23.


 会議が終わり指令所を飛び出した維遠は無数の銃声音を耳にした。指令所の屋上を見上げれば、本来そこにあるはずの金属製のフェンスが全て取り払われている。維遠の部下が、まさに今あそこで戦っている。
(任せたぞ)
 心の中でそう呟き、維遠は指令所に背を向けて走り始めた。
 実にくだらない会議だった。上官の指示に従って港や国門を回り、招集がかけられた者を集めて会議に出席したというのに、そこで挙がった話題といえば、既に誰もが知っていることばかりであった。【港の国】内に吹き荒れた暴風、ひいては国境に沿った“見えない壁”を作り出した犯人が反政府組織“スペード”によるものであることくらい、世界軍に所属する軍人であれば誰でも知っていることだ。だというのに会議を取り仕切った対策本部長は、言葉を変えながら同じ内容の話を繰り返した。もちろん、今後の作戦遂行の為にも他の人間との情報共有は必要である。しかし、今苦しんでいる国民がいて、今“組織”と戦っている人間がいる。それなのに、戦う力を持っている自分が会議室なんかでおとなしく椅子に座っていることは、滑稽だとしか思えなかった。
 そんな会議の中で今後の軍の方針が明示された。まず優先すべきは怪我人の救助だ。現在【港の国】はドーム状の“見えない壁”で覆われており、国門や港、上空までもが封鎖された。“壁”生成時の大気の乱れの影響で国境付近は暴風に見舞われ、多数の怪我人が出ている。家屋の倒壊も少なくない件数が報告されていた。世界軍にも複数の救援要請が寄せられている、要請には即時対応するように。これが通達の一つ目だった。
 二つ目は“組織”メンバーの確保である。【港の国】の恒久的安全保障の為、この国を崩壊させようとする“組織”の攻撃を阻止しなければならない。“組織”の目的が【港の国】を潰すことであれば、まず狙われるのは【港の国】国王の命である。この事態を受け、王城周囲では王家直属軍が守りを強化している。その為世界軍は、城の外側の非常時対応を任されていた。不審人物が王城に近付かないよう、また国外に逃亡しないよう、国内と港、国門全てで監視の目を光らせ、くまなく捜査することが求められた。
 軍上層部の要求に応えようにも、今の【港の国】指令所は人材不足である。【砂遺跡の国】から呼び戻した部隊受け入れの為には、早急に“見えない壁”を取り払わなければならなかった。が、これに関しては、既に塔亜と騎左に魔術師の捜索をさせている。犯人を発見出来れば御の字だ。万一二人に何かあった場合は――維遠は会議の内容を思い出して内心舌打ちした。
 会議の中で、維遠は塔亜と騎左を保護するよう対策本部長から釘を刺されていた。民間人ながら深く“組織”とかかわってしまった二人は“組織”から命を狙われる存在となっている。それは先ほども発生した連続少年傷害事件が物語っている。彼らが危険に晒されているのは事実であり、今回の件で彼らに何かあれば維遠の責任だ。しかし二人を自由にさせておくことは彼ら自身の希望であり、二人のことを維遠に一任した風谷少佐本人の意向であり、軍の方針と一致するのであれば利用すればいいというのが維遠の考え方だった。
 これから自分がすべきことを思い返しながら、維遠は大通りを駆けた。広くまっすぐ続く通りを抜け、対策本部長からの通達に逆らい【港の国】の王城を目指した。
 普段は多くの人間が行き交う王城敷地前の青空市場だが、今は商人がおらず、テントだけがぽつりぽつりと残されている。血の臭いが漂っている。頭から、胸から、腹から血を流して動かない人間たちがそこらに転がっている。彼らは【港の国】王家の紋章が縫い付けられた軍服をまとっていた。
 遺体の脇を通り抜けて前に進む。そして。
「納抄!」
 城門の前で、維遠は懐かしい友と相対したのである。
 正解だった――目的のスタートラインに立てたことを維遠は実感した。一度は安堵したが、そのまま気を緩めずホルスターに手を伸ばす。銃を抜いて両手で構え、納抄に向けた。
 数日前に指令所の裏で再会した時、納抄は「俺たちも決着をつけよう」と言っていた。『俺たち』は納抄と維遠を指しており、他者を挟まず二人きりで決着をつけることを意味していた。だから維遠は、世界軍軍人が手を出さないであろう場所、つまり王家直属軍が守りを固める王城周辺で納抄が待ち構えているだろうと読んだのだ。
 たったそれだけの理由。明確な根拠などない。城まで来たのは賭けだった。しかし長年の付き合いが、友人として、軍人としての勘が、納抄は城にいると訴えていたのであった。
 納抄が手にした拳銃は地面に向けられていた。彼の足元には王家直属軍人が横たわっていた。まだ生きている。苦しそうに息をしている。維遠が止める間もなく引き金が動き、軍人の頭が破裂し、そして動かなくなった。
「早かったな」
 亡骸を爪先で蹴り上げながら笑う納抄に、維遠は「ふざけるな!」と叫んだ。
「お前の目的はこの国じゃないんだろう? だったら、この国を攻撃することに何の意味があるんだ」
「意味? 意味ならあるさ」
「何だと?」
「この国が壊れれば【港の国】の世界軍は動かざるをえない。お前も動く」
 納抄がゆっくりと銃を持ち上げる。
「そうすれば俺は、お前と意味のある戦いが出来る」
「何を言って……」
「死ね! 【港の国】の維遠!」
 続けざまにトリガーが引かれた。銃声が維遠の聴覚を支配し、脳よりも先に脊髄が反応した。
 身を屈め、蛇行して走る。納抄に詰め寄る。銃口が目の前に迫る。人差し指はトリガーに掛けられたまま。気が進まないがここは割り切るしかない。近くにあった遺体を拾い上げて盾とし、納抄の銃弾を受け止める。
「随分酷いことをするじゃないか。天下の軍人様がさ」
「お前に言われたくはない!」
 遺体の陰から撃ち返すが当たらなかった。遺体から手を離して納抄の腕を掴み、引き寄せると銃口を右肩に押しつける。ゼロ距離なら外れまい。撃つ。
 今度こそ維遠の弾丸は納抄の皮膚を突き破って体内にめり込んだ。
「っ!」
 納抄の余裕が痛みに歪んだ。
「維遠……っ!」
「お前に痛がる資格はないだろう。これまでどれ程の人間にこの痛みを与えてきたのか、それすら覚えていないお前に」
 納抄の肩から溢れた鮮血は腕を伝い、彼が握る拳銃を濡らした。筋肉が弛緩し、銃の重さすら支えられない。重力に抗えず地面に落ちた銃を蹴り飛ばし、維遠は軍指定銃を納抄の顎に当てた。
「お前に選択する権利を与える。ひとつ、このままここで死ね」
「断る」
「なら……ふたつ、やり直せ」
 そこで維遠は言葉を切り、唾を飲み込んだ。目の前で納抄が眉間に皺を寄せている。ここで言葉を間違えてはいけない。必要な言葉を頭の中で用意し、並べ替えて再び口を開いた。
「これまでの罪を背負って生きる道を選べ。スペードの歯車としてではなく、納抄というひとりの人間して」
 しかし納抄は「馬鹿を言うな」と、維遠の提案を一蹴した。
「俺に銃を突きつける人間の言葉を、俺が受け入れると思うのか? 本気で言っているのか?」
「それは……納抄次第だ」
「気でも狂ったか!」
 維遠の手を振りほどいた納抄は振り上げた足で維遠の顔面を狙った。頭部を庇った腕を踏みにじり、反動で飛び退く。維遠と距離を置いて、納抄は身構え直した。
「世界軍の意向に則さない人間は全て悪なのか? だから世界軍は反政府組織と戦っているのか?」
「そうじゃない」
「世界軍に同意し、同じ方向を向くことが正義なのか? 意見を違えた者を認めず、力尽くで同意させるのがお前たちの役目なのか?」
「納抄、俺の話を聞け」
「それがお前の正義だと言うのか、維遠!」
「納抄! 俺は……!」
 その後は続かなかった。銃声が維遠の声を掻き消し、銃弾が維遠の言葉を奪った。衝撃に遅れてやってきた痛みが感覚を支配する。そこでようやく、維遠は左肩を撃たれたのだと理解した。
 振り向くと、褐色肌の少女が血濡れた銃を構えていた。はっとして地面に目を這わせる。探す。
 ない。先ほど納抄が落とした銃が、ない。
 あの少女、いつの間にあれを拾ったのか。謡に視線を戻そうにも彼女は既にそこにはおらず、ほんの一瞬目を離した隙に、謡は維遠の目の前まで距離を詰めてきていた。
 身を回転させながら謡が足を振り上げる。足首のアンクレットが鈍く輝く。維遠がよけるよりも先に、遠心力の乗ったアンクレットは肩の弾痕に叩き込まれた。
「――っ」
 叫びは声にならなかった。肩を押さえて膝をつく。納抄の爪先が傷口を抉る。抵抗出来ず、維遠は背中を地面につけた。
「ふざけるのも大概にしろ。やり直すことなんか出来ないんだ」
 維遠の腹に靴底を乗せ、納抄はじわじわと体重を掛け始めた。
「俺はお前のトモダチだった。だがそれは昔の話だ。今は違う、今のお前は俺の敵だ。この事実は、もう覆らない」
 靴底が腹を離れて高く上がる。
「今のお前は、目障りだ」
 足が振り下ろされた。維遠の身体は動かない。よけられない。思わず目を瞑る。
 しかし想定した苦しみに見舞われることはなく、代わりに。
「その辺にしておいてやってちょうだいよ」
 思わぬ人物の声を耳にした。
 目を開けると、納抄の足と維遠の身体の間に、第三者の足が挟まれていた。その足は納抄を受け止めて押し戻した。
 長身で身体は薄く、世界軍の軍服をまとっていてもいまいち威厳がない。薄茶色の瞳に垂れ気味の目がそれに拍車をかけている。両手をだらりと下げただ立っているだけ。だというのに隙がなく、外見からは読み取れない実力を垣間見ることが出来る。襟には少佐の証である青一つ星が輝いている。
「風谷、少佐……?」
 かつての師の登場に維遠は目を丸くした。風谷は【砂遺跡の国】指令所所属、【港の国】までやってくるような用事があるとは思えない。【砂遺跡の国】を引き上げた部隊に風谷が同行するという話も聞いた覚えがなかった。
 戸惑っているのは納抄も同様だった。風谷という軍人は“スペード”構成員の間で要注意人物とされている。作戦やアジトをこれまで何度風谷に潰されたことか。過去風谷と一戦交えた者たちは口を揃えて言った、風谷とはまともにやり合うな――と。
 納抄の決断は素早かった。
「あんたが出てくるのは想定外だ」
 謡を背中に隠しながら、彼女に銃を捨てさせる。じりじりと風谷から距離を置く。ある瞬間で身を翻すと謡を抱えて走り去った。
 何とか頭を持ち上げ、維遠は風谷を視界に捉えた。
「追ってください、少佐!」
 しかし風谷は「無理だ」と首を横に振る。
「俺よりもあいつの方が速い。俺の足じゃ追いつけないよ」
「そんな」
 維遠は再び頭を地面にこすりつけた。
 納抄に負けた――そう、思った。
 今の納抄は昔の納抄とは違うことも、彼との関係は昔とは異なることも、もうあの頃には戻れないことも、維遠は全部知っている。それでも修復を求め、結果、納抄にきっぱりと決別を告げられた。全ては維遠の弱さが招いたことだ。自分は弱いのだと、今更のように事実を受け止めた。
「風谷少佐」
 維遠は声を絞り出した。
「あなた、どうしてここへ」
「“組織”のことを聞いて、やっぱりムスコたちのことが気になったからね」
「そうじゃなくて、国境に、“見えない壁”が……」
「お前さん何言ってんの、俺に出来ないことなんかないの」
 撃たれた肩を庇いながら、風谷は維遠の肩を担いだ。こんな形でまた少佐に世話になるとは思わなかった。「申し訳ありません」と頭を下げると、「何言ってんの」とあしらわれた。
「維遠は頑張ったよ。犠牲は大きかったけど、“奴等”の城壁内への侵入は阻止した。これはこの国にとって大きな成果だ」
 そう言う風谷は真顔だった。風谷の台詞は、とても褒めているようには聞こえなかった。



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