4.


 誠人は手を止めて立ち上がった。ドアを大きく開いて悠たちを中に入れる。柔和な顔つきの彼と目が合ったので軽く頭を下げる。
 その彼がドア脇のプレートを見ながら名前を呼び、誠人たちは順に返事をしていった。各々適当に名乗ったこの人たちは隣の部屋、つまりこの階の角部屋の上級生。それを聞いた大祐がベッドから這い出てきた時には既に、彼らはローテーブルを囲んでいた。流れで誠人たちもそれに続く。男が七人、やたら窮屈だが仕方ない。
「さーてそれじゃあ、寮長の館山さんから寮内の決まり事でも説明してもらいましょうかね」
「えっ寮長?」
 黙っておけばいいのに、声を上げた悠が策弥を見る。
「そう、寮長の館山です」にっこり笑って悠、啓一、大祐を見、「君たち寝てたみたいだから、知らなかったかもしれないけど」
「どうも、すみませんでした」
 三人声を揃えた。というか見てたんですか、顔覚えられてたんですか。その記憶力には感心せざるを得ない。
 この寮での生活は二年次まで。三年次生になると、自立の意味も込めて外に部屋を借り一人暮らし生活をしなければならない。寮長は秋に代替わりする。策弥も昨年の十月から寮長を務めているのだとか。
「へー面倒そうですね」
「でも誰かがやらなきゃならないことだからね。芳澤君秋からやる?」
「いいえもっと適任なのがいるはずです」
 目が明らかに誠人の方を向いている。見なくても分かる、何か頭に刺さっているような気がする。誠人は敢えて目を合わせないように、ついさっき自分で壁に掛けた時計をじっと見ていた。
 この寮は基本的に、同室の人間は同学部同学年で統一されている。もちろん何学部の学生が何人入寮するかなんて毎年違うし予想も出来ない訳だから、必ずしもそうなるとは限らない。しかし少なくとも誠人たちは四人とも経済学部一年次だし、拓都たちも教育学部の二年次である。同じ学部各年の方が生活リズム等は近くなる。この為都合のいいことも多く、このような振り分けになるそうだ。
「何それ、どういうこと?」首を傾げた大祐が、慌てて付け加えた。「……ですか?」 「うん、前にね、やたら神経質な人とやたら大雑把な人が同じ部屋で生活してたらしいんだ」
 ある日神経質君がテスト前日に追い込みをしていた。しかしそんなことは大雑把君にはもちろん関係ない。一応気を使ってイヤホンつけて音楽を聴いていたが、音量が大きくて音漏れ、しかも鼻歌まで歌っている。いらいらした神経質君は我慢出来ず、彼らの部屋ではいざこざが絶えなかったらしい。
 面白いよね、なんて策弥は笑っているが、そんなことが理由になるのか。それとも恐ろしく酷い大戦争を毎回繰り広げていたのだろうか。
「……それ、都市伝説では?」
「さぁ、どうだろうねぇ」
 策弥の笑顔は変わらない。
「あ」
 不意に声を上げたのは健太だった。
「どうかしましたか?」
「僕今日風呂当番だ」
 そう言ってローテーブルから漫画雑誌を拾い上げる。悠が「あっ」と残念そうな顔をしたが、健太の目には止まらなかったのかすっと立ち上がる。
「じゃ、僕はお仕事お仕事。後輩諸君は寮長殿の話をちゃんと聞いておくように」
 ぱたんと静かに閉じられた扉を見つめていたが、今度は「あ」と策弥が呟く。
「そんな話をしに来たんじゃないんだよね、僕たち」
「そうそう、寮の決まりとかな」
 健太がたった今「風呂当番だ」と言って出て行ったのも寮の決まりのひとつ。午後六時までに共用の風呂を掃除し、湯船に湯を溜めておくのが仕事だ。他にも食堂のおばちゃんの手伝いや庭の掃除、トイレ掃除等がある。
 このグループは、寮生全員を学年関係なしに五十音順に並べ、あ行から順に四人ずつで区切られて決まる。今週までは二年次生だけで回すそうだが、週末には新しいグループ分けが発表され、来週から一年次生にも当番が回ってくるらしい。
「サボると寮生全員が困るからな。食事当番の時はおばちゃんにも女子寮の人たちにも迷惑がかかる。講義の都合とかでどうしても出られない場合は誰かに代わってもらうとかしろよ」
「はーい」
 返事をしつつも、悠の顔にはでかでかと『メンドクサーイ』と書いてある。それに気付いた拓都はテーブルの下で隣に座っていた策弥の膝をつつき、策弥は反対側の隣に座っていた誠人の膝をつついた。
「多分穣君は芳澤君と同じグループだから、ちゃんと働かせてね」
 先輩からそう囁かれては、頷く他なかった。
 そういえば。誠人は気になっていたことを口にした。
「先輩方、三人部屋なんですか?」
 拓都、策弥、健太。三人しか見ていない。
「いや、この寮は全部四人部屋だ。もちろん俺たちも四人部屋」
「うん、もう一人いるんだ」
 四人部屋ではあるが、アパートなんかよりも比較的綺麗で家賃も安い為、人気の物件である。競争率は高く、募集に対する応募の倍率が一を切ることはまずない。
「今はアルバイトに行ってるんだけど……もう帰ってきてる時間じゃないかな?」
「そうだな」
 策弥の言葉に拓都が立ち、扉を開けて廊下を覗いた。「たっだいまー」という声が聞こえる。
 部屋を覗き込んだ彼は「そうか今日入学式か!」と笑顔を見せた。本当にちょうど帰ってきたところらしく、手にはキャリングケースを持っている。大変爽やかであったが、それよりも寝癖頭が気になった。
「倉橋淳也です。タクたちと同じ隣の部屋だから、分かんないことあったら何でも聞いてね」
 彼ら四人は教育学部。来週から始まる必修の講義で、彼らの班はさっそくプレゼンをすることになっているらしい。まとめ役の淳也も帰ってきたことだし、資料作りでも始めようか、と策弥も立ち上がった。
「こんな感じで授業も忙しいから、ま、頑張れよな」
「寮の規則、実はまだいろいろあるから入寮のしおり見ておいてね」
 大祐、啓一、悠がさっと目を反らす。
「じゃあ、お邪魔しました」
「お前らも俺らの部屋来ていいからな」
「はい、ありがとうございます」
 ばたばたと連れ立って出ていく先輩たち。扉を閉めながら、何かを思い足したのか、拓都が再び扉を大きく開けてこちらを見た。
「言ったってしおり読まねーだろうから、一番大事なこと言っておくぜ。ここの寮、成績不良の学生は追い出されるから、勉学にも励むように。以上」
 ぱたん、と扉が閉じた。
 誠人以外の三人が顔を見合わせる。
「追い出されるって」
「成績不良者が」
「どういうことや」
 本当に、全く、寮長の話を聞いていなければしおりにも目を通していないらしい。これには誠人も驚いた。
「どうしよう!」
「どうしよって、ちゃんと勉強せなあかんってことやろ」
「違う!」
 立とうとした悠はローテーブルに膝をぶつけて尻をつき、股間を押さえた。
「俺はトイレに行こうとしていたんだ!」
 押さえるところが正しいようなそうでないような。それには誰も突っ込めなかった。

 本寮は学生の勉学を補佐する為に設立された、本学の付属施設である――目的のページの書き出しはこうだ。
「『本寮は学生の勉学を奨励する為の施設である故、万一成績が不振であった場合は退寮となる。成績が不振とはつまり、各学年での必修科目の単位を該当する学年で習得出来ないことを言う』……なるほど」
 誠人から手渡された入寮のしおりをめくり、目的の文章を読み上げた啓一は、皆にも見えるようそれに折り目をつけてローテーブルに広げた。誠人の案内で無事トイレに辿り着け、危機を脱した悠もそれを覗き込む。文章の脇には丁寧にも各学部の必修科目一覧が添えられていた。
「結構あるなぁ」
「これ全部のテストなりレポートなりで合格せんとあかんのやろ?」
 厳しいなぁ、と声を揃えてうなだれた二人をよそに、大祐はクローゼットからジャケットを出して着始めた。
「何だよ星野、これ気にならないの?」
「ならないな」ジャケットのほこりをつまみながら「どれだけのことを要求されるのかと思ったら、合格すればいいんでしょ? 必修ってことは卒業に必要なんだから、落としたら卒業出来ないんだから、普通に勉強するし、そしたら退寮になんかならないよ」
 どこ行くの、と誠人に問われれば、大学の敷地内、寮敷地内を散歩すると答える。時計を見れば夕食までにはまだ時間がある。
「待って、俺も行くよ」
「俺も俺も!」
 誠人はともかく、悠までもそんなことを言い出せば、さすがに啓一は驚く訳で。
「よ、芳澤?」
「星野の言うこと聞いたら納得しちゃった。何とかなるんじゃねーの?」
「いやそういうことじゃなく」
「じゃ、行ってくるねー」
 三人の先頭を切って部屋を出ていく悠。大祐、誠人も続く。誠人から誘われたが、啓一は断った。
 実家から届いた段ボール箱を開け、夕食までには片付くと確信する。机の上に文具類ゲームソフト類を並べるだけで机周りは完了。衣類の箱を開け、まだ中に残っていたTシャツを数枚クローゼットの引き出しに入れる。シャツがなくなったことで顔を出したテレビゲーム機を部屋備え付けのテレビに接続すると、啓一は謎の達成感に見舞われた。
 後はいいや、と箱の底に敷いたジーンズ他は取り敢えずクローゼットに放り込み、それを見なかったことにした。実家から精選して持ってきたソフトの中から、大学合格後に購入しまだ攻略出来ていないRPGを選ぶ。
「よっしゃやったるでー」
 電源を入れてコントローラを握り、テレビの前に座る。
 積まれた段ボール箱が視界に入る。
 ……。
「芳澤、はよ荷物片付けぇや」



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