10.


「……は?」
 一拍間をおいてから「いやいやいやいや」と塔亜が首を横に振った。
「いや、えっ、あの、意味分かんないんだけど」
「意味だと? 言葉通りだが」
「そうじゃねーよ! 何だよ『半永久的』って!」
 軍がこちらを拘束しようとしていた、というところまでは推測通りである。しかし、半永久的に、というのは想定外だ。拘束の理由は昨日の襲撃事件の事情聴取ではないということか。そうであれば、なぜ拘束されなければならないのか。
「理由が分からないまま条件をのむことは出来ない。説明を求める」
 騎左の発言に「もっともだな」と頷くと、維遠は紙袋を床に置き、その中から一冊のファイルを出した。
「では、昨日の事件よりも先に、まずは先週からこの国で起こっていた事件について説明しよう」
 ファイルを開いた一ページ目には、『少年連続傷害事件』と書かれていた。
【港の国】では、少年が襲われ怪我をするという事件がこの一週間で六件発生していた。一日に一件ペースで発生していることになる。襲われた少年は決まって十代半ば、そして髪の色は決まって金か黒だった。
 連続事件の一件目が発生したのは【砂遺跡の国】での事件が一段落してから四日後、それから日を置かずに被害者は増え続けた。被害者は全員命に別状はないが、全治二週間から一カ月の怪我を負わされている。
「被害者たちの特徴、事件が【砂遺跡の国】の一件以降発生しているということ、そして【砂遺跡の国】での事件そのもの。これらの状況から、この連続傷害事件は“組織”貴様ら二人を狙ったものだと、軍は判断している。二人とも、【砂遺跡の国】の一件で完全に“組織”から目をつけられたそうじゃないか」
 ――“組織”。
【砂遺跡の国】で起こった事件の犯人は反政府組織の構成員であり、その組織の名は“スペード”という。“スペード”は世界各国の政府、そして世界の治安を守る世界軍に強い恨みと反抗心をもっていると見られ、過去にはとある島国をひとつ焦土とし、とある国の中心人物を消し去り、先日は【砂遺跡の国】を国の機能が停止する寸前まで追いやった。
 世界中で大規模な事件を起こしている“組織”と世界軍は、互いが互いを潰さんと、長い間戦争状態にある。その“組織”を塔亜や騎左のような軍人でも何でもない少年たちが追っている理由は、二人が昔生活していた孤児院の放火事件にあった。幼かった二人は、孤児院の焼失により家も友人も失った。その放火の犯人こそが“組織”だったのだ。
 居場所を失った二人は、その穴を埋めるかの如く“組織”を探し求めた。そんな彼らを、“組織”側もまた同様に狙っている。その原因は【砂遺跡の国】の事件で二人が“組織”の構成員を一人殺したところにあった。
 塔亜と騎左も、“組織”も、復讐の為に互いに刃を向けあっているのである。
 今回の傷害事件はおそらく、“組織”は金髪と黒髪の少年を襲撃し続けることで――しかも明らかに塔亜と騎左を狙っていると匂わせることで、二人に“組織”の存在を知らしめるとともに二人をおびき出そうとしたのだろう。そうして現れた二人を“組織”は殺そうと企んでおり、世界軍には二人を保護する義務が発生した。
 二人が“組織”から狙われ続ける限り軍は二人を保護、保護の為に拘束する。これが『半永久的に監視下に置く』の真意だった。
「こちらの事情は理解したか?」
「んー……理解も何も……」
 軍の条件をのめば私物が返される代わりに監視がつき、自由が奪われる。逆に拒否した場合について維遠は話そうとしないが、おそらく強制的に拘束され、軍と“組織”の戦いが終わるまで軍施設に隔離されるに違いない。いずれにせよ塔亜たちに自由など与えられないのだから、この二択しかないのであれば前者を選ばざるを得ない。
「言いたいことは分かったけどさあ」
 塔亜は維遠と目を合わせずに唸ったが、ふいに顔を上げ、「あれ、それじゃあ」と呟いた。
「昨日の事件も、本当は行商団じゃなくて俺たちを……?」
「それは違う」
 きっぱり言い切る維遠に騎左が首を傾げる。
「じゃあ昨日のは“組織”とは関係ない、別の事件ということか?」
「いや、犯人は“組織”だ」
 そう言うと維遠は紙袋からファイルをもう一冊出した。
 昨日遺体となって二人の前に現れた男たちは、以前から【港の国】近辺で行商団相手に盗難事件を繰り返していた盗賊だった。昨日もいつもと同様行商団を襲い金品を奪おうと時雨たちの車を狙っていた。しかしいつもと違ったのは、そんな盗賊たちに殺意が向けられていたことだった。行商団に襲いかかる前に“別の何者か”に額を銃で撃ち抜かれ殺害された盗賊たちは、 “別の何者か”の奇襲の道具として利用された――これが昨日の事件の真相だと、維遠は語った。
「その“別の何者か”っていうのが、連続傷害事件とはまた別の“組織”の人間だって……そういうこと?」
 維遠が頷く。
 塔亜の声がかすれる。
「そう判断した根拠は? 勘って訳じゃないんだろ?」
 再び維遠が首を縦に振る。
“別の何者か”、つまり昨日姿を見せた栗色の長髪の男のことだ。やはりあの男は“組織”の人間だったのだ。襲撃された時に聞いた銃声が塔亜の耳の奥にこだまし、殴られた左頬がじわりと痛みを主張した。
「なら教えてくれ。どうして“組織”が行商団を襲ったのか」
「……」
「理由によっては行商団が危ないだろ? 仕事しないと……俺たち、護衛なんだから」
「それは……」
 言葉を切った維遠は腕を組み、背にしていた病室の扉に体重を預けた。口をつぐみ、一度天井を見上げたかと思うと今度は窓の外を見た。視線が定まらず、落ち着きなく周囲を見回している。
 それまではっきりと全てを断言してきた維遠が、突然言葉に詰まった。眉根を寄せた騎左が言葉を重ねるべく口を開く。しかしそれとほぼ同時に扉をノックする音が三回、それに続けて「維遠中尉、いらっしゃいますか」という女性の声が聞こえ、騎左は何も言わない代わりに深く息を吐き出した。
 維遠が扉を開けると、その向こうから緋色の髪の女性軍人が顔を出した。彼女の軍服は維遠や風谷が着ている男性用とは異なり女性用で、上衣の丈が長めに作られている。戦闘中でもないのになぜか左の肘から手首までを覆う腕甲を装備しており、肩当てから腕甲までは鎖が伸びていた。
「准士官か。どうした」
「患者さんたちに面会と、それから中尉、少しお時間いただけますか」
「分かった」
 部屋を出る維遠と入れ違いに病室へ入ってきたのは日和だった。今日も臙脂の【東端の島国】民族衣装をまとい、長い黒髪を高い位置でひとつにまとめている。
「うわ、何?」扉を後ろ手に閉めながら、日和は目を丸くした。「何なの二人とも、病人みたいだね」
「病人じゃねーよ」
「病人じゃない」
「そんな、声揃えなくたっていいじゃない」
 日和も二人が着せられている病院服を見てそんなことを言ったのだろうが、もちろん二人とも病を患ってなどいない。塔亜は怪我をしているだけだし、騎左は健康そのものである。
 次に日和に会った時にはあれこれ訊ねようと思っていた塔亜だったが、つまらないことに出鼻をくじかれ言葉が出てこない。
「あーもう」
 右手で金髪を掻き、仕方なしに言った台詞は「お前、よくここが分かったな」という当たり障りのないものだった。
「事件の被害者ってことで、あたしたちも指令所で事情聴取受けてたの。その時に、あたしと同じくらいの年の男の子がもう二人いなかったか、って訊いたらここのことを教えてもらってね」
 日和だけではない、昨日は他の商人や護衛たち全員が一度軍に保護され、事情聴取を受けたのだそうだ。幸い怪我人もおらず、すぐに解放された商人たちは、さっそく今日から仕事に取り掛かっているらしい。商人が仕事を始めたということは、時雨たちの護衛任務も続行しているということである。時雨も仕事に赴き、ただ一人仕事もなく時間のある日和が、彼女らの代わりにこうして塔亜たちの元を訪れたという訳だ。
「お母さんたちも心配してたよ、襲われた時にはぐれちゃったから」
「でも俺たち怪我した訳じゃないし、大丈夫だって」
「あれ、骨折してるんでしょ」
「それは昨日のは関係ねーし」
「分かってるよ」
 塔亜相手に軽口を叩きながら。
「病院にいるって聞いたから驚いたけど……元気そうで安心した」
 日和は口元を緩めた。
 日和の視線は、今度は騎左に抱えられたゼファに向けられた。「あなたも怪我はないの?」と訊ねる日和にゼファも頷き返す。差し出された日和の両手にゼファが飛び移る。手のひらに頬をこすりつけるゼファの頭を撫でると、ゼファは気持ちよさそうに目を細めた。
「あっ、そうそう」日和がふと顔を上げた。「あたし伝言預かってきたんだよ」
「伝言?」
「そう、反物屋のおじさんから」
 日和が反物屋から預かってきた伝言とは、護衛任務に関することであった。
 曰く、盗賊(軍は行商団に対して、昨日の事件の首謀者を『盗賊』と説明しているようだった)に襲われはしたが誰一人として怪我もなく、金品も無事だった。非常に助かった。ついては報酬を渡したいので会いに来てほしい――とのこと。今日は国内の服飾店を回って反物を売り歩く為時間がないが、明日以降は城門前広場でテントを張るのだという。そこでなら確実に会えるだろう。
「本当か。それはありがたい」
「あっでも、おじさんも行商人だし、ずっと【港の国】にいる訳じゃないから早い方がいいかも」
「それもそうだな」騎左の指が顎に触れた。「それなら明日さっそく向かおう」
「明日? もう退院出来るの?」
「ああ、このあと手続きをするんだ」
「そうなんだ。おめでとう!」
 何も知らない日和が笑顔で言う。しかし実際は、退院の手続きと同時に自由がなくなる。軍に監視される生活が始まる。
「当ったり前だろ、こっちは元気なんだからさ」
 答えた塔亜はしかし彼女を直視出来ず、仰向けにベッドに転がった。首を回して窓の外に目を向ける。やはり、壁しか見えなかった。
 扉が開き、一度外へ出ていた維遠が戻ってきた。先ほどの女性軍人も一緒である。維遠の顔を見た日和はゼファを騎左に抱かせ、ベッドから一歩離れた。
「手続きとか何とかがあるなら、邪魔になっても悪いし、今日のところは帰るね」
「そうか。伝言、感謝する」
「いいえー頼まれたことをやっただけだから」
 じゃあね、と手を振り、日和はこちらに背を向けた。
 染みひとつない天井をぼんやり眺めていた塔亜だったが、ドアの開く音で上体を起こした。廊下に踏み出した昔馴染みの名を呼ぶ。彼女が肩越しにこちらを見返してくる。こういう時、何が最も適切な台詞なのか塔亜には分からなかった。しかし、何かを言わずにはいられなかった。
「ええと、その……気をつけろよ」
 無理矢理紡いだ言葉に日和は小さく首を傾げたが、すぐに「うん、分かった」と頷き返した。再び顔が廊下に向けられ、その表情が見えなくなる。「外までお送りします」と言う女性軍人に連れられ、日和は今度こそ病室を後にした。
 扉が閉まり、外からの雑音が遮断された。一瞬、音がなくなった。
 日和が来る前までしていたのと同じように、維遠は部屋の扉に体重を預けた。塔亜とも騎左とも目を合わせようとしない。
「なあ、さっきの話の続きだけど」
 塔亜の呼びかけにも顔も上げない。
「“組織”が行商団を襲った理由というのは何だ?」
 騎左の声に表情も変えない。
「『あの男ならまたすぐにこの国を襲いに来る』……お前、昨日そう言っただろう? これはどういう意味なんだ?」
「……今は、言えない」
 維遠の言葉は二人の疑問を押し戻した。
「とにかく、我々【港の国】指令所は貴様らを監視下におく。まずは退院の手続きを……」
「誤魔化す気かよ」
「そうじゃない!」
 大きな声にゼファが身をちぢませる。しかし音量の割に、維遠の声に芯はなく、震えていた。
「場所を変えよう」
 維遠はそう呟くと、床の紙袋を拾い上げた。それを二人にぐいと突き出す。無言の圧力に思わず受け取ってしまった二人は、その瞬間自由が失われたことを自覚した。
 押しつけられた紙袋の重みはどこか心地よく、しかしずしりと二人の腹に圧し掛かった。



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