4.


 五年前、十二歳の頃。塔亜と騎左が住んでいた孤児院が放火に遭った。偶然にもその時外出していた二人とゼファは火傷ひとつ負うことなく助かったが、建物内にいた友人や先生たちは炎に呑まれて命を落とした。
 事件後彼らは一時的に軍施設で保護された。軍服を着た大人たちに囲まれ事情聴取を受けるなど非日常的な生活を送っていたが、その背後では別の軍人が動いており、気付いた時には面倒な手続きが済まされていた。面倒な手続き、すなわち養子縁組のこと。その結果、二人は世界軍に所属する風谷という名の軍人の養子となっていた。法の上で親となる人間が現れれば軍の保護も不要となる。二人と一羽はそのまま風谷の世話になるはずだった。
 しかし実際は違った。この風谷という軍人は、たかだか十二の子供を放り出したのである。一度は連れてこられた風谷の自宅から追い出され、彼らは“自分のあるべき場所”に対する信頼を失っていた。
 一度目は産みの親のもと。
 二度目は孤児院。
 そして三度目が、風谷。
 幾度も失った自分の居場所。失うことがつらいのなら最初からもたなければいい――幼い思考が辿り着いたのは、放浪という道だった。
 もともと仲のよくなかった塔亜と騎左はそこで別れ、それぞれが信じることの出来る道を求めて彷徨い始めた。去り際に風谷がくれた唯一の言葉、「世界を回れ」という言葉を頼りに歩き回った。
 その時塔亜が持っていたのは、僅かばかりの小遣いと大きなケース。このケースは焼けた孤児院の跡から唯一見つかった塔亜の私物で、中にはマシンガンが入っていた。子供が扱うには不釣り合いな大きさのそれは、塔亜の生みの親がまだ赤ん坊だった塔亜と一緒に置いていったものだと、孤児院の学長先生から聞かされていた。親が残してくれた唯一のものだから大事にしなさい、とも。しかし持っていたところで腹の足しになる訳でもなし、逆にこの重さと大きさによる運びづらさはただ塔亜から体力を奪っていくのみ。ほんの少しの小遣いでは、食べ盛りの子供が満足出来るだけの食べ物が買えるはずがなかった。
 風谷のもとを出た塔亜はあっという間に行き倒れた。金を稼ごうにも子供に出来る仕事など限られている。孤児院にいた時は確かに喧嘩ばかりだったけれど(しかも喧嘩の相手はいつも騎左だったけれど)随分幸せだったんだなあ、と今更ながら噛みしめた。しかしそれはあまりにも遅過ぎた。あの生活はもう帰ってこない、そんなことは幼い塔亜にも分かっていた。
 日が暮れて気温が下がり、冷たい風が吹き付ける中、道端の木の根元に座り込んだ。このまま体温も下がり続けて死ぬのだろうか。居場所がないのならいなくなっても同じこと、それはそれでいいのかもしれない。明日の食事の心配だってしなくていい。その方が楽じゃないか――抱え込んだ膝に顔をうずめ、そう考えていた時だった。
「ねえ、風邪引いちゃうよ?」
 顔を上げると、目の前に塔亜と同じ年頃の少女がしゃがみ込んでいた。
「あなた、お父さんかお母さんは?」
「いない」
「あっあたしも一緒、お父さんいない」
「ああ、そう」
 いきなり何だというのだろう。よく喋るこの少女は、どこから来たの、おうちはどこなの、おうちないの? とこちらを質問攻めにしてきた。酷い疲れと空腹で口を開く気力もない塔亜は彼女に目もくれず、あーとかうーとかほとんど唸るように返していたが、突然腕を引っ張られたことに驚いて「何だよ!」と大きな声を出した。
「よく分かんないけど困ってそうだから助けてあげる!」
「はあ?」
「『困っている人がいたら助けてあげなさい』って、お母さんが言ってた」
「……はあ」
 正義感の強い少女は塔亜の腕を引っ張って立たせ、塔亜の脇に投げ出してあったケースも掴んだ。
「あっそれは……」
 重いから、と続けようとして言葉にならなかったのは、少女がそれをひょいと持ち上げてしまったからであった。
「ん? 大事なもの? なら静かに運ぶね」
 右手で塔亜を引き左手でマシンガンのケースを運ぶこの少女は何者なのだろう。彼女から半歩遅れて歩く塔亜は首を傾げた。あの大きなケースを軽々と持ち上げるのだから、服に隠れた彼女の身体は鍛えられているのだろう。しかし女の子というものは塔亜たちの年頃になると急に、自分が『女』であるとアピールを始める。それまで男子たちと一緒にボール遊びや鬼ごっこをしていたのを断るようになり、自分を可愛く見せようと背伸びを始める。それを踏まえて考えると、彼女はなぜこんなにも身体を鍛えているのか。筋肉をつけるというのは、自分を可愛く見せるのとは相反するものだから。
 その答えは彼女の家にあった。
「ここがうちだよ」
 そう言って彼女が足を止めたのは木製の門の前だった。門の脇には古ぼけた木の看板が掲げられており、暗くて見づらくはあったが、確かに『時雨体術道場』と墨で力強く書かれていた。
「道場……?」
「そう。うちのお母さん、ここの師範なの」
 母親が体術師範であるのなら、稽古や鍛練といったものが、もっと幼い頃から身近にあったのだろう。ならば当然かもしれない、塔亜は納得した。
 門を入って正面にある間口の広い建物は道場なのだろう。今は明かりがついておらず、中の様子を見ることも出来ない。この建物の裏に回ると小さな一軒家が建っており、こちらは窓から明かりが漏れていた。彼女の母親はこちらにいるらしい。
 玄関の引き戸を開けた少女が「お母さーん、ただいまー」と叫んだ。それに呼ばれて奥から母親が顔を出した。
「おかえり、遅かったじゃないか」
 そう言った少女の母親は、師範という言葉からイメージされるよりもずっと若く見えた。しかし細い身体に道着をまとったその女性は、立っているだけで威圧感がある。堂々とした佇まいは、師範という身分に相応しいものだった。
 師範の視線が娘から塔亜へと移った。
「君は?」
「あ、俺……」
「さっきそこで会ったの、困ってそうだから連れてきた。おうちないんだって」
 この少女は塔亜に喋らせる気がないらしい。塔亜の台詞を遮って一気に話す。一度言葉を切って息を吸い、もう一度口を開いて、こちらを見た。
「そういえばまだ名前訊いてなかったね。私日和、あなたは?」
「俺、塔亜」
 短く名前を告げた塔亜は日和と名乗った少女を見、それから師範を見上げた。師範は日和が持つ大きなケースと塔亜とを交互に見て何やら考えていたようだが、喧しく自己主張を始めた塔亜の腹の虫の声を聞き、思わずといった感じで吹き出した。そして「日和も、それに塔亜も、とにかく早く上がりな」と促した。
 時雨体術道場の女師範、時雨は、塔亜を居間に通すと夕食の並ぶちゃぶ台の前に座らせた。きっと、いや、確実に時雨と日和の為に用意された夕食を、とにかく食べろと塔亜に言った。特に豪勢という訳でも何でもない一般的な家庭料理だが、しばらくまともな食事をとっていなかった塔亜にとってはまさにご馳走。時雨への礼もそこそこに、無心で口に詰め込んだ。
 食事を終え、塔亜はここに来るまでの一連の流れを時雨に説明した。孤児院で生活していたこと、その孤児院が火事に遭ったこと、軍で保護されたこと、保護してくれた軍人から放り出されたこと、日和に声を掛けられたこと、全てを。それに続けて、塔亜は頭を下げた。
「俺、強くなりたいんだ」
 生きていく上で、今のままではすぐのたれ死んでしまうに違いないと、理解した。しかし塔亜はまだ生きている。死にたくない。生きたい。
 そして、放火犯を捜し出したい。孤児院の仲間を、大好きだった先生を、死なせた犯人を捜し出したい。
 見つけ出す為には、まず塔亜が強くならなくてはならない。
「おばちゃん、強いんだろ? この道場の師範なんだろ? だからお願い、俺を強くしてくれよ! 誰にも負けないくらい、強く!」
 もう一度、頭を深く下げた。そうして、恐る恐る顔を上げると。
「おばちゃんじゃない、師匠と呼べ」
 塔亜と目が合った時雨は、にやりと笑ってそう言ったのであった。



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