9.


 黎武の構える棒切れの先が騎左を捉える。まっすぐ突き出されたそれを一歩引いて躱し、鞘に収めたままの小刀で横に払う。
「あっ」
 黎武の目が棒切れの先を追う。その隙を狙って黎武の手首を叩く。さすがに何度も同じ手を食らって学習したのか、この程度で棒切れを手放さなくなったことは評価する。しかし握り直して大きく振りかぶったのはいただけない。振り下ろされた棒を受け止めた騎左は、棒切れごと黎武を投げ飛ばした。
「何なんだよお前、こんな、おとなげない」
「最初に突っかかってきたのはお前だろう」
「うるせー!」
 尻をさすりながら立ち上がり、黎武が騎左を睨みつける。やれやれ。小刀を腰に提げ直して黎武に向き直った。
「いいか、当てる気があるなら対象から目を反らすな。見ていないのに当てられる訳がない。それに、他に気を取られては隙が出来る。そんな奴を返り討ちにするのは難しいことじゃない」
「何だよえらそーに」
「強くなりたいと思うなら、今の話は覚えておくといい」
「お前なんかに言われなくたって強くなってやるよ」
 捨て台詞を吐いて走り去っていく黎武を見送って、騎左は背後から近付いてくる峰葉を肩越しに見た。
「あいつはいつもああなのか?」
「そうですね。正義感が強いというか……でも悪い子じゃないんですよ」
 話しながら、しかし峰葉は騎左を見ない。意図的に目を反らしてくる。
「聞いたか、塔亜から」
 訊ねれば峰葉は小さく頷いた。
「……そうか」
 聞いたのか。
 騎左の昔の話を。



   ◆



 魔術を扱えるのは、王家に仕える直属軍の家系及びそれに近しい血族に限られる。一族を離れ他の血が混ざっていけばその能力は弱まりいずれ失われてしまう――これは妖術でも全く同じことが言える。
 つまり妖術を扱える騎左も、そういう血筋の人間である、ということだ。
 騎左が塔亜の暮らす孤児院へやってきたのは九歳の時。それまでは【東端の島国】王城で生活していた。両親は【東端の島国】王家直属軍妖術部隊の軍人で、王族の人間を護衛するのが仕事。少し歳の離れた兄がおり、両親と同じく妖術部隊に属する為日々訓練中。騎左もいずれ妖術師として王を支える存在となるべく刀と妖鳥ゼファを与えられ、両親や兄と同じ道に進むはずだった――真実を知るまでは。
 それは城敷地内にある道場で剣の稽古をしていた時のことだった。練習用の竹刀を構え、兄と向かい合う。同時に振り上げて、一本取ったのは騎左だった。しかし兄はそれが気にくわなかったらしい。騎左の手から竹刀をもぎ取って後方へ放り投げた。
「おれより先に動いてまで一本取ろうだなんて、そういうずるはよくない」
「ずるなんてしていない」
 否定しても兄は言葉を止めない。
「ずるをした上に嘘までつくか」
「そんな」
「卑怯者、まるでお前の父親のようだな」
 何を言っているのだ。騎左の父親は、兄の父親でもあるのに。
「お前のような卑怯者と俺が兄弟のはずがないだろう。お前は拾われてきたよそ者だ」
「そんな、ちがう」
「違わないさ。お前の本当の父親は、俺の父の弟。おれからしたら叔父にあたる」
「ちがう……っ」
「いいや。可哀想に、知らないんだな」
 兄が騎左の肩を掴んで強く押す。躓いて尻もちをつく。そんな騎左を、兄は見下ろして笑う。
「だったら聞かせてやろう。叔父さんはこの国の王家直属軍の軍人でありながらその責務に耐えられずに、お前をおれの父に押しつけて逃げ出した臆病者だ」
 兄が竹刀を床に打ちつける。大きな音が響く。何度も、何度も、竹刀が床に叩きつけられる。竹刀の先がヒュッと音を立てて騎左の目の前を走る。
(叩かれる……!)
 騎左の竹刀は兄を挟んで向かい側に捨てられてしまった。他に何かないか、周囲を見回す。左手の壁に刀が飾られている――あれだ。
 飛びついて刀を握る。持ち上げて、その重みによろめく。何とか身体を反転させ兄に向き直る。振り回した反動で鞘が抜けて落ち、刃が剥き出しになる。振り下ろされた竹刀を刀で受ける。
 構えた刀は竹刀を切り、それだけに留まらず、兄の二の腕まで切り裂いた。
 傷口から肉の断面が覗き、真っ赤な血が噴き出す。
「ああああああああ!!」
 兄が膝をついて叫び、傷の上から片方の手で抑えつけるが、指の間から血が溢れて止まらない。明るい灰色の着物がじわじわと暗い赤に染まっていく。ぽたぽたと垂れた血が床に染みを作っていく。
「あ、ああ……」
 言葉にならない声を漏らしながらずるずると後退り、また尻もちをつく。兄の声を聞きつけたのか誰かが駆け寄ってくる。誰かは分からない。視界がぼやけてよく見えない。目の前が真っ赤になる――。
 そこからの記憶は曖昧だ。はっきりと覚えているのは、兄が病院へ運ばれ、それに母が付き添っていったこと。そして父親に呼び出され、話を聞かされたこと。
 父――いや、義父の話は、義兄が語った内容と概ね同じだった。騎左の本当の父親は騎左を置いて行方不明になってしまったが、騎左に同じ道を歩ませまいと、義父はこれまで剣術や妖術を教えてくれていた。しかしその力は王を守る為のものである。それで義兄を傷つけてしまったことは看過出来ない、と義父は眉間に皺を寄せた。
 要するにもうこの家には置いておけないと言われたのである。
 そんな話を聞かされて、騎左だってこの家に留まりたいとも思えなかった。きっと義兄は騎左のことを知っていて、今までずっと面白くないと思っていたのだろう。そして今日のことがきっかけで、溜まっていたそれが爆発してしまったのだろう。そう思ったら、尚更こんなところにいられなかった。騎左を押し倒して笑ったあの義兄と一緒にいたくなかった。もう顔も見たくなかった。
 自室に駆け込み、自分の持つ一番大きな鞄にろくにない私物を放り込んでいく。養父から渡された刀を掴む。浮かんでくる涙を、何度もまばたきして押し戻す。窓を開け放ち、巨大化したゼファに乗る。
 そうして飛び出して、行き着いた先があの孤児院だった。
 城での生活のように裕福ではなかったが、食事と寝る場所に困ることはなかった。声のでかい塔亜は毎日うるさく喧嘩ばかりだったが、国の為に王の為にと言い聞かされるよりはまし……いやうるささは同じくらいだったか。
 しかしその生活も長くは続かなかった。騎左たちが十二の時に孤児院が放火に遭い全焼。たまたまおつかいで外出していた騎左と塔亜以外は皆、死んでしまった。
 事件後二人は風谷に引き取られたが、それはあくまで書類の上でだけ。風谷は二人に「世界を回れ」とだけ残して外に放り出した。またしても彼らは自分の居場所を失ってしまったのである。
 馬の合わない塔亜とはそこで別れ、騎左はふらふらと当てもなくさ迷い続けた。多少の小遣いと、焼け跡から見つかった刀と、ゼファ。それが騎左の全てだった。靴も服も泥で汚れ、しかしそれを洗うことすら叶わなかった。【東端の島国】の影に身を寄せてひっそりと息を殺し、一時も気を緩めることが出来ないまま、ただただ時が流れるのを待った。だんだん自分がなぜ生きているのか、自身の命を疑うようになった。
 ある日の夜。河川敷、橋の下で刀に体重を預けてうとうとしていた時のことだった。
「おい、そこのきたねぇガキ!」
 ろれつの回らない罵声を浴びせかけられても動揺しないほどに、騎左の心は死にかけていた。見れば顔を真っ赤にした男が千鳥足で歩いている。またか、と思った。そうやって路上生活者を罵倒する泥酔者は珍しくなかった。
 無視をしたのが男の気にさわったらしい。更に大声を上げる。
「おめえみてえな奴がいるからぁ、この国はぁだめなんだっつの、よお」
 いつ騎左が男に迷惑を掛けたというのだろう。初めて会う男にそこまで言われる筋合いもない。
「なあ聞いてんのかぁ?」
 よたよたと近付いてくる。早く飽きてどこかへ行ってくれないか。願いもむなしく男は騎左に掴みかかる。
「それとも言葉もわからねぇかぁ?」
 酒臭い息と唾に吐き気がして顔を背ける。少しでも遠ざけたくてその肩を押す。男の手がぱっと離れる。義兄に肩を押され尻もちをついたあの日の光景がフラッシュバックする。
(……!)
 あっ、と思った時にはもう遅かった。男はもつれる足で後ろ向きに歩き、そして。
 頭から川に落ちた。
 慌てて駆け寄る。水面を覗き込むが、男の姿は見えない。男が履いていた靴が片方だけぷかりと浮き上がる。
 それ以上は見ていられなかった。川べりから離れ、ゼファと刀を抱える。
 浮いてこない男を目の当たりにして、騎左は命を失う恐怖を思い出し、同時に命を奪う恐ろしさを知ってしまった。死は怖い。殺すのはもっと怖い。死にたくない。殺したくない。まだ生きていたい。捕まりたくない。
 ここにいては駄目だ。逃げなければ。もっと強くならなければ。
 自分の身を守れるくらいに、自身を律することが出来るように。
 騎左は走った。まだ走れるだけのエネルギーが自分に残っていたことに安堵した。
 そして――。



   ◆



「養父から教わった妖術と剣術を使って賞金稼ぎをしながらここまでやってきた」
 一度言葉を切り、峰葉を振り返る。
「城育ちのお嬢様には刺激が強い話だったか?」
「いえ、そうではなく……」
 彼女は首を横に振るが、目を伏せて唇を噛んだ。
「ごめんなさい、わたし、詮索しようとかそんなつもりじゃ」
「気にするな。隠していることでもない。全部事実だし、それに……過去のことだ」
 そんなことより塔亜はどこに行ったのだ。キャンピングカーにいたはずだが、車内に塔亜の影が見えない。峰葉と一緒に降りてきているのかも知れないが、辺りに姿はない。訊ねてみれば、峰葉は上を指差した。
「ここでは通信が悪いとかで、先ほど妖鳥さんに乗って行かれました。すぐ戻ると仰っていましたよ」
 言われて見上げると倒立バスの横にゼファの姿が確認出来る。塔亜は見えないが一緒なのだろう。それならまあ安心か。戻ってくるまでしばらく待つとして、何をして時間を潰そう。廃車の壁の外に出てみるか、それとも……。
「あの」
 峰葉の声で、そちらに目を向ける。
「……!」
 返事をしかけて、思わず言葉を失う。
 見れば彼女は、顔の半分を覆う眼帯を外していた。
 眼帯を外したそのことに驚いたのではない。眼帯の下から現れた峰葉の右目は、上瞼と下瞼が艶のある太い糸でしっかりと縫い止められていたのである。
「わたしばかり話を聞いたのでは不公平ですから、わたしも少し話していいですか。改めて自己紹介をさせてください」
「あ、ああ……」
 何とかそれだけ吐き出して頷く。峰葉はにこりとして「どうも」と会釈した。
「【西端の島国】王家直属軍魔術部隊所属、峰葉と申します」
 彼女は【西端の島国】魔術師の家系。長子が家督を継ぐことが習わしで、その役目は彼女の姉が負うことになっている。峰葉の勤めは、姉の補佐をすることなのだと言う。
 そして【西端の島国】の魔術師の補佐は、勤めを果たせるよう強い魔力を得る為に、身体の一部を差し出す。峰葉の場合はそれが右目だった。右の目玉を抜いた代わりに姉の魔力を込めた水晶玉を嵌め、姉の髪を編んで作った紐で瞼を縫いつける。姉の呪いを受けるような形で、峰葉は右の視力と引き替えに新たな“力”を得たのだ。
「そうしてわたしは、見えないものを“視る”力を授かったのです」
「“視る”?」
「ええ……わたしには“視える”のです。人の抱える感情が」



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