18.


「協力要請はしたが、独断行動を許した覚えはない!」
 大通りの酒場での尾行と盗聴は、汰施を通して維遠に報告されていたらしい。顔を合わせて開口一番、維遠は塔亜と騎左を怒鳴りつけた。
「いいじゃねーか、向こうには俺たちのことバレてなかったと思うぜ。多分」
「『思う』だとか『多分』だとか! そんな言葉が信用出来るか!」
「しかし“組織”の動向を窺うことには成功した」
「問題はそこじゃないだろう! 貴様ら、“組織”に命を狙われているという自覚がないのか!?」
 維遠は何を言っても終始このような調子で、以後軍の目の届かないところで勝手な行動に出ることを、改めて禁止された。反物屋から護衛任務の報酬を受け取る時でさえ、護衛として紅露がついてきた。
 軍人たちの監視の中で二人に許されたことといえば、“組織”に対抗すべく策を練ることくらいだった。二人は【港の国】地図を見て国内の地形を頭に叩き込み、汰施の車で国内を回りながら覚えたものを身体に刻み込んだ。
 その最中に鳴り響いた緊急ブザー音だった。

「くそっ」
 静かな病院に塔亜の声がこだまする。車のスピーカーから吐き出されたブザー音、そして『傷害事件発生!』という音声が、耳から離れなかった。
 この日もまた、少年連続傷害事件が発生した。服飾街のすぐ裏の通りで、十五歳の少年二人が刃物を持った男に襲われたのだ。軍は、犯人の特徴、被害者の条件などから、これまでに発生した連続傷害事件と関連するものであると見て捜査を始めている。
 しかし今回はこれまでとは異なり、第三の被害者が存在する。
 偶然事件現場にい合わせた日和までもが怪我を負わされたのだ。
「くそっ……!」
 拳が固く握られる。無意味に振り上げられた拳は、ゼファにつつかれて力なく膝の上に落ちた。
 軍指定病院に着くなり、日和は救急隊員により処置室へ運ばれ、二人と一羽は待合室で待機するよう指示された。あれから随分と長い時間が過ぎたように思える。しかし壁時計を見上げるとそれは塔亜の気の所為で、小さく舌打ちをすると、右手に伸びる廊下を見遣った。
 どうしてこんなことに。どうして日和が。塔亜は何度も胸の内で自問した。
『偶然事件現場にい合わせた』から、だと? そんな理由を受け入れられるはずがない。何の関係もない日和が、そんなつまらない理由で怪我させられていい訳がなかった。
 廊下の向こうから扉の開く音が聞こえた。塔亜は顔を上げると立ち上がり、吸い寄せられるように音のした方へと向かった。
 ちょうど、廊下沿いに並ぶ処置室のひとつから、日和が看護師に支えられながら出てきたところだった。出血の所為かそれとも恐怖の所為か顔色が悪く、左腕に幾重にも巻かれた包帯が痛々しい。
「日和……」
 呼びかけたはいいものの、まっすぐ彼女を見ることが出来なかった。どこを見ていいのかすら分からず、日和の泥で汚れた足袋と血で汚れた振袖のあたりで視線をさ迷わせた。
 看護師の手を離れた日和がこちらに歩み寄る。意を決すると、塔亜は日和の両肩を掴んで寄せた。
「塔亜?」
「ごめん」
「……どうしたの? 何で謝るの?」
「ごめん」
“組織”の所為……いや、これは俺の所為だ。日和の怪我は、他の誰でもない俺の所為なのだ。
 謝罪の言葉を口にすると同時に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。自分自身の不甲斐なさに対する怒り。そしてこの状況を作り上げた“組織”に対する怒り。“世界”に対する怒り。
「……何で」
「? 塔亜?」
「何で、日和が! 犯人の狙いは!」
 俺たちだろ――そう続くはずだった塔亜の台詞は、いつの間にかすぐ後ろに立っていた騎左の咳払いに遮られた。はっと我に返れば、日和が心配そうに塔亜の顔を覗き込んでいる。
 日和は“犯人”のことを――“組織”のことを知らない。塔亜は吸い込んだ空気を「何なんだろうな」と吐き出した。
 間もなくして、紅露に連れられた時雨が現れた。軍から事件のことを聞いたのだろう、ひどく慌てた様子だったが、日和の姿を見つけるといくらか緊張が解けたようだった。
「日和!」
「お母さん、あたし……」
「この、馬鹿者」
「……っ、ごめん、なさい」
 時雨の腕が日和をしっかりと抱きしめる。それを確認し、塔亜は待合室を離れた。
 現在、もう二人の被害者は指令所で事情聴取を受けている。じきに日和のところにも聴取の為に事件担当の軍人がやってくるだろう。加えて、時雨も来たことだし、日和の安全は約束されたと言える。塔亜が彼女の傍にいる必要はない。
 病院正面玄関に向かおうとして。
「どこへ行く」
 騎左に呼び止められた。
「決まってんだろ、“奴等”を捜すんだよ。で、ぶっ潰す」
「何を言っているんだ。お前、自分も怪我人だってことを忘れていないか?」
「もう治ったし」
「そんな訳あるか」
 塔亜の正面に回り込んだ騎左が、廊下をふさぐように刀を突き出す。
「今は無茶する時じゃない」
「じゃあ! 黙って見てろって言うのかよ! そんなこと出来る訳ねーだろ!」
「そうじゃない」
「だったら何だよ!」
 騎左の胸倉を掴んだその時だった。
 窓枠が小刻みに震え、窓の外の木々が大きくしなった。
 そして、窓という窓が次々に割れていったのである。



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