳴る。
 騎左に体当たりを食らわせた人間も、塔亜のバイクの前に飛び出してきた人間も、あの時既に息絶えていた。
 もちろん自殺なんかじゃない。額を打ち抜かれていた。これは他殺だ。そして殺害に使われた銃は――先ほどの銃声と同時に、少し前に【砂遺跡の国】で嫌になるほど聞いた銃声を塔亜は思い出した。
 思い出し、比較し、導き出した結論は『合致』。
 あの銃声は、一般に流通している銃のものではない。とある“組織”が独自で製造する、市場で流通していない拳銃の発砲音である。
「また……“奴等”なのか!」
 武器を構え直す。木の陰に目を凝らす。聴覚を研ぎ澄ます。
 再び銃声がこだました。騎左が素早く反応し銃弾を弾き返す。繁みから飛び出してきた人影に騎左が刀を向ける。塔亜が銃口を向ける。相手からも拳銃を突きつけられる。
 一瞬女と見間違ったが、顔つきや肩幅からすぐに男だと分かった。勘違いの原因は背中まで伸びる栗色の髪。ストレートで艶のある長髪が風に合わせて揺れている。身につけている黒いコートの裾はほつれていたが、きっともともと上等なものなのだろう、みすぼらしくは見えなかった。
 一般に流通していない武器を持っているからといって、この男が二人の探し求める“組織”の人間だと合点するにはまだ早い。左手の甲さえ確認出来れば、その左手の甲に賭博のカードのマークを模した“組織”の紋章が刻まれていれば、予想は確信に変わる。しかし、それを確認しようにも男の両手にはコートと同じ黒いグローブがはめられており、見ることが出来ない。
 どうするべきか――互いに武器を向け合い緊迫した空気が流れていたが、そこに割って入ってきたのは軍所有車のサイレンだった。
「世界軍か」
 男は門の内側から姿を現した車を見て口の端を上げると間合いを詰めてきた。ガードを固める前に塔亜の横面を殴り飛ばし、その隙に森の中へと姿を消した。騎左がそれを追おうとしたが、濃紺に山吹色のラインの走った軍所有車から降りてきた男に止められた。
「追わなくていい、それは軍の仕事だ」
「しかし!」
「民間人が首を突っ込むことじゃない」
「そんなこと知るかよ!」
 立ち上がりながら言い放つ塔亜の襟元を軍人が掴む。
「放せ!」
「あの男なら!」
 叫ぶ軍人の気迫に圧倒され、塔亜は抵抗するのをやめた。
「あの男なら……またすぐにこの国を襲いに来る」
「なぜそう言い切れるんだ」
 青い髪の軍人は騎左の問いに言葉を詰まらせたが、顔を上げて二人を見据える。襟に輝く緑二つ星の徽章を示し、声を張り上げた。
「南汪地方【港の国】指令所所属、維遠中尉である。貴様ら二人にはついてきてもらいたい」
 国を目の前にして敵意と相対し、軍人に連れられて入国手続きをすることになるとは。やれやれとでも言いたげに、ゼファが首を横に振った。しかしこのさんざんな入国は、あくまで事件の序幕でしかなかったのだと、こののち二人は思い知ることになる。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ