22.


 事情聴取の件を汰施に一任した紅露は、維遠の命令通り、上――すなわち【港の国】指令所の屋上に立っていた。彼女たった一人である。有事の際、紅露以外は屋上へ立ち入らないことになっているからだ。
 一人……いや、正確には一人と一羽だった。鮮やかな赤色のクラムが紅露の肩に止まっている。首筋にクラムの頭が押し付けられるのを感じ、紅露は優しく羽毛を撫でた。クラムは少し震えていた。
 撫でられて安心したのか、クラムの震えが収まるのと同時に、その瞳がくるりと光った。差し出された紅露の両手から不可視の力がこぼれだす。紅露の手を離れた魔力は屋上を囲むフェンスに触れ、コンクリートの土台から引き抜いた。
 フェンスを形作っていた金属はぐにゃりと形を変えていく。ある部分は筒になり、ある部分はグリップに、またある部分はトリガーになる。それらは宙で集合し、組み合わさっていく。ばらばらだったパーツが滑らかに噛み合い、ひとつの装置となる。
 魔力に操られた屋上のフェンスは無数のライフルへと姿を変えた。ほんの十数秒の出来事だった。
 ライフルは紅露の意のままに動いた。紅露が手をかざすとライフルは水平に浮き、紅露を中心に放射線状に構えられた。射程距離はこの国のほぼ全域。対象が物陰に隠れない限り、紅露の目に映る限りは十分に狙い撃てる。
(あとは……)
 紅露は耳に装着したインカムに手を添え港を見遣った。
 つい先ほど、港に向かった維遠から通信が入った。曰く、海上に不審船あり。確かに海には見覚えのない黒い船が浮いている。目視で確認した限り、おそらく国境のぎりぎり外側に位置しているだろう。紅露の射程圏外だが警戒しない訳にはいかない。ライフルを数丁束ねてバズーカに変形させ、船に向ける。残りのライフルは。
「動かないで」
 突如現れた男に突きつけた。
 この男がここに立つには――男の接近に気付かなかった後悔よりも先に、紅露の脳は男の分析を始めた。この屋上に立つ方法は、指令所建物内部から来るか、外から降り立つかの二通りしかない。前者はありえないと言っていい。非常時で慌ただしいとはいえ、軍人以外の人間が建物内を歩き回っていればさすがに目立つし騒ぎになるだろう。となると考えられるのは後者。空から飛んできたにしろ壁を上ったにしろ、常識から逸脱した行為である。
 その“異常”をやってのけた男は白いローブを身にまとっていた。赤いネクタイを締め、眼鏡をかけている。歳は二十代後半、細身で身長は百八十前後、癖の強い髪は褐色がかった金色だ。先日【砂遺跡の国】で起こった一連の事件の内のひとつ、連続爆破事件の現場で目撃された、犯人と思われる男の外見と一致している。
 男の行為、男の外見。これらの情報から、紅露はひとつの答えを導き出した。
「随分手荒な歓迎じゃないか」
 などと言う男の言うことを聞き流しながら、左の腕甲に右手で触れる。形を変えた腕甲は拳銃となり右手に収まる。肩当てと腕甲を繋ぐ鎖が銃弾を形作り、拳銃に流れ込む。
「“スペード”の構成員ね?」
 その質問に、男が口の端を上げる。
「何でそう思うんだ?」
「その返答は肯定と見なします」
 クラムの目が光り、ライフルの内部機構が動いた。弾が生成、装填され、銃口が改めて男に向けられる。拳銃の照準を男の額に合わせる。
「貴方を全力で排除します」
 拳銃の、そしてライフルのトリガーが一斉に引かれた。吐き出された無数の銃弾は男目がけてまっすぐに飛んでいく。至近距離で発射したそれら全てをよけることなど不可能だ。それを察した男は、余裕そうに笑みを浮かべたまま、ローブをなびかせると、ぴったりと身に巻きつけた。
 銃弾はローブに触れると威力を失い、どろりと形を崩しながら床に落ちた。
「魔術師……!」
 眉根を寄せて次弾を装填する。しかしローブの下から飛び立った淡黄色の鳥の目が光り、銃砲の先端が斬り捨てられる。銃の破片は高い耳障りな音を立てながら床を転がり、融けた。肩に止まった鳥を撫でる男の左手の甲には、賭博のカードのマークを模した“組織”の紋章が刻まれていた。
「さっきの質問、ちゃんと答えてやるよ」
 手をローブの中にしまいながら、男は紅露に一歩近づいた。
「俺は“スペード”の越村。お察しの通り魔術の心得がある、あんたと同じようにな……なあ? “【港の国】の固定砲台”さんよお!」
 越村と名乗った男は一気に紅露との距離を詰めてきた。再びローブから現れた手にはナイフが握られている。斬り落とされた銃の先端を修復するも間に合わず、転がるように切っ先をよける。完全によけ切ったはずだったが、刃の先端からほとばしった炎が紅露の身を追従し、脇腹を捉えた。
「……つっ!」
 炎はあっという間に軍服を焦がし、肌を焼き始めた。このまま火達磨になっては堪らない。クラムが即座に魔力の網を張り、紅露は大気中から水蒸気を抽出した。紅露周囲の湿度が局地的に高くなる。燃焼を続けられなくなった炎は小さくなり、そして消えた。
「やるじゃないか」
 越村が感嘆の声を上げる間にも、屋上の湿度は上昇していく。こうなれば越村はもう炎の魔術を使えない。拳銃とライフルの銃口を元通りに作り直して構え、紅露は口を開いた。
「今この国に何人あなたの仲間がいるの? あなたたちの目的は?」
「さあな」
「答えなさい」
「そんなの軍人に言う訳ないだろ」
 ナイフを振り上げた越村は紅露に斬りかかろうとして、出来なかった。一歩もその場から動けなかったのである。足元を見れば、ブーツに細い針が何本も突き刺さっている。針はブーツを貫通し、床にまで届いていた。
「いつの間に……!」
 紅露を睨みつける。紅露はそれを意に介さず、手を前に差し出す。すると金属棒が越村の足を突き抜けて伸びた。先ほど越村が融かした銃の破片や銃弾が形を変えたのだった。
「くそっ」
「私の質問に答えてください。この状況、あなたの方が不利ですよ」
 越村の額に銃口を押しつけた紅露の視界に、見慣れぬ緑色が映った。見れば、港湾方面に大樹が出現している。
 維遠が港に向かったのは、国境付近まで塔亜と騎左を送り届ける為だ。二人は今、港湾方面にいる。ということは、あの大樹は騎左の妖術が作り出したものだと言える。
 二人が戦っている? “見えない壁”を支えている“スペード”の人間と? まさか! 二人はつい先ほど維遠と別れたばかりのはず、捜索を始めたばかりのはずだ。そんなにすぐに見つけられるとは思えない。相手だって巧妙に隠れているに違いないのだから。
 ならば……紅露は別の可能性を模索した。“壁”を支える者を守っている者がいるとしたら? その人物と二人が戦っているとしたら……?
 事情が事情ではあるが、彼らは民間人だ。彼らに余計な戦闘をさせる訳にはいかない。紅露はライフルを港方面に向けた。
 二人と戦う男が見える。黒い刃を携えている。その男に照準を合わせ、紅露はライフルのトリガーに当てた魔力を意識した。
 トリガーを引く瞬間、火傷した脇腹に激痛が走った。よろめき、魔力のバランスが崩れる。銃弾はあらぬ方向へ飛び、そして蒸発した。脇腹を押さえて見上げると、淡黄色の鳥が目を光らせながら主人の元へと戻ってくところだった。
「撃たせねえよ」
 両足から血を流しながら、越村は魔力で針をねじ切った。その視線を真正面から受け止め、紅露はクラムを抱き寄せた。



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