17.


(何かおかしいなあ)
 城門前広場のマーケットを歩きながら売り子のセールストークをかわしていた日和は腕を組んで首を傾げた。
 病院で面会した翌日、塔亜と騎左は宣言通り、報酬を受け取りに反物屋の元を訪れた。その時は日和もテントにいたのだが、二人は特に日和と話をしようとせず、「お前らが帰国する頃にはもう一回話に来るよ」とだけ言い残すとすぐに引き返していった。
 これが一つ目のおかしい点だ。【東端の島国】から持ち込んだ大量の絹布は反物屋の想像以上に好評で、決して安価なものではないにもかかわらず、【港の国】で商売を始めて今日で四日目にして完売の見込みだ。反物屋は行商をしているのだから、品物がなくなればそこで商売は終了、帰国する。当初の予定よりは早いが明日にはテントを畳んで帰国をしよう、と反物屋は言っていることを、塔亜たちが知るはずもない。それなのになぜ彼らは「お前らが帰国する頃に」などと曖昧な言い方をしたのだろうか。
 おかしい点の二つ目は、塔亜たちがテントに訪れた時、軍人も一緒だったことだ。私服姿だったが間違いない。三日前に日和が病院を訪れた時、日和を案内してくれた紅露という女性軍人が、塔亜たちと行動を共にしていた。紅露はテントにまでは入ってこなかったが、テントに入る前、そして出た後も、二人の傍を歩いていた。
 そして更に三つ目。病院を去る時、塔亜は「気をつけろよ」と言った。確かに入国前、行商団は盗賊に襲われた。しかし、あれはまだ危険が続くことを予測しているかのような言い方だった。日和の記憶にある塔亜とは、そんなに気の利く人間ではない。そんな人間が万一のことを心配して発言するようには、とても思えないのだ。
(でもなあ……)
 日和は考える。気の利く人間ではないからこそ、特に何も考えないで発した言葉なのかもしれない。二人が私服軍人と行動していたという事実がとにかく気がかりだが、それを日和に言わないのは、日和には一切関係ないからこそだろう。
「やっぱり、塔亜は変わったよ」
 声に出したのを最後に、このことは忘れることにした。気にしていても仕方がない。日和は城門前広場を後にした。

【港の国】は貿易による収益で成長した国だ。ジャンルを問わず物が豊かで、食堂街には世界各国の郷土料理を提供する店が軒を連ねている。これも世界中の食材がこの国に集まっているからこそ成り立つビジネスである。昨日の夜に立ち寄ったのは【港の国】と【東端の島国】の伝統が融合した創作料理の店で、日和の他、同行した母親の時雨や行商団の面々も満足出来る味だった。
 しかし、年頃の日和としては、食よりも衣に興味があった。かつて城仕えだった頃の名残なのか、時雨は日頃から【東端の島国】民族衣装を着ている。その影響もあって日和の私服も多くは国の民族衣装だ。しかしそれ以外のものを全く着ない訳ではない。他国で流行しているドレスや靴だって好きなのだ。
 服飾街の入り口に立った日和は感嘆の声を漏らした。遠く離れた【東端の島国】でもよく耳にする有名なブランドショップの看板が並んでいる。どのブランドのロゴも強く主張しているが決して厭らしくなく、品がある。日和はショーケースを覗いては「可愛い!」と喜び、添えられた値札を見ては項垂れた。
 ショーケースの更に向こう、店の奥では、買い物客が店員と談笑しながらバッグを品定めしていた。外見から判断するに、客は時雨と同年代の女性だった。
 思えば、母が高級品を好んで手に取っているところもそれを羨んでいるところも、見た記憶がなかった。
 日和の父親が死んで、もう九年が経った。【東端の島国】王家直属軍に属する軍人だった父親は、島の周りを巡回中に海賊の凶弾に倒れたのだ。父親だけでなく父方の祖父母も王家に仕える軍人であり、その一族に嫁として迎えられた時雨も一時期は軍人として国王の為に働いていたが、夫との死別を機に退役した。当時まだ幼かった日和を連れて城を出た時雨は、それから女手ひとつで娘を育ててきた。
 時雨は本当に高級品などには興味がないのかもしれない。しかし、これまで時雨には自分の為の時間がほとんどなかったことを考えると、興味をもつ暇すらなかったのかもしれない。
 日和が大人になったら、自力で金を稼ぐようになったら、そうしたら今度は時雨と嗜好品を買いに出掛けよう。そう心に決め、日和はショーケースを離れた。
 服飾街の大通りを一往復する間に、数えるほどにではあるが、大通り沿いの店の反対側――裏通りから出てくる人間に遭遇した。人の出入りがあるからには、裏通りにも何かしらの施設があるのだろう。ちょっとした好奇心から裏通りに足を踏み入れ、その薄暗さに驚かされた。通り両脇の建物の影が、狭い道いっぱいに落ちているのだ。漂う空気には湿り気がある。ほぼ一日中、日が当たらないようだ。
 しかし、決して賑やかとは言えないが人通りはあるし、年季が入った外観の喫茶店にはぽつりぽつりと客の姿が見える。喫茶店だけではない。金物屋や古本屋、古着屋など、どこを覗いてみても客がいる。むしろ客のいない店の方が少ないくらいだ。この裏通りには、流行に左右されない、昔からの常連客に愛される店が並んでいるのだろう。
 たまたま目についた小さな黒板に『手作りアクセサリー』と書かれていることに気付き、その店にふらふらと近付いた時だった。手作りアクセサリー店とその隣の音楽ディスク店の隙間から、人間が二人飛び出してきた。ひとりは金髪、もうひとりは黒髪、いずれも男。ひどく怯えた様子で、言葉にならない声を上げている。
「わっ!」
 突然のことに驚き、そしてその組み合わせから、日和は一瞬塔亜と騎左を連想した。しかし、年頃は確かに同じくらいだが、体型も顔も全く違う。何だ別人か。それにしてもこの人たちはいったい何に怯えているのだろう。二人が出てきた隙間の方に目を向ければ。
 そこには、刃物を持った大柄の男が立っていた。
 通りすがりのおばさんが刃物を見て金切り声を上げた。表通りの方へ逃げようとした老人が躓いた。買い物を終えてちょうど店から出ようとしていた客は、再び店に引っ込み慌てて戸を閉めた。
 そして日和は。
「!」
 刃物の男と目が合ってしまった。初めは少年たちに向けられていた刃物が、今度は日和を捉えた。
「えっ、何何!? 何なの!?」
 突き出される刃物をよけ、男の腕を左手の甲で受け止める。間髪入れずに繰り出した右の拳は弾き返され、バランスを崩す。男から距離を取りつつ体勢を立て直し、日和は通りの隅にへたり込んでいた金髪の少年を指差した。
「ねえ君! 急いで軍に通報して!」
「えっ」
「早く!!」
 日和に急き立てられ、少年は立ち上がるともつれる足で走り始めた。黒髪の少年もそれを追っていった。それを視界の端で確認し、日和は意識を刃物の男に集中させた。
【港の国】の治安が【東端の島国】よりも悪いことは知っていたが、刃物を持った男が街をうろうろするほどだったとは。なぜこの男はあの少年たちを襲ったのか、それとも理由などなく通り魔事件なのか――そこまで考えて、近くの【砂遺跡の国】で最近起こった事件を思い出す。
 まさかこの男も、先の事件の犯人だという凶悪な反政府組織の人間なのだろうか。恐怖を振り払うように男の刃物を握る手を叩き、足を払う。手をついて身をひねり体勢を立て直した男が再び刃物を突き出す。よけ切れず、刃の切っ先は日和の腕をえぐった。
「――っ」
 大声で叫びたいところを我慢して身構える。傷から溢れ出した血が肘から滴り落ち、着物の裾を汚す。薄紅色の花柄に、赤黒い血がじわりと広がった。
 地面を蹴り、間を詰める。着物の長い袖を男の顔に叩きつける。視界を奪われた男が一瞬動きを止めた。その隙をついた日和は男の背中を取り、かかとを脳天に叩き落とした。……はずだった。
 しかし男は、止まった蠅を払うかのごとく頭を撫でると、再び日和に刃を振り下ろそうとした。
「何で……!」
 当たれば相手の体勢を崩すことの出来る、日和の得意技だというのに。男は視界不明瞭だったにもかかわらず頭の位置をずらして日和の攻撃をよけたのだ。
(この人、強い!)
 相手の実力を認めると同時に、勝てない、という弱気がよぎった。足の力が抜けて膝が折れる。尻が地面につく。
 殺される。嫌だ。死にたくない。こんなところで死にたくない。死ぬなんて嫌だ――!
 血で濡れそぼつ腕で頭を覆い、きつく目を瞑る。自分の身に刃物が突き刺さるところを想像して総毛立つ。
 しかし次に日和が知覚したのは切り裂かれる痛みではなく、日和の身体を包む温かな腕だった。
「大丈夫ですか?」
 その声に目線を上げれば、すぐ目の前には紅露の顔があった。ぎこちなく頷くと紅露は「よかった」と呟き、日和を抱いたまま右手でジャケットの左袖から覗く腕甲に触れた。腕甲は紅露の腕を離れ、形を変えていく。次の瞬間、彼女の右手には拳銃が収まっていた。
 突如現れた銃を建物の隙間に向けていた紅露だったが、深い茶髪の男性が「俺が追う!」とそちらの方へ走っていくのを目で追って、右腕を下ろした。
「立てますか?」
「は、はい……」
 紅露に支えられて立ち上がる。さっきの少年たちが通報してくれたのだろう、想像以上に早く軍がかけつけてくれたおかげで助かった――そう、助かったのだ。実感がわき、気が緩んだのか涙がこぼれた。紅露が差し出してくれたハンカチを受け取った時、ようやく彼女が軍服ではなく私服姿であることに日和は気付いた。自分の血だらけの腕を見下ろして、傷口を隠すように抱える。
「あの、あたし……すみません」
「気にしないでください。急いで病院へ行きましょう」
「あ、ありがとう、ございます」
 促される方向に進もうとして、日和は足を止めた。
 白の普通車が一台、通りに対して垂直に停まっていた。運転席と助手席の扉は開けられたままだ。そして今、後部座席の扉も開いた。
 車から降りたのはオレンジ色のパーカーと菖蒲色の羽織、そして銀白色の鳥。
「塔亜……騎左君? 何で?」
 紅露は通報を受けて出動してきたのではないのか。なぜ塔亜と騎左が、そんな彼女と一緒にここに現れたのか。二人はいったいこの国で何をしているのか。
 日和はただただ驚き、疑問を抱え、塔亜の顔を見つめることしか出来なかった。



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