19.


 反政府組織“スペード”は、世界から意図的に切り離された人間たちの集まりである。ある者は祖国に家族を殺され、ある者は祖国から追われた。自分を異物として国から切り離した祖国に、ひいては世界に反発するべく、彼らは“スペード”として集まった。
 秦礼がその最たる例だ。
【峡谷の国】王家直属軍魔術部隊の家系に生まれた秦礼のその姿は、親兄弟とは大きく異なっていた。皆黒髪に灰色の目をした一族の中で唯一、秦礼だけは白髪で、燃えるような赤色の瞳だったのである。その上秦礼は、強大な魔力を有しているにもかかわらず、魔術を扱うことが出来なかった。この子供は呪われている――一族の誰しもが思ったそうだ。不吉な子供を国王の近くに置いておく訳にはいかない。そう判断した秦礼の父親は、秦礼を深い谷の底に幽閉した。誰もいない谷底で、秦礼は人知れず餓死するはずだった。
 そんな秦礼を拾ったのが“スペード”の頭であり静の父親、光嗣である。
「せっかく助けてもらった命っす、俺は家族や故郷を裏切ってでも光嗣の力になるっすよ」――いつだったか、秦礼はそう話していた。
 王家の内部分裂を発端とした内紛により祖国を失った澄流、鳴茅も同様だ。今や帰るべき【海底遺跡の国】など存在せず、居場所のなくなった彼女たちは、それ以来“スペード”に身を寄せている。
 そうかと思えば、 “スペード”から抜けることもせず、出来ず、大した理由もなく留まり続けている者もいる。
(例えば、俺とかな)
 孝元は大きく息を吐き出して、先ほどからこちらをねめつけている斑を見返した。
「何だ」
「『何だ』じゃないわよぉ。アンタ、アタシの話ちゃんと聞いてるぅ?」
「聞いてる聞いてる」
「嘘つくんじゃないわよ」
「本当だって」
 それに、孝元よりも上の空で、一切話を聞いていないであろう人物がいる。部屋の隅で遠くを見ながら膝を抱えている静を指差し、「あれは?」と訊くと、「論外よぉ、もう放っておいてあげてちょうだい」と呆れ声が返ってきた。
 先日【砂遺跡の国】で双子の姉、蓮を亡くして以来、静はずっとあの調子である。反政府“組織”の子として生まれ、人を殺し政府に反発し世界を壊す為に生きる彼らを取り巻く環境は、決して普通ではない。異常な世界で共に育ってきた双子は、それ故に互いに支え合い、依存し合ってきた。その支えを失った静は、周りどころか自身のことすら冷静に見つめることが出来ずにいる。それが出来るようになるまでにはまだ時間がかかるだろう。だから今の斑たちには、その時を待つことしか出来ないのであった。
 文句を言う気も削がれたらしい。斑は深く息を吐くと皆の方に向き直った。
「それじゃあ、予定より一日早いけど、作戦を実行に移すわよぉ」
 今回の目的は【港の国】の機能停止。乗っ取って占領しようというのではない。地図から【港の国】を消し去り、そんな国などなかったことにする。
“スペード”構成員の中には、王家直属軍の生まれでありながら国を離れて反政府活動にくみしている、いわゆる国家反逆者が存在する。世界軍が“組織”のことを隠蔽し続けてきたのはこの為だ。何人もの国家反逆者を野放しにしている現状を世間に知られれば、軍という組織の信用が急落してしまうからだ。
 その隠蔽を“組織”にとっていいように利用してきたが、先日の【砂遺跡の国】での事件で静が“組織”の入れ墨をマスコミに晒したことにより事情が変わった。これまではある種の都市伝説であった“スペード”の存在が、具体性を帯びながら一般市民にも知られ始めている。それと同時に、世界軍に不信感を表す者も出始めた。
 この世間が不安定な時期に大国【港の国】を潰し、軍の無能さを白日の下に曝け出す。
 そして世界軍の権威を失わせてやるのだ。
 作戦を早めることになったのは、納抄が昔馴染に、よりにもよって世界軍の軍人にわざわざ宣戦布告をしてくれたからだ。これが原因で世界軍に手を打たれ今回の作戦が失敗に終われば、今後の“組織”の活動に大きな支障が出る。それは避けねばならない。となれば、準備不十分な点も無きにしも非ずだが、可能な限り早く次の行動に移る必要があった。
 当の納抄はどこ吹く風で、謡の頭を撫でながら、斑からの刺すような視線を受け流し続けている。あの精神力、孝元からすれば少しうらやましい。
「何か言っておきたいことがあるっていう人はいるかしらぁ?」
 作戦の概要と各自の仕事を簡単に確認した斑が皆の顔を見回す。斑のその問いに、「今回の作戦とは別件になりますが」と錫が挙手をした。
「現在【港の国】には塔亜、騎左という子供が滞在しているでしょう。彼らは結局どうするのですか? “組織”に引き入れるだとか、殺してしまうだとか、当面は放置だとか、いろいろ案がありましたが」
 それまでぼんやりと座り込んでいた静が、錫の台詞を――正確には『塔亜』、『騎左』という名前を聞き、急に立ち上がった。錫に詰め寄り、彼の手をねじり上げる。
「ちょっ……何!」
「塔亜君、騎左君」
「突然何するんですか!」
「彼らは見つけ次第殺せ、存分に痛めつけて殺せ」
「痛いですって!」
「痛みを彼らにも味わわせてやるんだ」
「静!」
 錫が強引に腕を振りほどく。しかし静は謝る様子もなく、ただ、その瞬間あるひとつのことに気が付いたようだった。
「そうか、僕がやればいい」
「?」
「そうだ、皆に頼まなくても、僕がやればいいんだ」
「おい、静?」
「僕が……僕があの二人を殺すんだ!!」
「どこに行くんだ!」という孝元の言葉に応えることなく、静は部屋から走り去っていった。突然の出来事に戸惑いを隠せず、静の背中を見送るだけだった面々だったが、「仕事が一つ増えちゃったわねぇ」という斑の声で視線を彼女に戻した。
「静は見つけ次第確保、そしてここに連れ戻すこと。いいわね?」
 斑の言葉に片手を上げて応えた孝元はローブのフードの膨らみを確認すると、秦礼を手招きして次の行動に移った。
 今回の作戦の一手目を打つのは孝元たちだった。これを皮切りに、他のメンバーたちが各々の行動を開始するのである。一刻でも早く始める必要があった。
 孝元の仕事は、“見えない壁”の生成。
 空気分子を一カ所に集めて分厚い空気の層としたもの、これが“見えない壁”の正体である。知らずに近付こうものなら、気圧差から発生する暴風に吹き飛ばされてしまう。【砂遺跡の国】の周囲には常時この“壁”があり、かの国で計画を実行する際の障害となっていた。
【砂遺跡の国】で“見えない壁”の解除を命じられていた孝元は、その任を果たすと同時に“壁”の構造を探った。結果分かったのは、“壁”を生成する為にはただでさえ扱いにくい空気分子を同時に大量に操作しなければならないということだ。高い魔術スキルと膨大な魔力を必要とし、更に神経をすり減らす作業である。【砂遺跡の国】の周囲に常時この“壁”を作り続けていた魔術師は、かなりの手練れであったと言えよう。
 そしてもうひとつ。魔術スキルはともかく、孝元には “見えない壁”を支える為の魔力が足りないことが分かっていた。
 しかし、孝元にはそれを補う手段がある。【港の国】を囲う塀の前に立ち、孝元は左に並ぶ秦礼を見遣った。
「それじゃあ、やるか」
「うっす!」
 フードの中で丸まっていたカラクリを引っ張り出し、秦礼に抱えさせる。秦礼から膨大な量の魔力が流れ出し、それをカラクリが増幅させる。魔力の波は塀に沿って威力を増しながら【港の国】を覆い尽くす。魔力は孝元の手を介し、形となっていく。
 魔力に操られ、大気が流れ始めた。在るべき場所を決められた気体分子が目的の場所へまっすぐに向かう。流れは次第に早くなり、風となる。木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、木の葉が舞い散る。顔を叩く前髪を押さえつけながら、孝元は木の枝が風に折られるのを見た。
 そして、在るべき場所に辿り着いた分子たちは、最後に大きな風を生んだ。この瞬間、【港の国】をすっぽりと覆う、ドーム状の“見えない壁”が完成したのである。



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