3.


 入寮式は食堂で行われた。食堂に着くと既に席は殆ど埋まっていたが、隅の方に開いていた四人掛けテーブルを見つけたのでそこに腰を下ろした。
 そこでされた話はごくつまらないもので、寮の管理者から生活していく上での注意、男子女子両寮長の自己紹介と更に彼らからの注意等々。注意だらけだ。事前に受け取っている封書に入っていた書類に目を通していた誠人はそれに書かれていたことを再確認しているだけなのだということに気付き、少しくらいなら大丈夫だろうと思い、喋り続ける管理者に傾けていた意識を別に向けた。
 誠人たちがここへと入ってきたドアがあり、その対面の壁同じ位置にもドアがある。あの先が女子寮だ。そしてこの隣には、ほぼ同じ広さのロビーが続いている。一応名前は別になっているが、ひとつの大きな部屋を木の鉢植えや新聞や雑誌、大学広報が差し込まれたラックで区切られているだけ。こちらには安っぽいテーブルと椅子が並んでいるが、向こうには低めのテーブルと複数人掛けのソファが置いてある。
 部屋の周りをうろうろ歩き回った時は本当に男だらけだと当たり前のことを考えたものだが、ここでは約半分が女の子。入学式の時はスーツばかりだったが部屋に戻って私服に着替えた子が大多数、何だか華やかだ、色彩的に。
 そして自分の周りに目を戻す。
「……」
啓一、大祐、悠。揃ってテーブルに伏せっていた。

 式終了後部屋に戻り、入寮式の為途中で放り出した片付けを再開する。まず日用品その他と書籍を分けた誠人は、高校生の時に使っていた英語やら政治経済やらの参考書を机備え付けの本棚へ。他に持ってきた小説や漫画は部屋の壁に埋め込まれる形で据え置かれた本棚に並べようとして、それらを抱えたまま、既にそこにあった本の背表紙を見た。有名なミステリー作家の代表作の他、料理・お菓子作り関係の雑誌が二冊立てられている。ページの角が折られているところもある。
「誰の? コレ」
「俺」
 返ってきたのは大祐の声、本人はベッドに転がって雑誌のページを繰っている。
「へぇ、料理するんだ」
「たまに。でも、あんまり」
「え、じゃあ」
「出来る人に作ってもらおうと思って」
「お前なぁ」クローゼットに服を入れていた啓一が溜め息半分に突っ込んだ。「この男所帯で誰に作ってもらうつもりやったんや、彼女おるなら別やけど」
「誰でも、作ってくれるなら。彼女いないけど食堂のおばちゃんはいるし」
「……自分でやろうっつー気は全くないんやな」
「だって自分で作るとあんまり美味しくない」
 むぅ、と頬を膨らませて大祐が啓一に反論する。会話を聞きながら本を並べ終えた誠人は、くすりと笑って「俺出来るよー」と大祐を振り返った。
「えっ本当?」
「うん。ウチ両親共働きだったから、母親の帰りが遅い日は自分で晩飯用意してたんだ。弟もいるしね」
「あー穣って弟いそう」
「いやだからいるんだってば」
「そんなことより何か作って」
「ん、その内ねー」
 誠人も段ボール箱をクローゼットの前に移動させ、啓一の隣のスペースにさっき脱いだスーツやシャツを吊る。三段ある引き出しに部屋着のジャージと外出用のジャージと下着とを分けて入れていると、それを見た啓一が「お前詰め方上手いな」と真似し始めていた。
 下着を詰めてから、あれ、ともう一度誠人を見る。
「……全部ジャージ?」
「えっ変?」
「いや少数派やと思うけど」
「えっ!」
 その後一瞬下りた沈黙で、そういえば悠がいつの間にかいなくなっていることに気付いた。彼の荷物はふたが開いているだけで中身はまだ詰められたまま、全く片付いていない。どこに行ったのだろうという考えが頭をよぎったがそれがすぐに消えたのは、廊下が無駄に騒がしくなったからだった。その騒がしさはこの部屋の前で止まり。
「ねぇ聞いてよ!」
 ドアが開いた。
「『聞いてよ』じゃねぇよどこ消えてたんや芳澤、片付けてへんのお前だけやで」
「何だよ星野だってごろごろしてんじゃんあいつはいいのかよ」
「俺もうとっくに終わってるし」
 大祐は誠人たちと違い一昨日からここで生活を始めているので、服やら本やらは昨日までに片付いていた。そして今日決まった自分の机に小物を並べただけで片付け終了だったのである。
「いいから早く片付け済ませたら?」
「や、そんなことより……」
 悠のその後の言葉が続かなかったのは、彼の後ろから現れた人物たちの為だった。悠を押し退け部屋の中を覗き込んでくる。
「よぅ新入生、俺ら隣の部屋の住人な。よろしくー」
「え、はぁ……」
「廊下で捕まったんですぅ」
 ぼそぼそと呟いた悠は何だか情けなかった。

 それはほんの数分前。
 そこまで広くはない筈の寮内を、トイレを探してうろうろしていた時のことだった。
「そこの茶髪の長身、止まりなっさーい」
 茶髪で長身、自覚のある悠は振り返る。声を掛けてきたのは、背はそう高くないがほどほどに筋肉がついた、いかにもスポーツマン。わずかにつりあがった目とにっと笑った口元が、“悪ガキっぽい”印象を与えている。その一歩後ろには、男にしては長めの髪を揺らしている優しそうな笑顔の色白。こっちの人は前にも見た気がするが、それにしても細い。なんていうんだっけ、こういう細い男。大根じゃないし(っていうか大根は白いけど細くないよな)ゴボウ……も違う。
「……あ、もやしだ」
「は?」
「いえ何でもありませんっ」
 一瞬スポーツマン(多分)の方が怪訝そうに眉をひそめたがまぁいいやとまた笑顔に戻る。
「初めて見る顔だ、新入生だろ」
「そうです」
「やっぱりな。じゃあ俺お前の上級生だ」
 いくら悠でもその態度でそんなことくらい分かる。
「俺、綾瀬拓都。後ろのは館山策弥」親指で肩越しに示し、紹介された彼が会釈する。
「で、お前、名前は?」
「芳澤悠です」
 強引な人だなぁと思いつつ答えていく。中高と運動部所属だった悠は、条件反射で先輩にはおとなしくなってしまうのだ。
「学部は?」
「経済学部で……」
「何だよ違うのか、俺たち教育学部」
「はぁ」
「じゃあ部屋どこ?」
「えーと、三階の奥から二番目です」
「よし」
 満足そうに頷いた拓都に肩を掴まれる。悠の方が背が高い為、当然だがにやっと下から見上げてきた。
「俺たちの部屋の隣じゃないか、よろしくなー」
「え、あ、はぁ」
 反射的に策弥を見ると、相変わらずの笑顔で「タクはそういう奴だから。よろしく」。何が『よろしく』なんだか分からない。
「よし、お前の部屋に行くぞ、お前のルームメイトにも挨拶しなきゃな!」
「そうだね、隣の部屋なんだし、仲良くしようね」
「は、はい」
 ……で、トイレに行きたかったのですが……。そんな悠の小さな呟きを、この強引な先輩が聞いている筈もなく。手首を掴まれずるずると歩かされる。後ろには笑顔の先輩がついている。
 急に拓都が足を止めた。悠を握っていない方の手を挙げてぶんぶん振る。靴箱の陰から人が出てきたところだった。
「ケーンター!」
 その人物は黒縁眼鏡を掛けていて、どちらかといえばおとなしそうな印象。癖のある硬そうな髪に顔の半分近くは隠されていた。拓都を見ていた目が悠にスライドする。やれやれ、と溜め息をつく。
「新入生いじめ? 協力しないよ?」
「違うよ挨拶だよ。俺らの隣の部屋だってさ」
「なるほど」改めて悠に向き直る。「こいつらと同室の、糸井健太。よろしく」
「芳澤悠っす、よろしくっす」
 拓都に掴まれたまま情けなく頭を下げるが、健太の方はたいして気にしていないようだった。
「って訳でこいつらの部屋に乗り込むぞ健太」
「何でよ」
「自己紹介くらいしてやれよ後輩たちにさ」
「僕がどうしてこれまで出掛けていたと思ってるんだ」
「うるせぇよ漫画オタクめ、ンなモン後でも読めるだろ」
「これが読みたくてわざわざ本屋まで歩いてきた僕の気持ちが分かんないかなぁ」
「アホか歩いてったのか、自転車貸してやるって言ったじゃん」
「修理しなきゃ乗れない自転車を誰が借りると?」
「ちょっとパンクしてるだけだろ」
「ハンドルとサドルも変な方向に曲がってるだろ」
「そのくらい運転センスで乗り切れよ」
 誰に対してもこの人はこんななのか。策弥がただにこにこしているだけであることからもそれは分かる。ここまで来るともう羨ましい、素晴らしく積極的だ。それはもう、本当に。
 唇をとがらせ脇に抱えた漫画雑誌(今日発売の最新号だ、あとで貸してもらおう)のページをめくっている健太を拓都は強引に引き連れ。

 そして今に至る。



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