13.


「その納抄っていう“組織”の奴が、軍人であるあんたにちょっかいを出す為にわざわざ行商団を襲った……と。そういうことなんだな?」
「……ああ」
 維遠の返答に大きく息を吐き出した塔亜は空を仰いだ。【港の国】上空には雲ひとつなく、バケツで絵の具を流したように均一な青だった。

 私物の入った紙袋を受け取らされた塔亜と騎左は、半日ぶりに自分の服に袖を通した。気の利かないことに洗濯などは一切されておらず、昨日脱がされた時のまま、汚れたままである。騎左は畳み方が悪いだとか皺が寄っているだとか文句を垂れていたが、塔亜は着なれた自分の服にほっとした。
 二人が会話もなく着替えている間はどこかへ消えていた維遠だったが、戻ってきた時には先ほどの女性とはまた別の軍人を連れていた。肩幅が広く、背が高い。維遠も決して低い訳ではない。それでも彼と並ぶと小さく見えてしまう。
「どうもはじめまして、汰施少尉です」
 敬礼をして挨拶をする彼のその姿勢は爽やかである。しかし深い茶髪の横髪だけを明るいオレンジ色に染め上げた軽いヘアースタイルが、好青年の印象を台無しにしていた。
「ついてこい」と言う維遠に従い病室を出る。看護待合室で退院の手続きを済ませてから向かった先は軍指定病院の隣、軍指令所の裏だった。
 指令所裏手の通用口では、日和を送り届けた女性軍人が待っていた。紅露と名乗った彼女は、先ほどの維遠との会話と襟につけている白い徽章から、階級が准士官であることが窺える。
「こちらへ」
 紅露の案内に続いて通用口をくぐると、脇に控えていた警備員が塔亜と騎左に無遠慮な視線を投げつけてきた。警備員からすればこちらは一般の子供で、しかもひとりは肩に妖鳥を乗せており、それがわざわざ通用口から三人の軍人とともに歩いているのだから何事かと思われても仕方がない。それにしても遠慮がなさ過ぎるとは思ったが、後ろを歩く維遠にせっつかれ、塔亜は小走りに先を歩く紅露を追った。
 細い通路を通り抜けて貨物用エレベーターに乗り込み、最上階へ上がる。重い扉を開けて外の非常階段に出る。維遠はそこで汰施に周囲の人払いを任せると、足早に階段を上った。塔亜と騎左もそれに続いた。二人の後ろでは紅露が静かに扉を閉めていた。
 指令所の屋上は背の高い金属製のフェンスで囲まれていた。複数の室外機が並んでいる以外はなにもない。階下ではほとんどの空調が稼働しているらしく、室外機のファンが騒々しかった。
 フェンスを支えるコンクリートの土台に維遠が腰を下ろし、その正面に塔亜と騎左が立った。
 そこで聞かされたのが数日前の話であり、昨日の襲撃事件の真相である。階段の手すりに寄りかかって表情を変えない紅露を見る限り、彼女はこのことを知っているのだろう。維遠から言われるままに人払いをしている汰施も同様だ。しかしその人払いをしているという事実とわざわざ病院から場所を移してきたことを考えると、他の軍人にはこの件について話していないことが想像出来る。
 塔亜は一歩維遠に詰め寄った。
「あんた何考えてんだよ!」 軍服の襟元を掴んで引き寄せた。「何で何もしないで平気でいるんだよ!」
“スペード”メンバーは滅多に姿を現さない。“スペード”と知れるような行動は取らない。だから軍は“スペード”メンバーを把握し切れておらず、“スペード”との抗争は防戦一方であるのが現状だ。
 しかし相手が分かっているのであれば話は別だ。見張るなり尾行してアジトを突き止めるなり、何らかの手を打てるはずである。手を打っていたら、昨日の襲撃事件は防げたかもしれないのである。
「それなのにあんたは! 上に報告するでもなく対策をするでもなく、何やってんだよ! あんたは部下の命を言い訳に、この国を危険に晒してるんだぞ!」
「そんなことくらい分かっている!」
「分かってねーだろ! 現に俺たちは、行商団は襲われたじゃねーか!」
「落ち着け、塔亜」
 騎左は尚もまくしたてる塔亜の肩を掴み、維遠から引きはがした。二人の間に身体を入れ、距離を取らせる。
「軍上層部は少年連続傷害事件と行商団の襲撃事件の犯人を同一犯と見なしている……いずれにせよ犯人は“組織”であり、“組織”への対抗策案は何かしら練られている。そういうことか?」
「騎左は理解が早いな」
 皮肉を込めて口の端を上げる維遠に噛みつこうとする塔亜を押さえつけ、騎左は続けた。
「だから国防の方向性は間違っていない。しかし軍上層部は宣戦布告されていることを知らない」
「そうだな」
「それを上に報告しない理由は何だ?」
 騎左の問いに維遠は一度顔を上げ、またうつむいた。
「……これは納抄と俺の問題だと、軍を介入させるものではないと、俺はそう判断している」
「はあ?」
 これには塔亜だけでなく騎左も眉をひそめた。塔亜なんかは顔に思いっきり「何言ってんだ?」と書いている。どことなく面倒くさそうな顔をしていた維遠だったが、「個人的な、半分思い出話だぞ」と前置きしてからぽつりぽつりと話し始めた。
「納抄と俺は高等学校時代の同期で、まあ、仲はよかった方だと思う。しかし納抄は在学中に突然姿を消した。俺は納抄を捜した。高等学校を卒業し、軍事大学校へ進学しても納抄を捜していた。納抄に再会したのは軍事大学校在学中だった」
 そこで維遠は一度言葉を切り、膝の上で指を組んだ。二度三度と組み替え、深く息を吐き出す。
「再会した時にはもう、納抄は“組織”の一員だった」
 納抄がなぜ“スペード”のメンバーとなったのか、維遠は知らない。しかし“スペード”が反政府組織である以上、軍は組織解体を目的として動く必要がある。軍人である維遠もその一端を担う責務があり、それは友人である納抄を確保するということでもある。
「他の軍人がやるくらいなら俺がやる。俺が“組織”を潰す。納抄を止める為には、俺が動かなければならないんだ」
 それは、維遠の覚悟だった。
 ひとりよがりで、だからこそとても強い、維遠の意志だった。
 一通り話を聞き終えて「青髪の話は分かったけどさあ……」と言いかけた塔亜に、維遠が渋い顔をした。
「おい、青髪っていうのは俺のことか」
「そーだよ、青いじゃん」
「だからってそう呼ばれるのは気分が悪い」
「じゃあおかっぱ」
「おかっぱと呼ぶな! 俺の名は維遠だ! 中尉だ!」
「いいじゃんおかっぱなんだし」
「よくない!」
 まるで子供の揚げ足取り、つまらない喧嘩である。野生の猿と軍の犬の言い争い、といったところか。やれやれまたか、と思いつつも騎左は塔亜を諌め、話の続きを促した。
「『けど』、何だ」
「……おかっぱが宣戦布告されたって時に殺されかけたあんたの部下っていうのは? 【港の国】の固定砲台って誰」
「それは私のことでしょうね」
 それまで黙っていた紅露が口を開いた。階段の手すりから背を離し、こちらへ向き直る。
「あんたが? コテーホーダイ?」
「私をそう呼ぶ方もいるようですね。射撃が少々得意なものですから」
 自身の通り名を説明しながら、紅露が困ったように右手を頬に当てている。恥ずかしそうに見えるのは気のせいではないだろう。
「コテーホーダイさんはその時何してたの? “組織”っぽい奴につけられてたとかはない?」
「ちょうど家に帰る途中だったのですが、誰かから見られているような感じはありましたね。でもまだ人通りの多い繁華街を歩いていたものですから、相手の特定までは……」
「え、遅い時間だったんだろ? 外にいたの?」
「ええ、早い時間に仕事を終えて帰っていたのですが、繁華街で迷子を拾いまして。親とはぐれたと言うので、一緒に捜していたんですよ」
「そっか……」
 彼女は何者かの視線を感じていた。それはつまり、納抄の発言が偽物ではないことを意味する。“組織”が【港の国】を潰すという宣戦布告も、決して維遠に対するただの脅しではなく、本物の犯行予告なのだ。
“組織”がなぜ【砂遺跡の国】を襲ったのか、これでようやく納得出来た。【砂遺跡の国】が窮地に陥った際に援助の手を差し伸べるのは【港の国】であるということを、“組織”は予想していたのだ。その予想は的中し、援助の結果【港の国】の国力は下がっている。“組織”はそこを叩こうとしているのだ。
 初めから“組織”の目的は、南汪の大国【港の国】だったのだ。
「セオリー通りに、規律に従って動くことが仇となっている。このままでは“組織”の思う壺だ。だから」
 維遠が顔を上げ、塔亜と騎左の目を見る。
「軍の規律に縛られない、貴様らに協力を要請したい」
 塔亜は騎左を見た。騎左も塔亜を見ていた。
 軍の監視下に置かれることが決定している二人には選択肢がなかった。軍に二人を保護する義務がある以上、戦闘の前線に立つなどありえない。要請を断れば、今後“スペード”壊滅まで“スペード”と相対する機会になど恵まれないであろうことは想像に難くない。“組織”に復讐など出来ない。
 二人は頷くと声を揃えた。
「いいぜ、協力してやるよ」
「ああ、協力してやろう」
 納抄の予告した『十日後』まで、今日を含めてもあと四日しかない。その間に軍の方針とはまた別の作戦を立てなければならない。『【港の国】を潰す』のに、“組織”はどんな手を使ってくるのだろうか。爆発物で力尽くで落とすのか、それとも魔術師集団を使うのか。あらゆる手段を想定して巡る二人の思考に、維遠の声が割って入った。
「ところで貴様ら、正式な入国手続きを済ませていないだろう」
「……え? ああ、そういえば」
「このままだと不法入国で法律違反だぞ」
「誰のせいだよ、誰の」
 入国手続きをする間もなく強制的に軍指定病院に放り込まれたのだ。こちらの落ち度ではない。
「非常時だからこそ、しっかり手続きをしておかないと不利な状況になった場合に助けることが出来ない。汰施に車を出させるから、早く手続きしてこい」
「だから誰のせいだよ、誰の」
 塔亜の文句など耳に入っていないのか、維遠はさっさと立ち上がると階段を下りていく。扉を開け、屋内で待機していた汰施に早口で指示を出す。別の仕事があるという維遠とはそこで別れ、塔亜たちは来た時と同様貨物エレベーターで一階まで下りた。
 エレベーターを降りると汰施は車を出しに軍人用ターミナルへ、塔亜と騎左、ゼファは紅露の案内で車両保管所へ足を向けた。二人のパスポートはバイクにくくりつけたトランクの中に入っているからである。指令所敷地の片隅にある保管所には事故に遭いひしゃげた車が並んでおり、軍服を着た魔術師が車をただの鉄くずに変えていた。塔亜は入り口近くに自分のバイクを見つけると、手早くロックを解除してそそくさと保管所を後にした。
 バイクを押して軍人用ターミナルへ向かうと、汰施が既に軍所有車のエンジンをふかしながら待っていた。二輪車用ターミナルにバイクを停めてトランクを下ろし、後部座席に乗り込む。二人の間にゼファが収まる。紅露が助手席に座りシートベルトを締めると、車は滑るように走り出した。
「あんたたち二人とも、あの上司じゃ疲れるだろ」
 道中塔亜が訊ねると、紅露は「そんなことはないですよ」と言っていたが、汰施は「全くだよねえ」と笑っていた。
 昨日くぐった第一国門の前で、二人と一羽は車を降りた。門番にパスポートを渡して入国手続きをする。
「塔亜さん。陽の月九日生まれ。血液型OB+。入国理由は観光。間違いないですね?」
「うん」
「騎左さん。星の月二十七日生まれ。血液型AB+。入国理由は観光。間違いないですね?」
「ああ」
「ゼファさん。幻獣類妖鳥科妖鳥。飼い主の騎左さんと同じく入国理由は観光。騎左さん、間違いないですね?」
 騎左が頷き、門番が三冊のパスポートに印をおす。差し出されたパスポートを三冊まとめて塔亜が受け取ると、門番は塔亜たちに敬礼し、そして車の中の二人にも敬礼した。
 車に戻ると、汰施、紅露も敬礼した。
「ようこそ、【港の国】へ」



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