2.


 運び込んだ段ボール箱を開けながら、笹川啓一はぶつぶつとこぼした。
「おっそいなぁヨシザワって奴と……えーと、ジョウ?」
「誰、ジョウって」
 ローテーブルの脇に座り、くつろぎながら星野大祐が返す。目を読みかけの雑誌に向けたまま、手はクッキーの袋を開けている。
「おるやろこの部屋の住人があと二人、名前外に貼ってあったやん。“豊穣”の“穣”の字やったろ、確か」
 宙に字を書いているつもりらしいが、画数が多いせいか、ぐちゃぐちゃで分からない。まぁ他の理由もあるだろうけど……啓一の前の段ボール箱に書かれている歪んだ『笹川啓一』を見て思ったが、言わない優しさ。
 代わりに教えてあげた。
「それ、ユタカって読む」
「何で知ってるん?」
 ドア前に積まれた段ボール箱を指差し、「宅急便の伝票貼ってあるから。ふりがなふってあるでしょ」
「……そやな」
 再び自分の荷物を引っ掻き回し始める啓一。それを横目に見ながら、大祐は菓子に伸ばす手を止めない。軽い音と甘い匂いが啓一の聴覚、嗅覚をくすぐる。不思議なもので、刺激を受けたら少し腹が減ってきた。
 啓一もクッキーに手を出すと、それはさっと取り上げられた。
「何だよー」
「駄目」
「えー何で、ちょーだいよ」
「その一言、大事」
 袋が再びテーブルの上に戻る。
「もーお前絡みづらいなっ」
 文句を言いながらもしっかりクッキーをいただく。ありがとうなー、と言おうとして顔を上げて、先に発せられた大祐の言葉にがくっとした。
「うん、頑張れ」
「おまっ……」
 そこで言うべき台詞は、少なくとも『頑張れ』ではないだろう。マイペースというかなんというか、上手く会話が成立しない。会話が繋がらない。
 何を話そうか考えながら段ボール箱に視線を落とし、今はそれよりこの中身を片付けなければと思い直す。今日からここで生活するのだから、とにかく細かいものが多い。衣類やら日用品やら、親がやたらと持たせてくれた。しかし明らかに多過ぎる、何で歯ブラシが三本も入っているのだ、路上で配られているポケットティッシュが荷物の隙間を埋めるように詰め込まれているのはなぜなのだ。首を傾げていると。
 ガンッ。
「うわっドア開かねーじゃん何コレ!」
「何か突っ掛かってるのかな」
「何の嫌がらせだよーもー」
 わずかに開いたドアの隙間から騒がしい声と音が漏れてきた。あれがヨシザワとジョウ……訂正、ユタカか。
 そういえば。段ボール箱はドア脇に積んであったのだが、啓一のそれが一番下にあった為、上の箱は全部適当に床に並べた。適当過ぎてドアを開けることを全く考えておらず、その前にまで並べてしまっていた。
「はいはい開けるからドアがんがんすんのやめてなー」
「犯人お前か? 開っけろー!」
「開けたる言うとるやん人の話聞け!」
「芳澤君取り敢えずノブ放しなって」
 その言葉で動かなくなったドアに安心して、床の段ボール箱をドア脇にどける。積み上げようとしたら大祐が手を出してきて、誠人のものと悠のものと分けて積んだ。なるほど、賢い。
 ドアを開けたと同時に入ってきたのは茶髪の長身だった。
「おー開いた、ありがとなー。俺が芳澤、よろしくー」
 うるさいのが芳澤、啓一は頭にそうインプットする。後から来た方は丁寧で、静かにドアを閉めると会釈した。
「穣誠人です、よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ。笹川啓一です」
「星野大祐です。よろしく」
 啓一も大祐も、思わずつられて頭を下げた。
 こうして四人顔を合わせたとなると、しなければいけないことがある。クローゼットは扉を開けると縦四つに分割されており、これはその位置によってたいした差がないから適当に使うとして(というか既にひとつは大祐に使われているし、他のも何となくで決まりそうだ)、ベッドと机の位置決めは必要だろう。決めないことには勉強道具一式他机周りが片付かない。
 この部屋には一つ大きな窓があり、その前に机が二つずつ向かい合わせで並んでいる。その両脇、壁際に二段ベッド。誰がどの位置になるか。
 ひとまずスーツから着替え、荷物は適当に隅に寄せ、四人、ローテーブルを囲んだ。
「俺ベッド上の段がいい」
 挙手して言ったのは啓一で、それを聞いた悠は「ガキー」と返す。
「何やと?」
「ガキだなーって言ったの」
「ええやんか別にぃ」
「でも俺も上がいい」
「何やお前もガキやな」
「うっさいなー」
 このやり取りはしばらく終わらないな、そう判断した大祐は菓子に手を伸ばした。テーブルの上のクッキーは啓一と悠が言い合いながらもつまんでいるので、今度はチョコレートを抱える。
 大祐が我関せずの空気を纏い始めたのを感じ取った誠人は、仕方ないなぁと思いつつ二人の間に割り込んだ。
「ちょっといいかな」
 誠人曰く、この部屋には二段ベッド二つ。ベッドの上段も二つ。啓一と悠が上、大祐と誠人が下でどうだろうか。大祐の方を見ると黙々とチョコレートを口に運んでいたので、彼もそれで了承したのだと受け取る。そういうことにしておく。
 窓に向かって左のベッドを指差し「あっちの上が笹川君その下が星野君」、右を指差し「上が芳澤君で下が俺」。テーブルに向き直って。
「いい?」
「俺はいいよ」
 上段を希望した二人から反論が出る筈もなく(出たらどうしようかと思った)、大祐がそれで頷いたので、次の議題は机に移る。机はベッドと同じ側にあった方が都合いいだろうという誠人の意見と、ベッドの位置が希望通りになった二人が机は残った所でいいと言ってくれたのと、窓際がいいという大祐の意見を総合すると、こちらもあっさりと決めることが出来た。
「おーいいね、十五分とかからずに決まったね。穣まとめるの上手いなー」
「穣って高校で生徒会長とかやってたんか?」
「んー、学級委員長くらいなら中学生の時にやったかな」
 高校は地元でそれなりの進学校だったこともあってか、中学で生徒会役員なんかを経験した人が集まってきていた。だから高校では、そういうのは人に任せて、好きに時間を使っていた。高校の生徒会も、それはそれでなかなか楽しそうだったけれど。
「俺そういうのやろうと思ったことないなぁ」
 大きく伸びをして、悠がフローリングの床に転がる。あぐらをかいていた足を投げ出し、ちょうどテーブルを挟んで正面に座っている大祐の膝にぶつかった。
「……っていうか芳澤まとめ役とか向いてないと思うよ」
「うわっキツイー」
 迷惑そうに眉をひそめた大祐の隣に座っている啓一には、大祐がなぜ顔を合わせて間もない悠にそう言えたか分かってしまった訳で。それに対する返答からして、悠が大祐の言葉の意味を理解出来ていないことも分かってしまった訳で。
「俺もそう思う。お前が委員長とか、クラスやガッコがめちゃめちゃになりそうやもん」
 にやっとして言う。ここまで言えば分かるだろうと思ったのに、しかし悠の答えは。
「お前らそれ初対面の人間に言う台詞じゃねーぞ」
 ……駄目だこりゃ。お分かりいただけない。
「あのなぁ、その初対面の人間にドアがんがんやってやかましくしとったのお前やろ」
「そう言うならドアの前に箱並べるなよー」
「だーもう、お前周りに気ィ遣え! 空気読め!」
「同意」
「何だよ急に!」
 軽いテンポで進んでいく会話には特に参加せず笑いながら聞いていただけだったが、「なぁ穣」と話しかけられ、誠人は啓一と目を合わせた。
「ん?」
「穣もコイツに何か言ったってや」
「何か……って何を」
「どっかで会ったから一緒にここまで来たんやろ? ずっとうるさかったんちゃう?」
「おい笹川誘導尋問はよくないぞ!」
「まぁまぁ、チョコあげるからおとなしくしようよ」
「ありがとー……って話題すり替えるな! 星野まで笹川の味方か!」

 よく言えば賑やか、悪く言えばうるさい。だけどこの調子なら。
 誠人はほんの数時間前に別れたばかりの母の言葉を思い出した。
(毎日、十分に楽しく過ごせそうです)



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