0.


 見渡す限り、命のあるものはいない。地面の割れ目から少しだけ頭を出している植物も黄色く乾いている。地面の色と同化している。風が吹き、葉同士が擦れ合っても、その音に潤いなどない。
 見渡す限り、砂の原である。命が育つ環境ではない。生命に必須な水がないのだ。そんなところに、命が芽生えるはずもなかった。
 しかし、そんな砂の原の中に泉が湧いた。奇跡的に湧き出た泉は、神の恵みだと崇められた。この砂漠を行く旅の者たちがそう呼んだ。泉を中心に命が集まり、人が集まり、やがて集落が生まれた。人々は小さなオアシスに生かされた。この近隣の国、【砂遺跡の国】は、そうやって生まれてきた。
 神はいる。我々の命を生かしてくれたのだから、神の助けに感謝する。その信仰は、時の流れの中で形を変えていった。飢えや病で幼い命が奪われることが多かったこの国も、生き永らえることが当たり前の時代が訪れた。長命が誰にも等しく与えられるようになり、神への願いは命を生かすことから命を蘇らせることに変わっていった。
 もともとオアシスに集まった者たちが不可視の術を扱う魔術師であったことも、その移り変わりの要因のひとつかもしれない。目に見えぬ不思議な術ならば、死んだ者を蘇らせることだって出来るに違いない――術を扱えない者がその力に期待するのは、ある意味自然な流れであったのかもしれない。
 医術が発達した現代では、そんな信仰も形式的なものでしかなく、病に伏せった者は魔術師でなく医者の元へ向かう。魔術の儀式の為に造られた巨大な四角錐の建造物も、今では用済みの遺跡と化している。
 かつては栄えた信仰も、魔術的儀式も、科学の前に枯れた。なんて寂しいことなのだろう、李樹はそう思った。
 眼下にはこの辺りでは最大の遺跡、つまり【砂遺跡の国】国王蘇生の為に造られた四角錐。前方には海。ようやく北阿と南汪の境まで来たということだ。あの海を越えれば目的地はすぐ目の前である。
「急ぎましょう、バンリ」
 李樹は自分たちを乗せ羽ばたいている巨大な妖鳥、バンリの首に触れた。頷いたバンリは大きく羽を伸ばし。
 ぐん、とその身体が浮き上がった。
「えっ」
 その動きに違和感を覚え、慌てて後ろを確認する。
 そこにいるはずの、自分の後ろでバンリにしがみついていたはずの上司がいない。
 はっとして下を見れば、バンリではなく巨大遺跡の外壁にしがみついている人影が。右手首から伸びた黒刀を外壁に突き立てている。
「下りてください、バンリ! 早く!」
 思わずバンリの腹を強く蹴ってしまう。それでもバンリは主人の命令に従い、百八十度方向転換すると急降下を始めた。しかし間に合わない。遺跡の外壁は音を立てて崩れ、大きな穴が開けられる。大きな荷物を抱えた上司はその穴の中にするりと消えた。李樹とバンリもそれを追った。
 長く人の立ち入ることのなかった遺跡内部は湿っぽく、ひやりとして、黴臭い。そんなところで、この上司は荷物――人間の遺体を抱きかかえ、嗚咽を漏らしていた。
「静様」
 親子ほど年の離れた年下の上司の名を呼ぶ。返事はない。
「静様……」
 もう一度呼び、傍に寄る。
 彼の抱く、彼とよく似た顔をもつ遺体。その表情は安らかであった。ただ眠っているようにも見えるが、引き裂かれ血で汚れた胸部は現実を物語っている。
 亡骸を抱きしめ、静はかすれた声で呟いた。
「蓮が死んでいいはずがない、蓮はまだ死ぬべきじゃないんだよ」
「何を、言っておられるのですか」
「【砂遺跡の国】は、復活の呪いの国だ。蓮はここで死んだ、そしてここで生き返らせる」
 静の双子の姉、蓮は、先の【砂遺跡の国】内で起こった戦闘で命を落とした。それはこちらの“組織”の想定外であり、このことにより計画の一端は崩れてしまっている。それは事実である、が。
「では、蓮様をこのようなところに置いていかれるおつもりですか」
「……李樹」
「人のいない、こんな寂しい遺跡に、蓮様を」
「でも……」
 双子の姉、静にとって彼女が唯一無二の存在であったのは事実である。それは彼らの世話係であった李樹もよく知っている、が。
「人は、決して生き返りません」
 蓮は死んだのだ。
 二度と目を覚ますことは、ないのだ。
「分かってるさ!」
 大声を出し胸倉を掴んでくる静の両肩に手を置いた。その両目を、李樹はまっすぐに見つめた。
「聡明なあなたなら、自分が何をすべきなのか、分かっておられるのでしょう?」
 李樹の服を握り締めていた静の手がほどかれた。
「蓮様は私が必ず国へお連れします。ですから静様には、静様のすべきことをしていただきたいのです」
 李樹は蓮を抱き上げ、両腕をだらりと下げて立ち呆ける静に右手を差し伸べた。
「この計画はこれからが本番なのです。ですから」

 行きましょう、【港の国】へ。



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