6.


 一通り思い付く限りの買い物を済ませた頃には日が傾き始めていた。時雨に誘われている夕食の時間は近い。一度宿まで戻り、受付で部屋の鍵を受け取った二人は、ロビーに日和を待たせ宛がわれた部屋に入った。
 既に二人分のトランクは部屋に運ばれていた。しかしそれだけではない。
「ゼファ、ここにいたのか」
 トランクの上で丸くなっているゼファを発見した。ゼファもこちらに気付き、嬉しそうに羽ばたくと騎左の肩に飛び移った。
 たった今買い揃えたものをトランクの脇に並べる。騎左がそこへ更にもうひとつ紙袋を置く。そういえばこの袋が反物屋のテントから時からずっと抱えられていたことを、塔亜は思い出した。「何?」と訊ね、対する騎左の答えは「お前のものだ」。何だろうと袋を開け、脱力した。
「何だ、俺のじゃん」
 先ほどまで騎左に着せていた塔亜のシャツと真っ赤なセーターが、几帳面にも畳まれて入っていた。
「だから言っただろう、お前のものだって」
「大金使い込んだ俺へのお詫びでも入ってるのかと」
「大金使った上に更に出費していいのか?」
「でも俺への還元があったっていいんじゃないの?」
「そんなもの、ある訳ないだろう」
「えー」
 頬を膨らませて子供のように文句を言う塔亜だが、騎左もいちいちそんなものには取り合わない。取り合わないばかりか先に一人で部屋を出ていこうとする。
「あ、おい、待てって」
 塔亜も紙袋を放り投げ、部屋の扉のノブに手を掛ける。一度外に出、慌てて部屋に戻る。ベッドの上に投げ出されていた鍵を掴み、改めて扉を開けた。トランクの上では、たった数十秒前までは綺麗に畳まれていたセーターが、既に皺を寄せていた。
 三人で反物屋のテントの近くまで戻ると、反物屋は店じまいの支度を始めていた。品物を全て木箱に詰め、更にはテントの骨組まで倒している。テントを片付けるという行為が意味しているのは、商売の為に次の土地へ移動する、ということ。
「ここでの商売は今日までなんだ」
 声を掛けた反物屋も、テントの天幕を畳みながらそう言っていた。塔亜が「お前、運がよかったんだな」と騎左を見遣ると、「日頃の行いがいいからな」とどことなく偉そうにしていた。
 反物屋は時雨から伝言を預かっていた。曰く、『広場にて待つ』。広場とはおそらく、テントの立ち並ぶ商業スペースから一枚岩の山を挟んだ反対側にある平らな土地のことだろう。まるで果たし状のような文面に時雨らしいと苦笑しつつ、店じまいをする商人たちの間をぬって一枚岩の麓をぐるりと半周した。
 広場に踏み込んでまず気が付いたのは、香ばしいにおいだった。少し遅れて、暖かな空気の流れと薪がはぜる音を知覚する。立ち上る煙の下では焚き火が揺らめき、串に刺さった肉や魚、野菜が焼かれていた。
 炎の脇にかがみ、食材の火の通り具合を確認しているのは、昼間出会った茶屋の女店主だった。
「おばちゃん!」
 塔亜が声を掛けると、彼女は「君たちも来てくれたんだ!」と笑みを浮かべた。
「『来てくれた』……って、これどういうこと?」
「あれ、知ってて来たんじゃないの」
「いや何にも」
「これからここで商人たちが宴会をするんだよ」
 テントを片付けていたのは、反物屋だけではなかった。他にもテントを畳んでいた商人はいた。彼らは大勢で隊を成し【東端の島国】から来た行商団、その内の一人が反物屋なのだ。団体で来た彼らは団体でここを離れ、次の場所へと移動する。そんな行商団を、女店主のような明日以降もここに留まって商売を続ける【東端の島国】出身の商人たちが送り出す。その為の宴会だ――これが女店主からの説明だった。
 茶屋の旦那をはじめ、彼女の他にも多くの大人が食事スペースを用意したり食材や飲み物を運んだりと動き回っている。
 行商団には、時雨たち護衛も含まれる。おまけでついてきたとはいえ、日和もその一員だ。彼女たちの為に、見知らぬ大人たちが働いてくれている。
「私にもお手伝いさせてください!」
 話を聞いて黙っていられなかったのか、日和がそう申し出た。
「何かすることはありませんか」
「それじゃあ、この食材をとにかく焼いてくれないかな。たくさん食べる男が何人もいるようだからね、食事もたくさん用意しなきゃ」
「はい!」
 串刺しの肉、魚、野菜が山のように盛られた皿がそれぞれ一枚ずつ、女店主の影から現れた。しかし人数を考えるとこれだけでは足りない。彼女はおそらく、これから追加の串の準備に取り掛かるのだろう。
 そして彼女が言い残していった「ここはよろしく」という言葉。日和だけでなく塔亜や騎左にも向けて言っていたに違いない。立ち去る前に目が合ったのがその証拠だ。
「やるべきか……」
「やるべきだろうな」
「タダ飯食えるって聞いたから来たのに、これじゃタダ働きじゃねーか」
 口を尖らせた塔亜は落ちていた小枝を拾い上げた。炎を取り囲むように串を立てている日和の隣にしゃがんで、小枝で薪をつつく。すると薪は一際大きな音を立ててはじけ、火の粉が舞った。薄暗くなり始めた空で明るく輝いた火の粉は塔亜の頭に降りかかる。それを顔面で受け止める。
「熱っ!!」
 固い地面にしりもちをつき、その衝撃が怪我に響く。
「痛っ!!」
 左手で頬を拭い右手で胸部を抑えるがそれで痛みと熱さが治まる訳もなく、何とか気を紛らわせようと地面を転がり始めた。身体の異常を訴える感覚は冷や汗に繋がる。汗ばんだ肌に砂が貼りつく。やはり砂は気持ち悪い。痛覚が去らぬ中、意識だけは冷静さを保っていた塔亜は、タダ働きのあと(にありつけるはず)のタダ飯を食べたら痛み止めを忘れずに飲もうと決めた。
 不意に、頬に冷たいものが押し付けられ、痛みが僅かに和らいだ。転がるのをやめ、目を動かす。頬には結露が滴る酒瓶が当てられており、それを持つ腕を辿ると【東端の島国】民族衣装の藍白の袖が目に入った。騎左の着ている菖蒲色でも、日和の緋色でもない。更に肩、顔と見上げて、ようやく時雨だと気付いた。
「何みっともない真似してるんだ、お前は」
「師匠いたの?」
「『いたの?』じゃないよ、いたよ」
「いつから」
「『これじゃタダ働きじゃねーか』あたりから」
 パーカーのフードを引っ張られ、半ば強制的に立たされる。筋肉質の腕に首回りをがっちり固められ、動くことが出来ない。
「働かざる者食うべからず、よーく分かっているだろう?」
「でも聞いてたのと話違うっつーの」
「勝手に勘違いしたのは塔亜だろう」
「勘違いさせたのは師匠じゃん!」
「さあ働け! 男だろう! 力仕事だ!」
 机や椅子などを運び食事のスペースを準備している輪に放り込まれ、「俺これでも怪我してるんですけど!?」と叫ぶ塔亜を横目に見ながら、騎左は日和の脇に並んで黙々と魚を焼いていた。ゼファも見よう見まねで野菜の串をくちばしでくわえ、首を精一杯伸ばして火に近付けている。しかし熱風に煽られて驚き、串を落としてしまった。ごめんなさいと言わんばかりに見上げてきたゼファの頭を撫でて串から外した野菜を割り、自分の影でその中身を食べさせた。
 用意されている魚は生ではなく、調味料に漬けて干した保存用のものだった。【東端の島国】で古くから製造されている、騎左にも馴染みのあるものから、鮮やかな緑色の正直食欲をそそられないものまで、世界各地の魚が並んでいる。焼いて焦げ目がついたら緑色も気にならなくなるだろう。そう考えながら炎で炙り、気付いたことを口にした。
「時雨さん、さっそく出来上がっていたな」
「……気付いた?」
「酒のにおいが」
「そうだよねえ」
 焼けた肉を別の皿に盛りつけ、空いたスペースに野菜の串を並べながら、日和は額に手を当てた。
 塔亜の頬に押し当てられた酒瓶は既に開封されていた。封が開いていたどころか、半分ほど中身がなくなっていた。護衛が宴会の始まる前からそんな調子でいいのだろうかと思わなくもないが、照名族自治区内での争いは御法度。治安のよさは北阿地方や南汪地方の中では随一で、戦時中を除きこの自治区で盗難などの犯罪が起こったことはないと聞く。そもそも護衛は主に、国や自治区の間に横たわるどの国でもない領土、つまり無法地帯において商人や商品を守る為に雇われているのだから、雇い主さえよければこれでいいのだろうが。
「お母さんお酒好きだから」
「強いのか?」
「うん多分、それなりには」
「明日以降響かないのなら問題ないだろう」
「随分と寛容なのね」
 くすりと笑った日和の髪が、炎の生んだ上昇気流になびいた。黒い髪は、炎に照らされて、夕陽色に輝いていた。
「何かおかしなことを言ったか?」
「ううん、最終的に都合よく収まればいいやっていう考え方、塔亜と一緒だなって」
「そうか?」
 性格も得意なことも考え方も、似ていると思ったことは一度もない。むしろ騎左としては、あんなのと一緒にされてはたまらない。納得がいかないと日和に伝えたが、それでも似ていると抗議は却下された。
「ねえ、騎左君は塔亜とどこで知り合ったの?」
 これまでの話とは一切関係なく突然過去のことを訊ねられ、騎左は視線を上に移した。数秒ぼんやりと空を見上げ、初めて塔亜と出会った時のことを思い出す。
「最初は孤児院だ」
「孤児院……」
 養父から剣術道場を破門になり、行き場がなくなった結果、孤児院の門を叩いた。そこにいた、同じ歳で誰よりも声が大きい喧しいのが、塔亜だった。
「あっ、じゃあ君が火事で生き残ったもう一人?」
「ああ」
「そう、なんだ」
 二人の呟きが風に乗り、空にとける。ここから少し離れた食事スペースでは準備が整ったらしく、乾杯の音頭がとられている。酒瓶がぶつかり合う澄んだ音は、宴会の始まりの合図だった。
 準備が終わり解放された塔亜が騎左と日和の元に戻ってきたのは、宴会が始まってしばらく経ってからだった。文句だらだらかと思いきや、片手に皿、もう片方の手にはジュース瓶と、宴会を満喫している様子である。祖国から遠く離れたこんな場所では、塔亜のような若い人間は珍しいというたったそれだけの理由で、行商人たちから可愛がられてきたらしい。「妖しいジュースもらった」と嬉しそうである。
「妖しいって、それ何?」
「南備の方で栽培されてる貴重な果物のジュースだ、って言ってた」
「誰が」
「これくれたおっさん」
 焼いた食材を大人に出しつつ自分たちも焼きたてをつまんでいた騎左と日和の間に割り込み、日和の持っていた肉の串とジュース瓶を交換する。
「えっ何!」
「まあ飲めって」
「何その言い方、おじさんみたい」
 三人と一羽、横に並んで座り、時折憎まれ口を叩きながらも平和に食事をしていた時だった。声を掛けられそちらを見れば、時雨を雇い、騎左に着物を売ったあの反物屋がこちらに近付いてきていた。
「昼はどうも、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ」
 頭を下げる反物屋につられて、立ち上がった騎左も礼をする。
「時雨さんから聞いたよ。君たち、旅をしているんだってね」
「ああ」
「ここを出たらどこへ行くつもり?」
「【港の国】へ行こうと思っている。ここへはその途中で寄ったんだ」
 そう答える騎左に、反物屋は「奇遇だねえ!」顔を綻ばせた。その意図が分からず「どういう意味だ?」と訊ねたがうんうんと頷くばかりでそれには答えず、反物屋は逆に質問を返してきた。
「時雨さんのお弟子さんなんだっけ?」
「ああ、それは俺じゃなく、俺の連れが」
 自分のことが話題に上り、塔亜は口に詰め込んでいた肉を急いで咀嚼した。飲み下し、「何ー?」と立ち上がる。
「俺のこと? 呼んだ?」
「ああ、君が時雨さんの……お弟子さんなら、さぞ強いんだろうね」
「当ったり前だろ!」
 塔亜が胸を張って答えると、反物屋は「よし」と小さく呟いた。
「君たちに、私たち行商団の護衛を頼みたいんだ」
 偶然にも、反物屋たちの行商団も次の目的地は【港の国】だった。【東端の島国】からここまでの旅路では特に危険なことなどなかったが、これから【港の国】へ向かう道は危険が予測されている。その理由のひとつとして挙げられるのが、先日の【砂遺跡の国】での事件であった。
 国王が殺害され、国内の組織や施設も爆破され、国の機能をほとんど失ったあの事件は、近隣諸国やどの国の領土でもない無法地帯にまで影響を及ぼしていた。事件の首謀者は反政府組織だと言われており、組織の構成員が国外に逃亡している可能性は十分にある。【港の国】は南汪地方の最南端に位置し、【砂遺跡の国】とも位置的に近い。その為、そこへ至る道中に殺人犯や爆破犯がいる可能性は否定出来なかった。
 また、事件以降情勢が不安定な国で精神まで不安定になってしまった者も少なくないと聞く。安定と快楽を求めて違法な精神汚染薬に手を出す者が増加したというデータもある。その結果、高額な薬を手に入れる為に無法地帯で商人を襲い金を手に入れようとする強盗暴行事件が多発しており、ここ数日の北阿地方ローカル新聞では大きな話題となっていた。この先不安な道のりで、護衛を増やしたいという商人の気持ちは至極当然だろう。
「どうだろう、頼めるかな」
「俺たちとしても、大勢で移動した方が安心なのは確かだ」
「そうだなー」
 護衛の『依頼』となれば、報酬も入ることになる。二人にデメリットはない。その上【砂遺跡の国】での事件の中心に関係している二人である、自分たちが犯人でなくても面倒なことになってしまって申し訳ないと思ってしまう。利益が半分、謝罪が半分。特に迷うことなく「うん、いいぜ」と二つ返事で了承した。そして詳しい依頼内容と報酬の話をしようと身を乗り出したところで。
「酒の席で金の話かい?」
 酒で顔を真っ赤にした時雨が騎左の背後から現れた。
「つまらない話は明日でいいだろう、飲め飲め」
「……っ! いや、俺は……」
「全く、何しけたツラしてるんだい」
「生まれつきこういう顔です」
「まあとにかく飲め! 酒ならあっちにたくさんあるからな!」
 左腕で騎左の首を抱え、右手で反物屋の腕を引き、時雨は既に酒で出来上がっている大人たちの中に帰っていった。強引に主人を連行され、慌てたゼファが時雨を追った。
 つまらない話云々はともかく、しけたツラに関しては塔亜も両手を上げて賛成する。酒でどうにかなればいいのだが、騎左のことだから大人に勧められたところで酒なんか飲まないだろう。それよりも。
「師匠の絡み酒……相変わらずだな」
 目だけで日和を見ると、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに頭を抱えている。
 居候時代から、師匠は本当に何にも変わっていなかった。
「でも塔亜は変わったね」
「何が」
「見た目が。というか頭が」
「またその話するの?」
 昼間、反物屋のテントで出くわした時も、日和は何よりも先に塔亜の金髪のことに触れた。塔亜の地毛は暗い焦げ茶、対して今は明るい金髪。以前と印象が全く異なるだろうことは塔亜自身よく分かっているが、そんなに何度もする話ではないとも思う。
「そんなに気になるのかよ、色抜いたんだよ」
「うち出てから?」
「うん」
「……そう」
 日和は小さく漏らすと、塔亜がもらってきたジュースを一口飲んだ。ジュースの甘い香りが漂う。
 瓶の装飾を両手の親指でなぞっていた日和だったが、「ねえ」と切り出し塔亜を見上げた。
「何でうち出てったの?」
「ごめん」
「何で何にも言わなかったの?」
「ごめん」
「何で……謝るの?」
「……ごめん」
 訊ねられて、ようやく日和の真意に気付いた。彼女が気にしていたのは塔亜の見た目が変わったことでも何でもなく、塔亜が時雨の、日和の元を去った理由だった。しかし塔亜には謝ることしか出来ない。“組織”のことを知った以上、居候を続けることは出来なかったし、“組織”のことを話すことも出来なかったから。



 /  目次に戻る  / 

小説トップ/サイトトップ