15.


 背の高い塀に囲まれた国の重要施設が道路沿いに続いている。この区域の先、小高い丘を登ると見えてくるのが、世界最大規模の貿易港だ。
「何だか変な感じだなあ」
 港に向かう車を走らせながら、汰施は“人の姿のない”後部座席に声を掛けた。
「二人ともちゃんと乗ってるんだよね?」
「ああ。術を解いた方がいいか?」
 誰もいないはずの後部座席からの声に「いや、そのままでいいよ」と返す。ミラー越しに後ろを見、肩をすくめ、前方に視線を戻した。
 運転席の汰施と助手席の紅露、二人しか乗っていないように見える白い普通車が、上り坂にさしかかる。乗員の割にエンジンが大きく唸る。姿は見えなくても、後部座席には確かにもう二人と一羽が乗っているのだ。
 世界軍にも妖術師や魔術師を集めた特殊部隊が存在する。騎左の使っているような妖術も、今更珍しいものではない。しかし自身の常識を狂わされる感覚に、汰施はいまだに慣れることが出来ないでいた。
 汰施とは違う常識の中で生きているのは、術師だけではなかった。その最たる人――かつての師を思い出しながらアクセルを踏み込む。
「君たち、【砂遺跡の国】から来たんだよね。風谷さんは元気だった?」
 名を出すと、後ろで人の動く気配がした。見えない手が汰施の肩を叩いた。
「えっ何、風谷のオッサンのこと知ってるの?」
「うん。俺と維遠は昔、風谷さんから新人教育を受けたんだ」
 世界軍に入軍してすぐ、各指令所に配属が決まる前に、新人軍人は一年かけて訓練を受ける。基礎的な体力トレーニングや爆発物処理、情報処理など、内容は様々である。汰施や維遠が入軍した当時、銃撃訓練の担当が風谷だったのだ。
「あんな自分勝手なオッサンが新人教育って人選ミスじゃない?」
 好き放題に言う塔亜に続いて、「そうか、なるほど」と騎左が唸るのが聞こえた。
「風谷が言っていた知り合いというのはお前たちのことか」
「あれ、オッサン何か言ってたっけ?」
「俺にはな。【港の国】指令所には知り合いがいる、と」
 そして風谷は、その知り合いに病院を紹介させる、とも言っていた。怪我をしている塔亜を、珍しく気遣っての発言だった。
 だから昨日、あの事件の後、軍――正確には維遠は二人を病院に放り込んだのだ。二人のことを風谷から頼まれていたから。軍の上官の頼みを断る訳にはいかないから。
 少し頭をはたらかせれば想像出来たことだった。もっと早く気付くべきだった。さすがに事件に巻き込まれたのは想定外だっただろうが、回り道をしても結局は風谷の思惑通りに動いたことになる。面白くない。騎左は小さく舌打ちをした。
 車が坂を上りきり、視界が開けた。下り坂沿いに白色の煉瓦で出来た家が建ち並び、その先には海が広がっていた。
「おー! 海だ!」
 後部座席の窓が開いた。車体が揺れたのは、塔亜が身を乗り出したからだろう。しばらくそうして風に当たっていたようだが、後ろからバイクに追い越されると、頭を引っ込めたのか窓が閉まった。
「あーびっくりしたー」
「何が」
「頭はねられるかと思った」
「は?」
「今のバイク、この車とすれすれのとこで追い越してった。ったく、危ねえなあ」
「仕方ないだろう、バイクの運転手からはお前が見えていないんだ」
「だからって、追い越すにしてももうちょっと余裕をさ……」
 塔亜はそこで文句を切った。「何? あれ」と呟く為だった。
 窓の外、青い空に小さな赤い点が浮かんでいた。それはこちらに近付いているのか、徐々に大きくなる。輪郭がはっきりと見えてくる。
 それは燃えるような、鮮やかな赤色の鳥だった。紅露が助手席の窓を開け、その鳥を車内に招き入れる。赤色の鳥は一度助手席で大きく翼を広げると、首を伸ばして後部座席を覗き込んだ。驚いたのか、ゼファが騎左の羽織の中にもぐり込む。赤色の鳥は首を傾げると、翼を畳んで丸くなり紅露の胸に身体をうずめた。
「紹介しますね」紅露が後部座席を振り返った。「この子はクラム。私のパートナーの魔鳥です」
 紅露の襟の白い徽章、准士官という位は、妖術師、魔術師からなる特殊部隊に属する軍人に与えられている。階級、そして魔鳥、これらが意味するのは。
「コテーホーダイさん、魔術師だったんだ」
 塔亜の声に紅露は頷いた。
「そういえばまだそのお話はしていませんでしたね」
「うん。白つけてるのに鳥連れてないから、何か訳アリなのかと思ってたよ」
「もちろんいつもは一緒ですよ。でも最近はこの子単独で仕事をさせることがあって……」
「仕事?」
「ええ、街の巡回を」
 先日の【砂遺跡の国】での事件以降、【港の国】の国境警備は強化された。この国の玄関である第一国門、第二国門、そして貿易港では、出入りする人間、動物、荷物、全てが検められていた。国境警備に人員を割いた結果、国内の警備は手薄になった。この穴埋めの為に、軍に所属する妖鳥や魔鳥が巡回を任された。苦肉の策だったが、人手不足だからといって国境警備を疎かには出来なかったのだ。
 特に港だ。“組織”は『【港の国】を破壊する』と宣言した。貿易で栄えた【港の国】にとって、貿易港は国の商業の中心であり象徴だ。これを考えると、“組織”の狙いは政治の中心である【港の国】王城か、或いはこの港だろう。
「王城や国門は王家直属軍が守りを固めている。だから俺たち世界軍はそれ以外の場所、港や街中なんかの警備を任されてるって訳さ」
「そんな時に士官が二人もこんなことをしていていいのか?」
 少尉と准士官が、子供二人と妖鳥を連れて貿易港に向かっている。気付けば下り坂も終わり、車は堤防沿いの道を走っている。道の端、タイルを敷き詰めた歩道では、荷車を引いた商人や網を担いだ漁師、港にあがった品を買い求める客らが行き交っている。小さく見えていた船がすぐ目の前に停まっている。
「まあ、これも上官の命令だから」
 汰施はそう言って笑うと車のスピードを緩めた。端に車を寄せ、停車する。
「ここで降りるよ。ここから先は歩行者が多い。歩いていこう」
 汰施、紅露が降り、クラムが後部座席に移った。紅露が後部座席のドアを開ける。クラムが飛び出すのに続き、塔亜たちも車から降りた。
「くれぐれも俺たちの傍から離れないでね。頼むから」
 汰施の忠告もむなしく、気配はさっそく離れていく。汰施は紅露と目を合わせ、溜め息をつき、空高く舞い上がったクラムを見上げた。
 港は大きく土地がえぐれた湾に沿って作られていた。波がほぼ届かず水面が静かな船着き場とは対照的に港の両端は大きく海に張り出し、それぞれ灯台が建っている。船着き場前の広場には数多くのテントが並び、テントの下では商人たちが自慢の品に値をつけていた。その品は、沖で獲れた魚から輸入した骨董品まで様々だ。品数で言えば照名族自治区には劣るかもしれない。しかし照名族自治区よりも広範囲から品物が集められており、世界随一のマーケットを形成している。この【港の国】の港湾マーケットは世界的にも有名で、遠くの国から見物に来る者も少なくなかった。
「これが港湾マーケットかー」
 テントの並びに法則性はなく、氷水で冷やした南国果物を売っているテントの隣では南備地方の工芸品が売られている。テントをひとつひとつ覗きながら、塔亜は器用に人と人の間をすり抜けていった。すれ違う人は塔亜の姿が見えていないのだから、こちらがよけていくしかない。串焼きの屋台から美味しそうなにおいが漂っているが、店主にも塔亜の姿が見えないのだから買うことが出来ない。
 仕方ない。塔亜は前を歩く汰施の肩をつついた。
「ねえオレンジメッシュ、俺の代わりにあの串焼き買ってよ」
「うーん、人のことを髪の色で呼ぶのはやめた方がいいと思うけどね」
「それおかっぱにも言われた」
「そうでしょうとも……」
 汰施はひとつ咳払いすると、「そもそも」と続けた。
「あの串焼きを買って塔亜君に渡したとして、そしたら串焼きが浮いてるように見えるんじゃないの?」
「実際に試したことはないが、おそらくそうだろうな」と答えたのは騎左だ。「そして食べたら消えていくんだろうな」
「だとしたら屋台の店主びっくりだよ。騒ぎになるよ」
「あっそうか」
 宙に浮き、徐々に消えていく串焼き。そして最後に残るのは串のみ……ある種のホラーのようだ。
「姿を消すっていうのもいろいろ気を遣うよな……」
 ぽつりとこぼした塔亜に、騎左は「その術を使えって言ったのはお前だからな」と言い放った。
 テント群を抜けて移動する。船着き場には貨物船が停泊しており、積み荷を下ろしている最中だった。船の積み荷は船に乗り込んだ軍人によりひとつひとつ検められ、これに通ったものだけを下ろしているのだという。これまでは船乗りや商人たちの裁量に任せていたが、今は事情が事情だ。
「港で働く方々には迷惑をかけてしまっています。彼らの為にも、早くこの件を片付けなければなりませんね」
 そう言うと、紅露は悔しそうに顔を歪めた。



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