3.


 背の高い岩壁に囲まれた中で、照名族と呼ばれる一族は暮らしている。土地を守る為の外壁のせいで出入りの便は非常に悪いが、歴史ある『行商の道』のおかげで商人の足が途絶えることはまずない。地表は乾燥気味だが、地下には綺麗な水資源を豊富に蓄えている。水を売り、その金で商人が運び込んできた必要物資を買っているようで、生活に不自由している様子はなかった。
 この地の中央にそびえる山のような円錐形の一枚岩は、そんな照名族の自治区であり居住スペースであり商業スペースであり、また、観光地でもあった。
 巨大な岩の壁面にはいくつもの横穴が掘られ、通路や階段が彫られていた。この横穴ひとつひとつが商人たちに宛がわれる店舗であり、また別の穴は宿屋であり、照名族の住居の役目も果たしているのである。
 道を行き交う人種も様々で、肌や髪の色はばらばら、彼らの文化もばらばら。絹や毛皮、木綿など、身につけている衣装の素材も千差万別だ。
「すげえ!」
 異なる文化をもつ多くの人間が、この狭い中にある横穴で同様に生活しているのだ。南国の香りを漂わせる横穴の隣では極寒の大地で作られた保存食や工芸品が売られている。例え互いに対立している宗教を信仰する者でも、ここでは隣同士、いがみ合うことなく商売をする。それがこの自治区の暗黙の了解であり、古くから守り続けられている規則であった。
 二人はまず、岩山の中腹辺りにある宿屋で宿泊の手続きをし、大きな荷物とバイクを預けた。必要なものだけをウエストポーチに詰め、身軽になった彼らがするべきことはひとつ。
「いいか塔亜、着物屋を探すんだ」
「おー分かった」
「それ以外の、特に食べ物屋なんかは後回しだからな」
「あっあそこ団子屋あるぞ」
「おい俺の話を聞け」
 騎左が振り向いた時には既に塔亜は店先の椅子に座っており、「おばちゃん団子二串!」という注文が通ってしまっていた。何をやっているのだと呆れる反面、ここまでただ荷台に座っていただけの騎左とは違いバイクを運転してきた塔亜は疲労度が違うのかもしれないと思い直す。塔亜の隣に腰を下ろし、奥から出てきた女店主から湯呑みと団子を受け取った。座ったその椅子も店の奥のカウンターも、岩から削り出して作ったもののようだった。
 湯気の立ち上る茶を一口啜り、騎左は「おっ」と声を上げた。
「美味いなこのお茶」
「団子も美味いぞ」
「お、本当だ、美味いな」
 騎左の膝の上に収まっていたゼファが、美味いしか言わない二人を見上げた。それに気付いた塔亜が団子をひとつ串から抜き、ゼファの前に差し出す。しかし塔亜の手から団子をもぎ取ったのはゼファではなく騎左、団子はそのまま騎左の口の中に消えていった。茶の渋みが団子のほのかな甘さをよく引き立てていた。
「あー! 何でお前が食うんだよ!」
「馬鹿かお前、鳥が団子なんか食えるはずないだろう」
「食えるはずないって分かってるからこそのジョークなのに!」
「ジョークだったのか」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ!」
「そうだな」
 だんだん適当になっていく騎左の返答からこれ以上は無駄だと察した塔亜はしぶしぶとではあるが引き下がり、再び店主に声を掛けた。追加の団子と茶のおかわりをもらう。【東端の島国】母国語で礼を言うと、やはり【東端の島国】母国語で「どういたしまして」と返された。
「あ、やっぱりおばちゃん【東端の島国】の人なんだ?」
「ええ。お客さんたちも?」
「そうだよ」
 女店主は定期的に『行商の道』を行き来し、各地の、主に【東端の島国】を含む東吾地方の茶葉を売買しているのだと言った。彼女の両親が茶屋を営んでおり、その関係で始めた行商らしい。そして時々は、短期間ではあるがこうして店を構え、甘味と共に茶を提供することで東吾地方の茶文化を広める活動をしているのだそうだ。
 横穴の奥を覗き込んだ塔亜が首を傾げた。他に店員がいるようには見えない。しかし話を聞いて想像する限りでは、店をまるごとひとつ運びながら各地で商売をしているようなものである。それはたった一人で出来るようなことなのだろうか。
 尋ねれば「いいえ」と返ってきた。じゃあ、と更に質問を重ねようとして。
「ああお客さん、いらっしゃいませ」
 男性の声に遮られた。
 店の軒先で、成人男性が紙袋を抱えていた。女店主と同年齢くらいと見えるその男性は店主の旦那、夫婦で移動茶屋を経営しているのだと説明してくれた。
「この前来た人が安く売ってくれたよ」
 そう言って旦那が紙袋から取り出しカウンターの上に並べたのは反物だった。店の入り口から差し込んだ光が反物に織り込まれた模様を照らし出す。緑地に白の緩やかな曲線で形作られた模様は、古くから【東端の島国】でよく用いられている植物を表すものであった。
 騎左が身を乗り出した。
「すまないが、その布はどこで買ってきたんだ?」
「これかい?」
 その階段を下りて直進して、と細かく説明してくれる旦那の台詞を順番に頭に叩き込んでいく。記憶しながら、こういうのはがつがつ食べるものじゃないんだけどなあ、と思いつつ残っていた団子を平らげる。茶を飲み干し、注文した団子の数を数え、その分の金額を財布から出した。
「ありがとう、ごちそうさま!」
 夫婦に頭を下げた二人は、旦那の説明通りに店のすぐ前にある階段を下りた。騎左の肩からゼファが舞い上がった。
 岩山の麓には色とりどりのテントが並んでいる。岩に掘られた横穴以外でも、商人たちはテントを立てて商売を行っている。西吾地方の反物屋などは地方独特の細やかな刺繍を施した天幕を張っている為、上から見るととても目立っていた。
 騎左の予想通り、この照名族自治区には反物を売る【東端の島国】からの行商人が訪れていた。その商人は麓のテントで店を広げていた、茶屋の旦那はそう話していた。
 テントを順に覗きながら塔亜は溜め息を漏らした。
「しっかし数が多いなあ」
「それだけここで商売をすることに意味があるんだ」
「そんなもんなの? ……お」
 二人の足元に、塔亜のものでも騎左のものでもない影が落ちた。見上げればゼファが旋回しながら高度を下げてきている。こちらが気付くとゼファは降下をやめ、地面と平行にまっすぐ飛び始めた。どうやら目的の品を見つけてくれたらしい。二人は早足でゼファの後を追った。
 銀白色の鳥が舞い降りたテントの中では、確かに反物が売られていた。行商人の店ではあるが、古典的な花柄から現代風の色の生地まで、様々なものが並んでいる。鮮やかな色使いの女物だけでなく男物の渋い色合いの生地、更に帯などの小物まで品揃えは豊富。そして、生地はどれも艶やかな光沢があり肌触りは滑らかだった。
「いい生地だな」
 ひとつ手に取り、騎左が声を掛けると、商人は気をよくしたように笑った。
「分かりますか。お目が高いですね」
「まあな」
「どのようなものをお探しでしょうか」
「そうだな……」
 生地を買い自分で仕立てるのも悪くはない。電車の中で脱いだあの着物も自分で縫ったものだったが、作りにはそれなりに満足していたし気に入ってもいた。しかし、羽織と着物を一人で仕立てるには時間がかかる。今は、今すぐに着られるものが欲しい。商人にそう伝え、既に仕立ててあるものがないかと訊ねると、テントの裏から幾つかの桐箱を出してきた。
「わっ高そう」
 箱の中を見る前から驚いた声を上げ、騎左の肩をつつく塔亜。それを無視する騎左。その上それだけでなく。
「金なら持っている、いい着物をくれ」
 当てつけるかのように言い放つ騎左に、塔亜はいら立ちを覚えた。
 以前賭博に挑戦した時、塔亜は幸運なことに大穴を当てた。かけ金もそこそこ大きく、その結果大金を手にすることになった。手に入れた大金を騎左にばれないよう大事に隠し持っていた塔亜だったが、ここまで来る途中、電車の切符を買う時にそれが見つかってしまった。バイクの改修に使おうか、新しい武器を買おうか、膨らんでいた夢もあっという間に壊れてしまったのである。
「俺が稼いだやつじゃないか」
「収入も支出も折半しようって、二人で旅を始めた時にそう決めたじゃないか」
「そうだけどさ!」
 せっかく自分で稼いだ臨時収入が騎左の着物に消えることになるなんて、悔しいなんて言葉では言い表せない。いつもならここでお互い武器を向け合う喧嘩に発展するのだが、塔亜の怪我の都合でそれも一時休戦中だ。騎左の言い分の方が正しいこともあり、ここは黙らざるを得ないのはよく分かっている。引き下がりはしたものの釈然とせず、商人にああでもないこうでもないと言う騎左を、不満を前面に出しながら睨みつけた。
 しばらく話し合った末に騎左も納得したらしく、商人が算盤をはじき始めた。提示された金額に頷き、ここに商談が成立する。ぽんと出された現金に商人は多少なりとも驚いていたようだったが、懐に収めると騎左を隣のテントに案内した。残された塔亜は算盤の額を見て大きく息を吐き出した。
「俺の臨時収入、全っ然残んないじゃん……」
 これっぽっちでいったい何が買えるというのだろう。ナイフくらい買えるだろうか。髪をかき上げながら、ちょうど入ってきた別の客に場所を譲る。そもそも塔亜が着物を買う訳ではないのだからテントの中にいても仕方がない。外で騎左が出てくるのを待とう、そう思い塔亜は立ち上がった。振り向いた時に、後から来た客の顔が目に入った。
「え?」
「うん?」
 塔亜と同じ年頃の娘、そして見覚えのある中年女性。二人とも【東端の島国】の民族衣装を身につけている。
 まさか。
「し、師匠?」
「その声、まさかお前、塔亜なのか?」
 中年女性が塔亜の名を呼ぶ。ならば女性の隣の少女は。
「日和?」
「本当に塔亜なの?」
「え、えええええ!!」
 予想もしない再会に、塔亜は裏返る自分の声を抑えることが出来なかった。



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