5.


「塔亜……お前、何をして……いや、どうしてこんなところに」
「あれ、師匠、その、あれ?」
「えー本当に塔亜? どうしたの? その頭」
「頭おかしいみたいな言い方するなよ日和!」
 現状が理解出来ずに混乱し、頭に浮かんだ言葉をぽんぽんと口から出していたが、反物屋のテントの中でこんな言い合いを続けていては店主に迷惑がかかる。一度外に出、改めてお互いの顔を確認した。
 陽の光の下で見た中年女性は、確かに五年前に出会った時雨その人であった。昔と変わらず、ただ立っているだけなのに隙がない。しかし彼女の表情は、驚きだとか戸惑いだとかそういった感情に支配されている。その隣の少女は時雨の娘、日和。最後に会った時より背も髪も伸びたようだが、黒くてまっすぐの髪も大きな瞳も、塔亜の記憶のままだった。
「それで塔亜……」ひとつ咳払いをし、時雨は改めて口を開いた。
「お前、どうして突然出ていったんだ。あれから今まで、何をしていた?」
 問われ、言葉に詰まった。あれから――つまり時雨体術道場を出てから、もう一年以上経過している。その長い時間何をしていたかというと、とある“組織”を捜す為に世界中を飛び回っていた。手掛かりを求めたり或いは活動する為の資金を集めたりするのに非合法な手を使ったこともある。しかしそんなことを赤裸々に話せるはずもなく、数秒の間の後に「旅……してた」と言えば、時雨がそれ以上言及してくることはなかった。
「ねえねえそれじゃあこの自治区に来たのもその旅?」
 時雨が言及することはなかったが、この場にはもう一人塔亜を質問責めにする人間がいる。日和は一歩前に出ると塔亜の顔を覗き込んだ。
「そうだけど」
「何しに?」
「それは」
 ここに用があったのは塔亜自身ではない。何から話したものか。考えていると、ばさりという羽音に被せて「おい」とよく知った声が耳に入ってきた。
 たった今購入したばかりの【東端の島国】民族衣装に着替えた騎左が、ちょうどテントの向こうから姿を見せたところであった。紫紺の着物の上から菖蒲色の羽織を重ねており、脇に紙袋を抱えている。少し鈍い色の肩に乗った銀白色のゼファは、いつも以上にまぶしく見えた。
 実に良いタイミングで現れてくれた。ラッキー! と言わんばかりに、塔亜は騎左の腕をぐいと引っ張ると自分の横に並ばせた。
「こいつの着物を探しに来てたんだよ」
 一方、ここまでの流れを全く知らない騎左は、突然見知らぬ中年女性と年の近い少女の前に押し出されて困惑の表情を浮かべた。
 それは時雨と日和にとっても同様で、たった今行商人のテントから出てきた少年を話題に突っ込まれても反応に困るだろう。
 日和は塔亜と騎左を交互に見て首を傾げた。
「ええと……どちら様?」
「こいつは騎左。俺、今こいつと旅してるんだ」
 塔亜は親子に騎左を紹介すると、今度は騎左に彼女たちの名前と昔世話になったことを告げた。以前塔亜本人から『体術を教えてくれた師匠』の話を聞いたことを思い出した騎左は、なるほどと頷いて二人に会釈した。
 こちらばかり訊ねられては不公平である。まだ何か言いたそうな日和から次の質問が飛んでくる前に、塔亜は質問を口にした。
「師匠たちはどうしてここに?」
「私は仕事さ」
「仕事?」
「そう、護衛任務」
「ああ!」
 時雨の本業は道場で弟子たちに体術を教えることである。しかしそれだけではなく、護衛の仕事が舞い込むことがあった。
 行商人は、治安がいいことで世界的にも有名な【東端の島国】内でならともかく、もっと治安の悪い地域では盗賊から狙われやすい。金や高価な商品を多く抱えている為、襲う方からすれば効率のいいターゲットなのである。事実、商人が道中で襲われるという事件を耳にする機会は少なくない。金品と自らの身を盗賊から守る為、商人たちは時雨のような武術家を雇うのだ。
 思い返せば、塔亜が時雨の道場に居候していた時も、何日か道場を空けて仕事に出ていたことがあった。帰ってきた時には外国の土産をくれたからよく覚えている。
 そして現在時雨に護衛されている商人こそ、先ほど騎左に着物を売った反物屋。反物屋を守り無事に【東端の島国】へ帰す、これが今回の時雨の任務なのだ。
 時雨が仕事中なのは分かった。では日和は。彼女は母国で高等学校に在学中だったはずである。学生がアルバイトならともかく護衛の仕事なんて受けられる訳がなく、そもそもそんなことは時雨が許さないだろう。
「で、お前何してんの?」
 塔亜が問えば、日和はけろりと答えた。
「観光」
「学校は?」
「春の長期休暇中」
「……あー」
 目だけで時雨を見れば呆れたように溜め息をついている。きっと日和は何らかの手段を使って、強引に同行を勝ち取ったに違いない。
 訊きたいことならまだあったが時雨は仕事中である。あまり引き留めることは出来ない。それに塔亜たちも、これだけ商人が集まっているのだから、今後必要になるであろう保存食や消耗品を買い揃えておきたい。あちらにはあちらの、こちらにはこちらの都合がある。久しぶりの再会ではあったが別れはあっさりしたもので、反物屋のテントに戻っていく時雨たちの背中を見送った。
 ――はずだった。
「そうだ。二人とも、今日はここに泊まるのか?」
 こちらを振り向いた時雨はそんなことを言った。
「え? うん」
 塔亜の怪我のこともある。あまり無理をせず、今晩この自治区で休んでから、明日の【港の国】行き最終電車に乗れる時間までには出発する予定でいた。否定する要素はない。塔亜と騎左、二人揃って首を縦に振ると、時雨も大きく頷いた。
「そうかそれならちょうどいい。しばらく日和の相手をしてやってくれないか」
「は?」
「夕食くらいご馳走するから、頼むよ」
 もちろん日和は相手をしてやらなければならないほど子供ではない。しかし、護衛という仕事をする上で、すぐ傍に娘がいたら確かにやりづらいかもしれないという想像は塔亜にも出来た。万一何かあった場合、仕事を引き受けている以上は商人と商品の護衛が最優先となるのだろうが、娘を守らなければという意識がはたらくのも当然だ。その意識が判断の遅れを生み致命的なミスに繋がったとしたら、時雨はいろんなものを失うことになる。
 騎左を見れば「まあ、いいんじゃないか」と言っている。当の日和に至っては、騎左の肩に乗ったゼファを見つめて「名前は? もふもふ触ってもいい?」などと言いやがっている。何より、師匠に頼まれれば断れないし断る理由もない。塔亜は後頭部を掻いて、髪に絡めた指を梳くように滑らせた。
「あーはい、分かりましたぁ」
 この承諾により、別れは先延ばしになったのである。

 日和は一昨日から照名族自治区に滞在しており、どこで何を売っているか、だいたいの場所を把握していると言う。試しに何か面白い保存食を売っているところがないか訊ねてみると心当たりがあるのか、ゼファを抱え先に立って歩き始めた。どうやら柔らかな羽毛が気に入ったらしい。ゼファもしばらくおとなしく撫でられていたが、急に翼をばたつかせたと思うと空高く飛び去ってしまった。
「あっどこ行くの!」
「心配しなくても、必ず後で戻ってくる」
「撫でられるの嫌な子なの?」
「そんなことはないはずなんだが……」
 いくら何でも飛んでいった鳥を追うのは無理だ。後で帰りを待つとして、今は先に必要なものを買ってしまおうと、日和の後を追った。
 案内されたのは岩山の麓のテント群から少し外れた寂しい場所で、辺りには何となく不思議なにおいが――はっきり言って異臭が漂っていた。腐敗臭、それに酸っぱさの混じるにおいだった。
 テントに入ると異臭はますます強くなった。品物らしい小さな缶詰が数個並んでいる以外は何もなく、缶詰の前に座っている商人は顔の鼻から下を布で幾重にも覆っていた。
「一番面白いと思ったのはここだなー」
 そう言う日和の声はくぐもっており、見れば着物の袖で鼻と口を覆っている。いったい何だろうと缶詰に顔を近付けた塔亜は、ようやく理解した。
 においの元はこの商品、缶詰であった。密閉してあるというのになおも漏れ出す異臭は、中身の強烈さを物語っている。塔亜の鼻の奥を突き抜けた刺激は、更に脳をも攻撃してくる。何がどう影響しているのか知らないが、目には涙が滲んできた。このテントだけこんな外れでぽつんとしている理由が、今なら分かる。
「あのー、これ、何?」
「北汪の最北で作られている缶詰だ」
 北訛りの共通語でなされた説明だけでは異臭の原因が分からない。
「独特のにおいだな」
 騎左が続けると商人は缶詰の蓋を指先でつついた。
「発酵食品だからな。北の透海で取れる魚を塩漬けにしてあるのさ」
「発酵? 腐ってんの?」
「そういう言い方はよしてくれよ、食べ物なんだから。ひとつどうだ、坊主。いい社会勉強になるぞ?」
 人数分差し出された缶詰を「子供にはまだ早いようなので!」と断り、三人はそそくさとテントを後にした。どう考えても保存食には向かない。あんなにおいのきつい缶詰を持ち歩く勇気は、塔亜にも騎左にもない。
 パーカーににおいが染みついていないだろうかと袖の周りを嗅いでみた塔亜だったが、鼻が麻痺してしまったのか何も感じない。
「ってか他にも食べ物売ってるとこあるだろ! 何でわざわざあれを選ぶんだよ!」
「だって面白い保存食がいいっていうからー」
「面白い面白くない以前にあれとてもじゃないけど食えるにおいじゃねーだろ!」
 日和に突っ掛かりつつも、塔亜はふと考えた。
「あれ美味いのかな……」
 そう呟いた彼に日和は「食べてみればよかったのに」と返していたが、こんなところであの缶詰を開けたら自治区中の人間からの抗議が殺到するだろうと騎左は思った。それと同時に、ゼファはあの時飛び去ったのではなく逃げ去ったのだと理解した。ゼファは獣特有の敏感な嗅覚でこれを早くから感じ取っていたに違いない。



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