2.


 砂漠が過ぎ去り、まばらにではあるが植物の姿が見えるようになってきた。このまま進めばやがて大河にぶつかり、その先の大地は深い森に覆われていることだろう。その赤茶色と緑が入り混じる大地を、重量感のある黒い車両が突き進んでいた。
【国境線】――その名の通り、国の境に線路を敷く電車であるが、正確には『国の境に線路を敷いていた』電車であった。
 確かに六十年前の大戦争以前、【国境線】が敷かれた当初は国境線上を走っていた。しかし戦争で疲弊した国々は、終戦後も戦前のような国威を保つことが出来なかった。国々は領土を縮めていき、代わりにどの国の領土でもない土地が増した。そして現在、【国境線】はその名を冠したまま、国境の境を走り続けている。
 その車両の中から過ぎ行く景色を眺め、塔亜は錠剤を二粒口の中に放り込んだ。
「あれ?」
 首を傾げたかと思うとコンパートメントの床にトランクを広げ、その中を引っ掻き回し始める。塔亜の向かいに座った騎左は、呆れ顔でその様子を見つめていた。彼の肩に乗った銀白色の鳥、ゼファも首を横に振っている。騎左はひとつ溜め息をつき、水の入ったボトルを突き出した。
「探しているのはこれだろう?」
「おっ、サンキュー」
「早く飲め、そうしたら準備だ」
「分かってるって」
 水を口に含み、薬を飲み干す。ボトルをトランクに突っ込み、閉じないトランクを無理矢理に閉め。
「やっぱお前のその格好は見慣れないや……」
 座席を立って網棚から荷物を下ろす洋装の騎左を見上げて素直な感想を漏らした。
 彼らはこの電車に乗る前に滞在していた【砂遺跡の国】で、とある“組織”と世界軍との戦闘に首を突っ込んでいた。急襲や爆破事件に巻き込まれて全身に裂傷や打撲を負い、塔亜に至っては肋骨を折った。
 しかし傷を負ったのは彼らの身体だけではない。身につけていた服もところどころ切り裂かれ、自身の血、或いは返り血で汚されていた。着るものに特にこだわりのない塔亜は代わりのパーカーなり何なりを調達して適当に着ていたが、問題は騎左である。幼い頃からずっと母国【東端の島国】の民族衣装である羽織着物を身につけていた彼は、塔亜のような洋装では落ち着かないというのだ。当然、地方の民族衣装など母国から遠く離れた【砂遺跡の国】で手に入るはずがない。仕方なしに自分で繕って凌いでいたが、やはりそれにも限界があった。電車に乗り込んでからしばらくは羽織の生地をチェックしていたようだが、「みっともないな、諦めよう」と言うと、さっさとそれを脱ぎ捨てた。そして、中身が多過ぎてはちきれんばかりの塔亜のトランクからシャツとセーターを引っ張り出し、トランクの若干の軽量化に成功させるとそれをそのまま身につけたのだ。
 そこでこの塔亜の台詞である。
「仕方ないだろう、しばらくこの服借りるぞ」
「いいけどさあ」
 塔亜が自分の為にと買ったセーターである。鮮やかな赤色は、お世辞にも騎左に似合っているとは言えない。
「俺、もうちょっと違う服持ってるはずなんだけど」
「どうせすぐ着替えるんだ、何だっていい。とにかくいいから降りるぞ」
「……はい」
 まとめた荷物を抱え上げ、塔亜はコンパートメントの扉を開けた。電車は速度を落とし始め、外の景色の流れがゆっくりとなる。それは停車駅が近い証拠であった。
 二人が下車したのは【砂遺跡の国】最寄り駅と【港の国】最寄り駅のちょうど中間、北阿地方と南汪地方の境目に位置する駅であった。バイク専用車両で整理券を渡し、塔亜のバイクを引き取る。二人分のトランクをバイクの荷台にくくりつけ、駅の外まで運び出す。ゴーグルを目に当てた塔亜が運転席に座ってエンジンをふかすと、騎左は荷台のトランクの上に腰を下ろした。バイクはゆっくりと前進し始めた。道案内を務めるゼファが羽ばたく先は、照名族自治区である。
 近くに国のない駅の周りはろくに整備されておらず、道らしい道などなかった。握り拳程度の石がそこら中にごろごろと転がっており、駅から少し離れれば、巨大な岩山が立ち並んでいた。車体が大きく揺れる度に、騎左はトランクにしがみついた。
「おい塔亜、もうちょっと安全運転を」
「これでも十分気ィ遣ってるよ」
 その声が緊張しているように感じられるのは騎左の気のせいではないだろう。痛み止めの薬を服用しているとはいえ、塔亜の怪我はまだ完治していないのだ。この揺れは彼の身体にダメージを与え続けているに違いない。すまない、塔亜――騎左は胸中で謝罪の言葉を述べた。
 戦後、各国が領土を縮小する中、王政を逃れ国家から独立した民族がある。集落を作った彼らは自治を行っており、どの国の領土領民でもない。それを自治区と呼んでいる。各国の方針に口を出さない代わりに、各国からの金銭的、軍事的保護も受けない。自治区の土地は自治区で生活する者たちで守る。防衛の利を求め、岩山に、悪路に囲まれた場所に照名族自治区が構えられるのも必然のことであった。
 そんな照名族自治区に行きたいと言い出したのは騎左であった。
 有史以前から大陸各地の物品を運ぶ為に利用されてきた『行商の道』。行商人たちは自国の名産品を各地で売り歩き、その利益で異国の名産品を手に入れ、そして自国へ帰る。現代でも利用されているその道は、【東端の島国】からずっと西に延びている。その最西端に位置するのが照名族自治区であり、ここには世界中の名産品が集まっていた。ここでなら自国の民族衣装も手に入るだろうと騎左は考えたのだ。
 騎左の都合で寄り道をさせているのだから多少申し訳ない気持ちはある。
「あまり無理はするなよ」
「お前が俺の心配? 気持ち悪いことするなって」
 しかし、こう憎まれ口を叩かれてはいらっとする。
「塔亜の心配じゃない、俺の移動手段がなくなるのは困るんだ」
「俺の心配しろよ!」
「『気持ち悪い』と言ったのは誰だ」
「揚げ足取りくっそウゼェ」
 口ではそう言っているが、額に浮いた脂汗を見る限り、あまり余裕などないことが窺えた。出来ることなら騎左が運転を代わり、塔亜はゼファに運ばせたいところだが、残念ながら騎左はバイクの免許を持っていない。バイクの運転が出来ない。塔亜とこんな旅を始める前は少ない荷物を担ぎゼファの背に乗って文字通り飛び回っていたから、バイクや車の運転免許など必要だと感じたこともなかった。しかし塔亜が負傷したとなると、バイクを放り出して移動を続ける訳にもいかないし、そもそもそんなことは塔亜が許さないだろう。騎左もバイクを転がせるようになる必要があるのかもしれない。塔亜の肩にしがみつきながら、何となくそんなことを考えた。
「……っと!」
 塔亜がかくんとハンドルを切った。車体が傾き、騎左の爪先すれすれを岩山の壁が通り過ぎる。
「騎左、頭下げてろ!」
 身を屈めないと通れないほどの岩のトンネルをくぐり抜けた。そのあとの岩の隙間も狭く、曲がりくねっている。先が見通せない。先を行くゼファの姿も見えない。自然とバイクのスピードが落ちていく。
「ゼファ! 戻ってこい!」
 岩壁と岩壁の間に騎左の声が反響した。戻ってこい、もどってこい、消えゆくこだまに反比例して羽音が近く、大きくなってくる。ゼファが騎左の肩に収まった時には、バイクは完全に止まっていた。
「これだけ細くてくねくねした道じゃ運転出来ねーや、歩こう」
 そう言って塔亜はエンジンを切り、ゴーグルを頭の上に押し上げた。
「ああ、仕方ないな。おそらくこの道もすぐ切れるだろう」
 騎左の言葉に、先を見てきたゼファも首を縦に振る。バイクを押す騎左が前を歩き、それに塔亜が続いた。
 五分も歩かない内に圧迫感のある岩山が途切れた。そこで、二人と一羽は地面に横たわる巨大な一枚岩と遭遇した。
 まさにこの岩が、照名族自治区であった。



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