7.


 翌朝、騎左は(なかなか起きようとしないところを叩き起こされたせいで若干不機嫌な)塔亜と行商団が宿泊している宿へと赴き、反物屋と結局宴会の席では出来なかった依頼の打ち合わせをした。行き先は昨夜も話していた通り【港の国】。目的地へ至るまでの道中において、盗賊の類の早期発見と万一襲われた場合の対処が大きな仕事となる。
 報酬の話の最中に塔亜が言った「こっちも身体張るんだしもう一声……」という台詞は近くにいた時雨の耳にも入り、「馬鹿者、生意気だ」とげんこつを食らう原因となったが、それは打ち合わせには全く関係のない話である。
 出発は昼一番、時間厳守。宿に戻り、塔亜は夜中に広げたマシンガンのパーツの片付け、騎左は荷物の整理に取り掛かった。
 商人に宛がわれる店舗として利用される横穴は一枚岩の表面をただの掘っただけのシンプルなものだが宿屋のそれは例えるなら木の枝で、長く掘られた横穴から更に横穴が分岐し、その両脇に部屋が掘られている。空気循環の為に空気穴はあるが、これは決して窓ではない。外からの明かりが差し込むほどではなく、室内の光源は無数に設置されたランプのみ。そのせいか部屋の中にいると時間の感覚が狂うようで、騎左は昨日買ったものや私物を確認しながら何度も時間を確認した。
「あっ騎左ーこの箱もよろしく」
 自分のトランクを閉め、塔亜のトランクを覗いた騎左に、塔亜が紙箱を放り投げた。箱の角が騎左の頭に命中する寸前にゼファが割り込み、鉤爪で掴んでトランクに入れる。騎左は溜め息をついた。
「『よろしく』じゃないだろう。お前の私物なんだ、自分で片付けるってことをいい加減に」
「俺がやるよりお前がやった方が早いじゃん、得意な奴が得意なことやる方がいいって。適材適所ってやつ?」
「お前のはただの怠惰だ!」
「何だとっ」
 塔亜が右太腿にくくりつけていたナイフに、騎左がテーブルの上に置いてあった大刀に手を伸ばした。構えた刃にランプの明かりが反射する。
「先手必勝!」
 身体を沈めて床を蹴り、塔亜は騎左に正面から突っ込んだ。突き出された刀をナイフではじき、騎左の胸元に飛び込む。そのままナイフを突き出そうとして。
 廊下から聞こえてきた時計の時報にはっとした。
 ナイフを引っ込め、騎左の身体をかわす。自分のトランクに飛びつき、中から懐中時計を引っ張り出す。ここしばらく時刻合わせをしていないせいで聞こえてきた時報の時刻とは差があったが、今は細かいことは気にしない。だいたいの時間を把握し、「やべえ」と唸る。今朝反物屋と打ち合わせた時間が迫っていた。
「じゃ、今のは俺の勝ちということで」
「馬鹿言え、勝負なんかついていないだろう」
「何だよナイフ刺したら終了だったじゃん」
「あのくらいかわせる」
「どうだか」
「それより早くそれを片付けろ」
「おっと」
 床にはマシンガンのパーツがまだ転がっている。それを組み立ててケースに戻すまでの時間、そして未だ片付かない塔亜のトランクを考慮し、騎左は再び溜め息をつく。トランクの整理を手伝ってやらないことには約束に間に合わない。結局いつも、こうして手伝ってやる羽目になるのだ。だらしない奴が得をしてこちらが振り回されるのは納得がいかないと思いつつ、丸めた紙屑など明らかなごみの中から必要であろうものを選り分けトランクに詰めた。ごみとして分けた中に塔亜にとって必要なものがあったとしても騎左の知ったことではない。自分で片付けない塔亜が悪いのである。あとでうるさく噛みつかれても無視しようと心に決めた。
 そしてしばらく後のこと。廊下の壁時計が次の時報を鳴らす前に、塔亜はマシンガンのケースの蓋を閉じた。内心やってやったぜと叫びながら目を上げれば、ベッドに腰掛けた騎左は、身支度は全て済んでいると言わんばかりの目でこちらを見降ろしている。後片付けは、やはり騎左の方が圧倒的に得意なのである。
 騎左がバイクの鍵を塔亜に放り投げた。鍵は放物線を描き、見事塔亜の手に収まった。
「時間だ」
「……おう」
 受付で部屋の鍵を返し、宿に預けていたバイクを受け取った。トランクを二つ、荷台にくくりつける。エンジンはかけずに押して運ぶ。行く先はもちろん、行商団との待ち合わせ場所である。
 円錐形の一枚岩を取り囲み連なっている岩の山々には裂け目が数カ所あり、塔亜たちが通り抜けてきたのはその中でも小さなところだった――というのは後から知ったことだ。待ち合わせに指定された場所は裂け目というよりトンネルで、もっと広く通りやすいところがあったのかと思うと、なぜあんな曲がりくねって面倒な道を選んでしまったのだろうかと少し悔しい。
 トンネルの前では行商団の者たちが既に出発の準備を整えていた。荷台付きの車が三台停まっており、いずれにも品物が積まれ、商人まで乗り込んでいる。その内の一台の運転席に収まっているのは依頼人である反物屋だ。
「すまない、遅れたか」
 騎左が車に駆け寄ると、反物屋は「いいや、時間より早いくらいだよ」と首を横に振った。
 これで護衛含め行商団が全員揃ったことになる。「出発しよう」という反物屋の声に、騎左もバイクの荷台に戻ろうとした。戻ろうとして足が止まったのは、時雨に捕獲され連行されている塔亜を視界の端に捉えたからで、それではバイクの運転席には誰がいるのかと思えば、日和がエンジンをかけている。
「……日和?」
「あ、騎左君、早く後ろ乗って」
「塔亜は」
「あっちの荷台」
 日和が指差した方を見ると、車の荷台で品物の隙間に収まっている塔亜が見えた。不満を全面に押し出した表情で、何やら時雨に文句を言っているようだ。
「どうしたんだ」
「あいつ、怪我してるんでしょ?」
「ああ、まあ……塔亜に聞いたのか」
「昨日大声で『怪我してる』って言ってたじゃない」
「そういえば」
 怪我、正しくは肋骨骨折。全治四週間と医者からは言われている。
「痛がってるってことは、安静にしてなきゃ駄目なんでしょ? だったらこの辺のがたがた道走るなんて駄目じゃない。だから車に乗ってもらって、バイクは私が代わりに運転してくことにしたの」
「そうか」
 おそらく塔亜本人は、大丈夫だ、運転出来ると言い張ったに違いない。それでも荷台に乗れと言う時雨に逆らえず、だからこそのあの不満顔なのだろう。一年以上疎遠だったとは聞いているが、師弟関係は今も十分健在のようだ。
 反物屋の車が走り出した。二台目、三台目とそれに続く。
「ほら、乗って乗って」
 促されるままに、トランクの上にいたゼファを肩に乗せ、騎左はいつも通り荷台に座った。いつもと違うのは、目の前に見えるのが憎たらしい金髪頭ではなく黒髪の小さな少女だということ。
「それじゃあ行きましょ」
 日和は笑顔で振り返った。
「私だってちゃんとバイクの免許持ってるんだから」
 三台目の車の後に続き、日和の運転するバイクは砂煙をあげて走る。石に乗り上げる度に車体が跳ね上がるが、塔亜にするのと同じように日和にしがみつく訳にもいかずトランクの角を掴む指先に力を入れる。周囲を警戒しながら落ちないよう細心の注意を払うのは想像以上に疲れるものだ。
「ねえ」そんな騎左の気持ちを知ってか知らずか、日和が話しかけてきた。「昨日、お母さんと何話してたの?」
「昨日?」
「ほら、酔ったお母さんに絡まれて……」
「ああ」
 昨夜、反物屋から護衛の依頼内容について話していた最中に時雨に乱入され、酔っ払った大人たちの輪に放り込まれたことを思い出す。あの後は飲め飲めと酒を勧められ、それを未成年だからと全て断ると今度は酌をしろという命を受けた。結果、片っ端から酒瓶の栓を抜く羽目になったのだった。
「別にたいした話はしていない。『昔どこかで会ったよな?』とは訊かれたが」
「あれ、会ったことあるの?」
「さあな。少なくとも俺は覚えていなかった」
 答えた辺りで騎左の指が限界に達する。こんなつまらないことで無駄に体力を消耗する訳にはいかない。
「空から周りを見てくる」
 日和に短く告げると、騎左は巨大化したゼファの背中に飛び移った。



   ◆



 空高く舞い上がったゼファを見上げ、時雨は「おーあれが」と口笛を鳴らした。
「やっぱり妖鳥だったのか、珍しい鳥だとは思っていたが」
「師匠、知ってるの?」
「当然だ。私はこれでも元王家直属軍人だぞ」
「あ、そうか」
 時雨は今でこそ【東端の島国】の体術道場師範だが、かつては【東端の島国】王家直属軍の体術部隊に所属していた軍人である。居候を始めた時には既に軍を除籍になっていた為、塔亜も詳しい話を知らないし聞いてもいないのだが。
 ……そうだ、時雨はこれまで自分から元軍人だと言ったことはなかった。塔亜がこのことを知るきっかけとなったのは、以前日和が言っていた「昔はお城に住んでたの」という台詞だ。それが気になってあれこれと日和、時々時雨にも訊ねたから事実に辿り着いたのであって、時雨が自ら進んで発言した訳ではない。
「どうしたのさ師匠」車の荷台に寝そべっていた塔亜は上体を起こした。「急にそんなこと言い出して」
「そんなこと、って?」
「元軍人だ、なんて、師匠の口からちゃんと聞いたの初めてだよ」
「そうか?」
「そうだよ」
 頭上をゼファが舞い、荷台に影を落とす。銀白色の妖鳥は、青い空に流れる白い雲に溶け込むように羽ばたいていく。
「まあ、そろそろ十一年だからな」
 時雨のその呟きに塔亜は首を傾げた。
「十一年? 何が」
「私が軍役を退いてから、だ。時効かなあと思ってね」
 大きな石に乗り上げたのか、車体が弾んだ。荷物にしがみつき、荷台から首を出して進行方向に向ける。砂煙の向こうには【国境の駅】が見え始めていた。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ