24.


“スペード”により受けた被害、その規模等をまとめた資料に目を通しながら、風谷は盛大に溜め息をついた。
 国営の施設はあらかた破壊された。指令所も被害を受けた。そしてどの施設よりも被害が大きかったのはこの国の門だ。
 この国唯一の巨大な門は、歴代の門番を務める魔術師たちにより作られたものであった。門には魔力が込められており、その力によって形成された見えない『壁』が、国をドーム状に覆っていた。排他的な国の気質とこの門、そして『壁』の存在により、【砂遺跡の国】の安全は守られていた。
 空からの侵入・脱出はまず不可能、門はたったひとつ、門番は国の精鋭・王家直属軍隊員の魔術師。固いと思われていたその防御が、今回破られてしまったのだ。
 国営施設、門、『壁』。全て“組織”メンバーの魔術師により破壊された。
 ここは魔術師が寄り集まって作った国。一般の人間より力をもった者ばかりの国。これまでは敵が攻めてきても魔術で対抗することが出来ていた。魔術があれば国を守れると思われてきた。この国の根底にある魔術に対する過信が、今回の敗因のひとつかもしれない。
 今は暗殺された国王に変わり大臣たちが政治を動かしている。王家は、今は女王をトップに立て王子が成人するまで待つそうだ。王家のこともあり、破壊された国のこともあり、この国が元通りに復興出来るのは何年、いや、何十年も先になるだろう。そんなことを考えながら資料を閉じた。
 壁に掛かった時計を見上げる。そろそろ時間だ。
「珠築、今日はもう上がるからあとよろしく」
 勤勉な部下に向かって包帯を幾重にも巻かれた左手を振り、新調したばかりの軍服の上着を脱ぎ捨てた。



   ◆



 戦闘後、塔亜と騎左は風谷に連れられ指令所の管轄下にある病院に運び込まれた。騎左は前身の裂傷と打撲、塔亜はそれに加えて肋骨骨折と言い渡された。怪我自体はそこまで重いものでもなく、大きな裂傷は縫合処置を受け、骨折は湿布薬を貼りバストバンドで固定されたが、入院には至らなかった。それでも痛みが引くまでは無理出来ず、【砂遺跡の国】に滞在していた。その間。
「風谷はまだ帰ってこないのか」
「そろそろじゃねーの?」
 風谷の生活する部屋に、二人揃って居候していた。保護者の家に『居候』というのも変な話だが。
 あのごちゃっとした机の持ち主の部屋である。さぞ汚いところだろうと想像していたが、男が一人で暮らしている部屋の割にはさっぱりとしていた。仕事は溜め込む方だということは机に積まれた書類束や部下である珠築の言葉からも感じていたのだが、プライベートでは溜め込まない方らしい。実際、さっぱりしているというよりはあまり物がない部屋だった。ふたりは空いていた(本当に空いていた、物が何もなかった)部屋をひとつ使わせてもらい、ただごろごろしたり、武器をメンテナンスしたり、たまには真面目に今後どうするか話し合ったりしていた。
 そんな生活が一週間ほど続いており、つまり、“組織”との戦闘から一週間が経とうとしていた。
 薬を服用して、ではあるが、塔亜の傷の痛みも幾分か和らいできていた。それに、いつまでもこの国に滞在してはいられない。二人は昨日から、【岩遺跡の国】を出国した時からの目的である【港の国】に旅立つ準備を始めていた。
「なあ騎左」
 トランクに隙間なく所持品を詰めていく手をぼんやりと見つめながら塔亜は問いかけた。
「お前、人殺したことある?」
「……どうしたんだ、急に」
 忙しなく動いていた騎左の手が止まり、顔が上を向く。目が合ったが、反射的に反らした。話を切り出したはいいがどう続けていいか分からない。少しずつ言葉を選びながら、ぼつりぼつりと話し始めた。
「俺、この前の“組織”の女を刺した。そうやって人を傷つけたことなら何度でもある。でもあの女は死んだ。俺が殺した。俺……」
 初めて人を――殺した。
「おかしいよな。“組織”は憎い、潰してやりたい。ずっとそう思ってたし今もそうだ。覚悟もしてた……いや、してたつもりだった」
「塔亜……」
「でも俺は、ずっと怖かったんだ」
 塔亜の口からこぼれた言葉に、騎左は姿勢を正した。目は反らされたままだったが、その目をしっかり見据えて、言う。
「お前にしては珍しく素直だな」
「何だとっ……痛っ!」
 いつもの調子でにらまれ、噛みついてくる塔亜。しかし急に身体を動かしたことで痛んだのか、胸部を押さえる。安静にしてろよ、と塔亜を寝かせ、自分のトランクを閉めた。今度は塔亜のトランクを開ける。
「でも、それでいいと、俺は思う」
「え?」
「非日常に恐怖を感じるのは当然だろ。非日常、人を殺すこと、それに恐怖を感じなくなったら……」
 淡々と続けながら塔亜の荷物を選り分ける。どう考えても二度と着られないような血で汚れたコートを引っ張り出し、ごみ箱に放り込む。
「その時は俺たちも“組織”と同じになってしまう」
「騎左」
「だろう?」
「……そう、だよな」
 玄関の扉が開く音が聞こえた。塔亜よりも早く騎左がそれに反応して立ち上がる。起き上がるのも何となく億劫で、風谷の出迎えは騎左に任せることにした。
「ゼファ!」
「俺は? 俺に何か言うことないの?」
「え、ああ、おかえり」
「あのなぁ、そういうことは目を見て言えっての」
 そんな会話が聞こえてくる。ゼファに構う騎左と風谷の呆れ顔と、どちらもありありと脳裏に浮かび、塔亜は思わず吹き出した。
 あの戦闘でゼファも負傷した。治癒力は人間よりもずっと上、傷自体はすぐにふさがったのだが、妖鳥は空を飛ぶ生き物だ。丁寧にケアをしてやらなければ、戦うことも、空を飛ぶことも出来なくなってしまう。それを防ぐ為、今日は朝から風谷が指令所まで連れて行っていた。指令所の妖術部隊に検査をお願いしたのだ。結果、異常なし。ゼファはその口ばしを騎左の頬にすり寄せた。
「オッサンおかえりー」
 玄関に向かって声を上げると、風谷の方から部屋まで顔を出しにきた。
「ただいま怪我人、どうだ」
「結構いいよ。今騎左が荷物まとめてた。終わったら出るよ」
 トランクからバイクの鍵を拾い上げると、風谷は一言「そうか」と答えた。あの日路上駐車した塔亜のバイクも既に回収し、風谷の通勤用バイクの隣に停めてある。風谷が帰ってくる前にメンテナンスも済ませてある。
「じゃあ、騎左のこと、頼むな」
「当たり前だろ、何言ってんだよ」
「冷静なように見えるけど、頭に血がのぼると周りが見えなくなる奴だからな、そこはフォローしてやってくれ」
「仕方ねーな、やってやんよ」
 半日振りの相棒との再会に喜び羽毛を撫でる騎左を見ながら、塔亜は大きくうなずいた。
 そう言えば。朝から気になっていたことを風谷に尋ねる。
「指令所も忙しいだろうに、今日は仕事早く終わったんだな。いいの?」
「まーね。【港の国】から取り敢えずの人員補填をして、今日はその手続きだけしてきたの」
 国も指令所も攻撃を受け、【砂遺跡の国】の防衛体制はずたずたにされていた。今この国を手薄にしておくのは危険過ぎる。正式な人事異動はまた本部から通達があるだろうが、それまでの仮部隊が今日到着したのだ、と風谷は言った。同じ北阿地方の隣国【岩遺跡の国】よりも、人員に余裕のある南汪地方の大国【港の国】からの異動だった為、手続きが面倒だったらしい。そんな愚痴を、事実だけ聞いて飽きた塔亜の代わりに、騎左相手にぼやいていた。
「で、お前さんらはここ出たらどこ行くの」
「その【港の国】だ。少し前、国内で複数の反政府組織に不穏な動きがあったって聞いて」
「何それ。軍じゃそんな話聞いてないけどなあ」
「情報源は酒場であったジャーナリストだからな、まぁ行くだけ行ってみようかと」
「ま、好きにしなさいな」
【港の国】といえば、政治も軍事も学術機構も全てが集結している【世界の中央】に並ぶほどの先進国であり、【世界の中央】以上に歴史のある国でもある。重要文化財も多い。観光がしたいと騒ぐ塔亜を騎左が却下の一言で突き放し、またいつもの喧嘩が始まった。いつも通りのことで、こんな時でも平和だなぁと、そう感じた。
 出掛ける直前、塔亜がトイレに行っている間、風谷は二人分の荷物をチェックする騎左に声をかけた。
「塔亜のこと、頼んだぞ」
「何を今更、改まって」
「あいつ放っておくと無茶するからな、向こうに着いたら指令所に連れて行ってやれ。俺の知り合いがいるから、そいつに病院を紹介させる」
「分かった」
 短く答え、騎左はふたつのトランクを静かに閉めた。
 着られなくなったコートの代わりにパーカーを着た塔亜、羽織を肩にかけた騎左、各々で自分の武器を確認して部屋を出た。バイクの荷台に二人分のトランクをくくりつける。鍵を差し込んでエンジンを入れる。塔亜が運転席に、騎左は荷台のトランクの上に腰をおろした。
「じゃあな、オッサン」
 胸部を押さえ、しっかりと固定されていることを再確認し、塔亜はゴーグルを目に当てた。
「おー。俺はまだしばらく【砂遺跡の国】勤務だからな、何かあったら連絡寄越せよ」
「大丈夫だよ、危ないことはしねーから」
「それ絶対嘘だな」
「本当だって」
 ゼファが大きく空に羽ばたいた。一度くるりと円を描き、それからまっすぐ国門に向かっていく。バイクがそれを追って発進する。振り向いて頭を下げた騎左に右手を振って返した。風が吹き、地面の砂が渦を巻いて視界を塞ぐ。それでも、角を曲がってバイクが見えなくなるまで、風谷はその場に立ち続けた。
“組織”と塔亜、騎左が対面した今、自分がすべきことは何か。自身に問いかけた。ゆっくりと首を横に振り、ポケットから潰れた煙草の箱とライターを出す。一本加え、火をつける。煙を肺いっぱいに吸い込んだ。
「……大変なことになったな」
 風谷の呟きは、吐き出された煙と共に大気に溶けていった。


『赫キ欠落【砂遺跡の国】編』 完





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