11.


 どうせ【港の国】に滞在するのは作戦が終了するまでの短期間だ。それに加え、室内にいるのは寝ている間くらいで、外を出歩いている時間の方が長いに違いない。そんな理由から貿易港近くの安宿を借りたのだが、これがどうにも居心地がいい。確かに内装はお世辞にも綺麗とは言えない。スタッフに愛想がなくサービスも悪い。だからこそ宿泊客が少なく静かで、納抄を煩わせるものがなかった。
「ねえー、アンタ、馬鹿なのぉ?」
 ……この女、斑を除いて。
【港の国】に一番乗りした納抄は、他の“組織”メンバーが到着するまでの間、公私ともに用事を済ませるべく行動していた。私的な用事が“組織”の為にならないことは十分に承知していた。しかしゆくゆくはやらなければならないことで、それは将来的に“組織”に必要となることでもある。それを『馬鹿なのぉ?』とは。全く腹の立つ女だ。
「ぐだぐだぐちぐち……うるさい奴だな」
「うるさくもなるわよ! アンタ、今回の作戦内容分かってないのぉ?」
「作戦外の行動についてとやかく言われる筋合いはない」
「その作戦外の行動が! アタシたちの作戦に支障をきたしてるって言いたいの! こっちは!」
 斑の言葉の端々に苛立ちととげとげしさを感じる。「何だ、いらいらしているのか。更年期か?」と訊ねれば「アタシはまだ29よ、馬鹿!」と、火に油を注ぐ結果となってしまった。
 不機嫌な表情を浮かべたままベッドに身を投げた斑の相手をする気にはなれない。相手をする義務もない。斑が枕に顔をうずめて静かになったことを確認してからベッドを離れ、窓際の椅子に座った。
 丘陵に沿って住宅街が広がっている。太陽光に照らされた家は、どれも決まって白い壁に赤い屋根だ。古くからの伝統的な手法で作られたのであろう家は、ひとつひとつは歪な形をしているが、色が統一された無数の建造物は見る者を魅了する。
 しかし丘の向こうには、圧倒的な存在感を示し、景観を破壊している建物がある。世界軍南汪地方【港の国】指令所だ。まるで童話の世界から出てきたかのような、柔らかな曲線を描く民家の中で、直線的で硬質な指令所の建物は異物以外の何物でもない。実にふざけた建物である。
「……ふん」
 部屋中のカーテンを閉めると部屋の中は薄暗くなってしまったが何をする訳でもない。作戦開始の合図をただ待つだけだ。何の問題もないと判断した納抄は光の足りない中で椅子に体重を預けていたが、後から部屋に入ってくるものからすればやはり問題があったようで、ドアの開く音に続いて「痛っ」という呻き声が聞こえた。
「悪い。必要なら電気をつけてくれ」
「ああ納抄、いたんですか。こんな暗いところで根暗ですね」
 嫌味から一拍遅れて明かりが灯り、声の主である錫の顔を照らす。右手で額を抑えながら左手で黒縁の眼鏡を押し上げた錫は、納抄とベッドにうつ伏せの斑を交互に見て呆れた表情を見せた。
「斑に何を言ったんですか」
「別に、何も」
「ただでさえ先日から斑は不機嫌なんですから、余計なことを言って変に刺激しないでくださいよ」
「……ああ」
 更年期などと茶化したが、斑が不機嫌な理由が【珊瑚礁の島国】再建にあることくらい納抄も知っている。【珊瑚礁の島国】の崩壊は斑にとって大きな意味のあるものだったことも知っている。“組織”としても大きな対価を払って【珊瑚礁の島国】を潰したというのに、生き残った島民に島を明け渡し更には国家再建までさせた“組織”上部の考えが、斑には理解も納得も出来ないのだ。
 上の考えが分からない点に関しては納抄も同様だが、だからといってそれを引きずり不貞腐れているようでは今後の作戦に影響が出る。上からの命令に感情を挟んでいる場合ではない。
「迷惑な奴だ」
 かすかに上下する斑の尻を横目に見ながら吐き捨てると、「それは貴方も同じですよ」と返ってきた。
 錫は納抄の正面に椅子を置きそこに座った。
「貴方の独断行動はとても褒められたものではありませんね」
「もう聞いたのか。情報が早いな」
「ここへ来る途中に伝令役の妖鳥が教えてくれました」
「ったく、余計なことを……人のプライベートだっていうのに」
 しかし錫の落ち着いた口調で指摘されると悪いことをしたような気にもなってくる。墨色の瞳に見据えられて居心地が悪くなり、目を逸らしながら「悪かったよ」と呟く。中途半端な逃げ方をした所為で、納抄は更なる追撃を受ける羽目になった。
「それで? どうしてあなたは世界軍の軍人に宣戦布告しようだなんて思ったんですか? それも、プライベートで」



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