14.


 車は門の前で方向転換すると、来た道を戻り始めた。飲食店や服飾雑貨店などの色鮮やかな看板が並ぶ商業区域を通り抜け、緩い坂道を上る。住宅街が広がる丘を越えた先は、王城や王家直属軍詰所といった重要機関が集中する国家施設区域だ。となると、この車が向かう先は。
「ねえ、どこ行くの」
「指令所まで戻るよ」
 汰施の返答は、塔亜の想像通りのものだった。このままではただ指令所に戻り、ただ維遠の駒となって動かされるだけだ。それではつまらない。せっかく【港の国】まで来たというのに、指令所にこもりきりではもったいない。
 塔亜は運転席と助手席の間から身を乗り出した。
「あのさ、このまま国内ぐるっと一周してくれない?」
「おい、くだらないことを言うな」
 騎左がパーカーの裾を引っ張ってくるが気にせず続ける。
「俺、【港の国】来るの初めてなんだ。地理も地図を見ただけだからそんなに明るくない。どこに何があるのか分かんないのに、あんたたちの力になれるとは思えなくて」
 嘘はひとつも言っていない。地図を見れば施設の場所や道は分かるかもしれないが、その場所にはどんな建物が多いのか、どれほど見通しが悪いのか、人通りは多いのか少ないのかなどまでは分からない。実際の環境を知らなければ、どんなに素晴らしい作戦を立てたとしても意味を成さないだろう。ならば“組織”と相対する前に地理と環境を体感で把握するべきだ。その方が有事の際には何かと対応しやすいに違いない。
 しかし紅露は眉根を寄せた。
「塔亜さんの主張は分かります。しかし、それは“組織”に狙われているあなた方を危険に晒すことにもなります。私は賛成出来ません」
「准士官の言うことももっともだなあ」
 ハンドルを切りながら汰施も頷く。車体が揺れ、反動で塔亜の身体が座席に戻る。
「確かに維遠中尉は君たちに協力を求めたかもしれない。でも俺たち――軍としては、君たちを危険な目に遭わせるようなことはしたくない、っていうのが本音」
「何か矛盾してるなあ」
「うん。それは中尉自身が一番よく分かってると思うよ」
「んー……」
 どうにも風向きが悪い。塔亜は頭の後ろで手を組みシートにもたれかかった。
 おとなしくしていろという軍の方針と、じっとしていられない塔亜の性分。まるで正反対である。このまま軍に従っていては何も出来ない。汰施の言う危険を回避しつつ塔亜の目的を達成する方法が、何かないだろうか。
 組んだ手をほどき、両脇にだらりと垂らす。指先が羽毛に触れる。見ると、ゼファが首回りの羽毛に頭をうずめて丸くなっている。
(……これだ!)
 身を起こした塔亜は騎左を指差した。
「じゃあ騎左の妖術使えばいいじゃん。こいつ、姿を消す術使えるんだよ。周りから俺たちの姿が見えないなら当面は大丈夫じゃない?」
「そんな術が?」紅露が後部座席を振り返る。塔亜も騎左の方を向く。
 肝心の騎左は、窓の外を眺めている。
 脇腹をどつくと睨み返された。負けじと二発目の拳を繰り出したがこれは叩き落とされる。三発目はがっちりと受け止められる。
 数秒の間ののちに、騎左は諦めたように溜め息をついた。
「確かに、俺とゼファ、それからもう一人くらいは俺の妖術で姿を消すことが可能だ。あくまで『他人の目に映らなくなる』だけの術だから存在そのものは消せない。目に見えていなくても触れることは出来るし、影はしっかりと残ってしまうが……」
「へえ。それ今やって見せてもらうことって出来る?」
 バックミラー越しに後ろを見た汰施の目が丸く見開いた。ミラーには誰も映っていなかったのである。人の気配は感じられるのに、「どうだ?」という騎左の声が聞こえるのに、その姿がどこにも見えないのだ。
「面白い術だね……それで、術を解くとどうなるの」
「また見えるようになるだけだ」
 再び誰もいない後部座席から声が聞こえ、そして霧が晴れるように塔亜、騎左、ゼファの姿が現れる。
「なるほど……そのような術が使えるのであれば話はまた変わりますね」
 紅露が頷く。もう一押しだ。
「だろ? だから……」
「でも、いずれにせよ一度指令所には戻るからね」
「えっ」
 目的は果たされたも同然と内心勝利宣言をしていた塔亜だったが、汰施の台詞に言葉を詰まらせる。車の正面には既に【港の国】指令所が見えていた。
 ターミナルに軍所有車を停めた汰施は、車から降りるよう二人と一羽を促した。指令所入り口近くで待っていろと言い残し、汰施と紅露は指令所通用口へと消えていく。言われた通りに指令所正面へ回ってガラス戸をくぐり、壁沿いに並ぶソファに腰を下ろした。
「何なんだ?」
 首を傾げる塔亜に、騎左が「それはこっちの台詞だ」と呆れた声を返した。
「何なんだあの三文芝居は」
「芝居って……」
「適当な理由をつけてあっちこっち見て、遊び回りたいだけだろうがお前は」
 どうやら塔亜の意図は騎左にばれていたらしい。
「でもさ、ここでしかめっ面突き合わせてるだけよりはずっと建設的だと思うけど」
「それには同意するがな……」
 維遠に協力するとはいえ、軍が二人を保護する方針でいる以上、軍は二人と“組織”を接触させようとはしないはずだ。だからこそ自ら動かなければならない。自ら動けるように環境を作らなければならない。
 それにしても先ほどの塔亜の発言は粗末過ぎる。ほぼ思い付きだけで話しているのが、おそらく汰施にも紅露にも伝わっていただろう。あんな交渉とも呼べないようなものでは話にならない。塔亜の申し出は却下、維遠の手が空き次第今後のことを話し合う――本日の午後の予定はこんなところか。やれやれと騎左は首を横に振った。
「塔亜はもうちょっと頭を使うことを覚えた方がいいぞ」
「何、嫌味? ねえそれ嫌味?」
「それ以外に何がある」
「あんまり性格悪いとこれから生きてくの大変だぞ」
「頭が悪いよりマシだろう」
「お前……っ」
 塔亜の手が騎左の羽織の胸元を掴む。騎左の手が腰に提げた刀に伸びる。今にも喧嘩が始まりそうなところに。
「はいはい、そこまでね」
 割って入ったのは汰施だった。
 違和感を覚えたのも一瞬、すぐその正体に気付いた。汰施が軍服ではなく、シャツにジーンズというラフな格好になっていたのである。彼の後ろから現れた紅露もジャケットとスラックスに着替えている。
「何、どしたの?」
 訊くと、「軍服は目立つからさ」と返ってきた。
 一度指令所に戻り無事入国手続きを終えた旨を維遠に報告した汰施と紅露は、維遠から新たに命令を受けたのだと言う。一つ目は塔亜のわがままを受理すること、つまり塔亜たちに土地勘をつけさせること。そして二つ目は、塔亜たちに危険が及ぶことのないよう護衛すること。
 塔亜と騎左は妖術で姿を消すとしても、軍服の汰施と紅露が国内を徘徊すれば、国民から不審に思われ注目を集めてしまう。それを避ける為に二人は私服に着替えてきたのだそうだ。
 塔亜からすれば交渉の結果、騎左にとっては思いがけないことに、都合のいい方向に話が転がった。過程がどうであれ、この機会を利用しない手はない。
 着替えた軍人二人と合流し、今度は先ほどの軍所有車ではなく、汰施個人が所有する普通車に乗り込んだ。軍服と同様、濃紺に山吹色のラインが走る軍所有車は、街中では悪目立ちしてしまうと判断したからだった。
 ありふれた白の普通車が指令所の敷地から出て走り出す。その時には既に、後部座席に人の姿は見えなかった。



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