12.


 話は数日前にさかのぼる。
 維遠は夜遅くまで指令所に残っていた。
 この日最後の仕事は書類作成であった。無法地帯における強盗の増加に伴う国境警備強化の件について、明日までに対策案を提出しろ、と夕方突然に命令されたのである。現場の現状と対策案を書類にまとめた維遠は頭を抱えた。
 警備を強化しろということは、警備にあたる人員を増やせということである。しかし、先日“組織”との戦闘でダメージを受けた【砂遺跡の国】指令所へ【港の国】指令所から部隊を派遣したこともあり、人材にゆとりがあるとはとても言えない状態だ。国内でも国境でも、機能が維持出来るぎりぎりの人数で警備にあたっている。これ以上国境警備に比重を傾けてしまえば国内の安全が保障出来なってしまう。
 いったい何が最善の手なのだろうか。納得がいかないまま無理矢理完成させた書類を封筒に入れて机にしまい、維遠は席を立った。
 更衣室で軍服を脱ぎ捨て、私服に着替える。カーディガンのボタンを留めながら腕時計に目を遣ると、文字盤の針はもうすぐ日付が変わろうとしていることを知らせていた。もう遅い時間だ、指令所の正面玄関は既に施錠されている。建物裏手にある通用口に回り、警備員に敬礼して外に出た。
 一歩指令所の敷地を出れば、『軍人』ではなく『維遠個人』となる。その『維遠個人』に視線が向けられていることを、維遠が気付かないはずがなかった。帰路から外れ、深夜でも明るい繁華街を避け、人通りのないオフィス街の裏路地に入った。維遠への視線も一定の距離を保ちながらついてきた。
 維遠が足を止めると、背後に人の立つ気配がした。音はなかったが、殺気に溢れている。
 そして。
「久しぶりだな、維遠」
 懐かしい声に振り返ると、そこには栗色の長髪の男が立っていた。男は裾がほつれた黒いコートを身にまとい、両手には黒いグローブをはめている。そして男は、こちらに銃口を向けていた。
 例え暗くても間違えるはずがなかった。月明かりに照らされるその男は、間違いなく納抄その人であった。
 維遠は拳をきつく握りしめた。感情を顔に出さないようにするので精いっぱいだった。なぜ今更自分の前に現れたのか、なぜそんな勝手なことが出来るのか、なぜ――そんな戸惑いも怒りも、納抄相手に見せてはいけないと思っていた。
 感情を押し殺し、何とか「随分と荒い挨拶だな」と絞り出すと、納抄はふんと鼻で笑った。
「荒い? どこが」
「全てだ。殺気立っているじゃないか」
「何、別にお前と戦いに来た訳じゃない」
 銃を構えた男が、よく言ったものだ。とても信じられるような台詞ではない。信じるに値しない。
「嘘をつくな」
 維遠が吐き捨てると、納抄は首を横に振った。納抄の肩にかかった長い髪が滑り落ちた。
「嘘なものか。俺とお前は、トモダチ、だろう?」
 ――トモダチ。
 心臓がどくりと波打った。引いた波はまたすぐに押し寄せてくる。鼓動が早まる。頭に血が上るのを感じる。
「誰が……っ!」
 大きくなりかけた維遠の声を、納抄の銃口が制した。
「あまり騒ぐな、騒いだところでお互いデメリットにしかならないだろう」
 ぎり、と奥歯を噛む。
 納抄の構える拳銃は“組織”オリジナルモデル。『なぜ』が維遠の中で渦巻く。
 維遠はまっすぐに納抄を見据えた。
「納抄、お前の目的はいったい何だ」
「お前はトモダチに会うのにも理由がいるって、そう言いたいのか」
「答えろ」
「冷たい奴だ」納抄は肩をすくめた。「それに頭が固い……昔から変わらないな」
 納抄が一歩、維遠との距離を縮めた。
「維遠、俺はお前に宣戦布告する為にここへ来た。“スペード”構成員としてではなく、納抄というひとりの人間として」
 納抄の言葉が維遠の耳の奥で反芻する。“スペード”構成員である納抄が、個人として宣戦布告……だと? 落ち着きかけていた心臓が再び暴れ始める。
 納抄が息を吸い込む。薄い唇が動く。やめろ、それ以上は何も言うな――そんな維遠の願いは叶うことなく。
「十日後に“スペード”は【港の国】を破壊する」
 維遠の自制心は、はたらくことをやめた。
 納抄の口から“スペード”という言葉が出た時に、既に維遠の心は凍りついていた。もうどうにもならないと、悟った。
 しかし諦めることが出来なかった。
「ふざけるな!」
 維遠が振り上げた左足が納抄の右手を捉えた。拳銃を叩き落として蹴り飛ばし、納抄の胸倉を掴む。足を掛けて引き倒し地面に押さえつけると、納抄は抵抗することなく降参の姿勢を見せた。
「やめろよ維遠、戦いに来た訳じゃないって言っただろう」
「だからと言って、お前の宣戦布告内容は聞き流せるものじゃない。お前の身柄は」
「『軍で拘束する』……そう言いたいのか?」
 納抄が髪を掻き上げると、耳に装着されたインカムが露わになった。納抄の指が通信ボタンに添えられる。
「ボタンを押すと俺の仲間に繋がる。その仲間は今、お前の部下と一緒にいるはずだ」
「……何だと?」
「お前が俺を拘束すると言うのなら俺はこの回線を開く。回線が開くと同時に、俺の仲間がお前の部下を殺す」
 納抄の口が歪んだ。
「【港の国】の固定砲台、だっけ? 優秀な部下をもったものだなあ、維遠?」
「!」
 嘘か真か判断がつかなかった。全くのでたらめかもしれない。納抄の個人的な宣戦布告の為に納抄の仲間が動いているなんて考えにくい。しかし彼の言うことは本当かもしれない。部下の命が危険に晒されている可能性がわずかにでもあるのなら。
 納抄を取り押さえている手を離すしかなかった。
 力の抜けた維遠の身体を押し戻して、納抄はゆっくりと身を起こした。項垂れる維遠を横目に拳銃を拾い上げ、コートの汚れをはたき落とし、皺の寄った襟元を正す。
「“スペード”は【港の国】を潰す。その時に俺たちも決着をつけよう」
 納抄のコートが闇に溶けた。
「俺が死ぬかお前が死ぬか、楽しみだな」
 現れた時と同様、納抄は殺気だけを残し、音もなく消えた。
 遅れてやってきた寒気と耳鳴りが維遠を襲った。カーディガンの下で鳥肌がたっている二の腕を押さえつけ、悔しさを噛み潰した。納抄はまた維遠の前から姿を消してしまった。また、引き留めることが出来なかった。
「お前のことは、友だと思っていたんだがな……」
 乾ききった喉からはかすれ声しか出なかった。納抄は昔と変わってしまった、その事実が喉につかえているかのようだった。



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