16.


 渡航してきた人々の入国手続きは船を下りる直前にしているが、国境自体は海上に引かれている。もし【港の国】で許可されていない船舶が港に近付いてきたらその時点で領海侵犯、国防という観点からすれば攻撃対象になり得る。その監視は、灯台の上の監視室で行われている――灯台を指差しながら、汰施はそう語った。
「世界軍も王家直属軍も、今は人員を増やして警備にあたっているし、積み荷の検品と入国手続きだって厳重に行っている。だけど、それでも警備体制としては十分とは言えないのが現状かな」
 汰施の本音に塔亜が「えっ」と唸る。
「なあおい、軍人のくせにそんな弱気な発言しちゃうのかよ」
「そうじゃない、軍が今置かれている状況を冷静に分析するのも仕事の内だよ」
 頑張れば国が守れる。これだけやったのだから大丈夫だ。そんな楽観視が事態を好転させることは極稀だ。事の深刻さとそれへの対処を見誤れば、逆に窮地に立たされることすらある。だから軍は、正確に現実を捉えて今出来ることを確実にこなし、これから予想される被害を最小限に留める努力をしなければならないのだ。
「俺たちは確かに軍人としていろんな権限を与えられているけど、決して万能じゃないんだ……悲しいことにね」
 さあ、この話はもう終わりだ。そう言わんばかりに汰施は両手を打ち鳴らした。塔亜と騎左に、港の防衛の現状は伝えた。そろそろ次へ移動する時間だ。
「よし、じゃあ次は」
 第二国門の位置を確認しよう、と言いかけた騎左を。
「国立博物館だな!」
 塔亜の元気のいい声が遮った。
「俺、芸術ってあんまりよく分かんねーけど、剥製とか化石とかも展示してあるって聞いたぜ。何か面白そー」
「塔亜君、遊び目的なら帰るよ」
「冗談だってば。第二国門だろ?」
 呆れ顔で車に戻ろうとする汰施を、塔亜が慌てて追いかける。その様子を騎左の肩の上から見ていたゼファは、やれやれと首を横に振り、翼を広げて飛び上がった。
 ゼファが宙で動きを止めたのは、少女が紅露にぶつかり、彼女が足を止めたからだった。
 少女の顔つきから判断するに、塔亜たちより少し年下。髪は黒く長く、緩やかに波打っている。健康そうな褐色の肌に白いワンピースをまとい、右の足首には金色のアンクレットが輝いていた。
「あら、こんにちは」
 そんな少女に挨拶する紅露に、塔亜と騎左は顔を見合わせる。少女からは二人の姿が見えていないから、「誰?」と訊ねることも出来ない。代わりに汰施の肩をつつく。汰施も少女のことは知らないようで、首を傾げている。
「こんにちは。この前はありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
 はにかむ少女に微笑みかける紅露に、汰施が声を掛けた。
「准士官。そちらは?」
 手で少女を示す。汰施の手の動きを目で追った紅露は頷くと、汰施(と二人)に向き直った。
「先週、迷子の案内をしたって話したでしょう? その子ですよ」
「ああ、その時の」
 納得のいった汰施の表情を確認すると、紅露はかがんで少女と目線を合わせ、真っ黒な瞳を覗いた。
「今日はおうちの方と一緒ですか?」
「うん、大丈夫。迷子じゃないよ」
「それならよかったです」
 少女が動く度、大ぶりのアンクレットが太陽光を反射させる。かかとの高いサンダルに縫い付けられたビーズが、ワンピースの裾が揺れる。少女の年齢に似つかわしくない装飾が細やかに動き、華やかさを演出する。
 しかし華やかさは、少女の名を呼ぶ声をきっかけに、どろりとした悪へと変化した。
「謡」
 それが少女の名なのだろう。はじけたように顔を上げ、少女は声の主に駆け寄った。
 声の主は栗色の長髪の男で、黒いコートを羽織り、謡の肩を抱きかかえた手にはコート同様黒いグローブをはめていた。そしてその男は、汰施と紅露に視線を投げかけると。
「どうも、先日は謡が世話になりました」
 にやりと笑ったのだ。
 男は、昨日第一国門の外で行商団を襲った納抄その人だった。
 身構える軍人二人に、納抄が肩をすくめてみせた。
「やめてくれ、こんなところでどうこうしようだなんて思っていない」
「とても信用出来ません」
「全く、あんたたちも気が短いな。上司そっくりだ」
「上司の敵相手に、呑気に構える訳にはいかないでしょ」
「維遠が俺のことを敵だと言ったのか? 俺はあいつのトモダチだぞ」
 呆れたとでも言いたげに、納抄は首を横に振って溜め息をついた。これ以上言葉を交わしたところで、軍人たちは納抄に理解を示さないに違いない。
「今日は謡のことで礼を言おうとしただけなんだが、受け取ってもらえないなら仕方がないな」
 謡の手を引いて背を向ける。
「殺し合いは次に会った時にしよう。俺たち“スペード”が【港の国】を壊すその時に」
 汰施にも紅露にも言葉を返す間を与えぬまま、納抄はこの場を後にした。しかし、“組織”の人間に好き勝手に言われ、このまま黙っていることは出来ない。“奴”をこのまま返すことなんて出来ない。
「俺たちがあとをつける」
 汰施にそう耳打ちすると、騎左は早足で納抄の背中を追い、テントの影に隠れた。塔亜もすぐについてきた。汰施が「待ちなさい!」と叫んでいるが、彼にこちらの姿は見えていないのだから、抑止力など皆無に等しい。塔亜と騎左は雑踏に紛れた。
 いくら騎左の術で姿を消しているからといって、あまりに近付けばすぐに尾行に気付かれてしまうだろう。そんな失態は絶対にあってはならない。油断は禁物だ。ゼファに上空から追わせ、そのゼファを追うことで、距離を置きながら尾行することにした。
 港湾マーケットを抜け、ゼファは商店が建ち並ぶ大通りに出た。石畳の通りに面した雑貨屋やカフェテリアには人が集い、活気が溢れている。そのせいか、通り沿いに続く街路樹の葉も青々として艶やかに見える。
 ゼファはそんな通りの一角にある酒場の軒先に止まっていた。窓から店内を覗いてみれば、納抄が四人掛けのテーブルについているのが見えた。納抄の隣には謡が、そして正面にももう一人座っているようだ。
「あれ、両方とも“組織”の奴かな?」
「その可能性は高いな」
 汰施と紅露を挑発する納抄、納抄に敵意を見せる汰施と紅露。大人たちの敵意を目の当たりにしても、謡は顔色一つ変えなかった。そのような場に立ち会うことが少なくなかったのであろう。塔亜たちよりも幼いだろうに。とすると、彼女も“組織”のメンバーか、或いは深い関わりがあると推測される。
 世界から断絶されたところで生きる“組織”の人間が、わざわざ酒場で堅気の人間と会うとは思えない。“組織”の人間同士で何かしらの情報交換をする為に接触していると考えるのが妥当だ。
 近くまで寄って何を話しているのか聞きたい。しかし店に入れば“奴等”に気付かれる。何か手はないだろうか――頭をひねっていると、納抄たちの隣のテーブルに座っていた客が立ち上がった。店内には他に空いている席がなく、テーブルに飛びついた給仕係の女性が、次の客を通す為に大急ぎでグラスと皿を片付けている。店の扉の前では、店員が男性客に声を掛けている。
(……あれだ)
 塔亜はパーカーの右ポケットに手を突っ込み、手のひらに収まるほどに小さな拳銃を取り出した。
「おい、それは何だ?」
 騎左が訊ねても塔亜は答えず、銃口に筒状の装置を取り付ける。片手で構え、店員に案内されて店に入っていく客めがけて発砲した。
「お前!」堪え切れずに騎左は声を荒げた。「民間人相手に何をやっているんだ!」
「静かにしろよ、気付かれたらどうすんだ」
「だがお前、今……!」
「怪我させるだとか、そんな間抜けな真似してねーよ。よく見ろ」
 言われて見遣れば、先ほど塔亜に撃たれた客は何事もなかったかのように入店し、空いたテーブルに案内されている。
「……お前、何をした?」
 改めて問うた騎左に、塔亜は「あの客の鞄に盗聴器を撃ち込んだんだ」と答えた。
 小型拳銃DR76を改造して作ったこの銃は、針のように細い弾丸を射出する。弾丸には盗聴器が仕掛けられており、他者に撃つことで器械の『運び屋』をさせるのだ。注意して見てみると、謡と背中合わせになる形で座った客の鞄には、確かに針のようなものが突き刺さっていた。また、盗聴器内の電気回路には過剰に負荷をかけ、射出から一定時間経つ頃にショートするよう設計してある。これにより『運び屋』のプライバシーも守られるという安心設計だ。
 塔亜は改造銃を再びポケットに収めると、今度は左ポケットから小型の機械を出した。外見はただの音楽ディスク再生用機械だが、ボディのつなぎ目を無理矢理剥がしたような跡があることから、内部に手を加えられていることが分かる。事実、この機械にもともと取り付けられていた音楽ディスク読み込み装置は取り払われ、その代わりにラジオの受信機が埋め込まれている。
「どうしたんだ、ラジオなんか出して」
 訊ねながら、騎左は渡されたイヤホンを耳に当てる。しばらく雑音と電子音が交互に聞こえていたが、一度何も聞こえなくなったかと思うと、次の瞬間ざわめきと陶器が触れ合う音、そして給仕係の『いらっしゃいませー!』と言う声が流れてきた。
「改造ラジオで盗聴器の音声も拾えるように受信出来る周波数域を設定し直したんだ。これで店の外から中の音が聞ける」
 自慢げに解説する塔亜に、騎左は「はあ、そうか」と気の抜けた返事しか出来なかった。
 大通りの喧騒から逃れる為、塔亜は店の脇に回り込んだ。軒先で丸くなっていたゼファを抱えた騎左も塔亜に続く。二人は人通りの少ない店裏手の壁に体重を預けて息をひそめ、イヤホンからの音声に集中した。
『――か食べるか?』
『うん、お腹減ったもん』
 納抄の声、そしてそれに答える謡の声だ。『好きなものを頼んでください』という男の声は、納抄の正面に座っていたもう一人の人間のものだろう。塔亜はイヤホンを耳の奥まで押し込んだ。
『じゃあハンバーグにするー』
『酒場にハンバーグなんてあるのか』
『メニューに載っているんですから、あるんでしょうね……あ、すみません、注文いいでしょうか』
 会話の内容は至って普通で、ただ食事に来た青年と少女のそれである。
『【港の国】は果実酒が有名ですよね。納抄も飲んでみたらどうですか』
『そうだな、じゃあ俺もお前と同じものを』
『では白果実酒を二つ、それからハンバーグをひとつ』
 和やかな会話は、これからこの国を襲おうとしている“組織”とは結びつかない。まさか本当にただ食事をしに来ただけじゃないだろうな? そんな疑惑を、頭を振って追い払う。
 どんな些細なことでもいい。納抄が宣戦布告した四日後の件に関わることを、何か話していないだろうか――。
『……それで? あいつらと連絡は取れたのか?』
 納抄の声に、思わず塔亜は息を止めた。
『もちろん。現在、越村は単独で、孝元は秦礼と一緒にこちらに向かっています』
『到着は』
『当初の予定通りです』
 越村。孝元。秦礼。三人分の名前が挙がった。
 この店の中に三人、“組織”のメンバーがいる。もう三人がこちらに向かっているという。
【砂遺跡の国】は五、六人の“組織”メンバーにより国家崩壊の危機にまで追いやられたと言われている。それと同程度、或いはそれを上回る人数が、これから【港の国】に集まろうとしている。
 盗聴器の音声が急に遠くなった。言葉は次第に不明瞭になり、イヤホンは雑音を吐き出すようになった。
「もう、三人……」
 騎左のかすれ声を、塔亜は上の空で聞いた。



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