6.不透明


 十並ぶ一階船室の内九部屋を生徒たちが利用しており、この上の二階船室は教師陣が利用しているらしい。逆にこの下は食堂となっている。それ以外の場所は基本的に関係者以外立ち入り禁止、船員のみが入れる場所多数。
「リベル、操舵室とかボイラー室とか、入ろうなんて考えちゃ駄目よ」
「考えてないよ」
 忍び込もうだなんてさすがに思っていない。興味があるだけだ、あわよくばちらっと中が覗けたらいいなと思っているだけだ。
 甲板舳先に立って、海水が水面で泡立つ様をただ眺める。ふらふら漂い、ぱちんとはぜる。
「ねぇ」
 船から遠ざかる泡を見送っていたリベルだが、メーアの問いかけに顔を上げた。
「何?」
「特別講義って、何かしら」
「それは……僕も考えてた」
 高らかに宣言した割に、シュレー学校長はあの後すぐ食堂へ向かった。ただ今午後のティータイム中、優雅な時を過ごしているに違いない。
 情報を小出しにされて、分からないままここまで学校長に振り回されてきている。初めからそうだ、謎の白い封筒から始まって、ここにきてまだ詳細が知らされていない。
「僕には学校長のお考えが分からないよ」
 首を横に振って呟く。その時視界の端に、長い前髪を押さえるベルグ先生の姿が映った。今日はスーツでなく、シャツに細身のチノパンを履いている。堅苦しい衣装よりもラフな服の方が似合う人だとは思うのだが、南の浜辺を意識したのか南国フルーツ柄のシャツを選ぶセンスは理解出来なかった。
「ベルグ先生」
「どうです? 船は。何か発見がありましたか?」
「まず船に乗るのが久しぶりですね、前に乗ったのは家族とですが、随分前の話ですし」
 あれはまだリベルが学校に入学する前のことだ。兄が船酔いして大変だったことだけはよく覚えているのだが。
「メーアさんは?」
「私も船は滅多に乗りませんから、このような機会を与えていただいて大変嬉しいです」
「それはよかった」
 海鳥の鳴き声が響いている。風が強い。風に躍らされる髪が頬を叩く。
 手すりに体重を預け、空を見上げた。
「いやぁ、海の風は気持ちいいですねぇ、べたべたしますが」
「そりゃあ、潮風ですからね」
 確かベルグ先生もシュレー学校長と一緒に食堂へ下りたはず。訊けば学校長を案内しただけで、自分はお茶に同席しなかったらしい。軽く船に酔ったようで、お茶なんて飲もうものなら、といったところか。言われてみれば確かに顔色が悪い。
 大きく息を吸って、吐く。何度か繰り返し、ようやく落ち着いたようだった。
「風に当たると少し楽になりますね。それに、学生の皆さん、全員に喜んでもらえているのなら、企画したこちらとしても嬉しいですよ。この講義にも意味が生まれますねぇ」
「……え?」
 その意味を噛み砕いて消化するのに、少し時間が必要だった。
「あの、先生、どの講義です?」
「特別講義ですよ。学校長がおっしゃったでしょう、『特別講義を執り行う』って」
「ええ、ですから」
「もう講義は始まっているんですよ、皆さんが封筒を受け取った瞬間から」
 入学してすぐに行われたあの時の課外活動のように、どこかへ行ってテントを張ったり食料調達をしたり自炊をしたりする等、何か課題を与えられそれをこなすことをイメージしていたリベルたちだが、どうやらこの船旅そのものが『特別講義』にあたるらしい。そうであるならば、船旅の目的は、何をするのかどこに行くのか。詳細を聞こうとしてもはぐらかされてしまった。
「そんな身構えなくてもいいんですよ、旅行なんですから」
「でもこれ、講義なら合否があるんですよね、内容が気になるわ」
「大丈夫ですよ」
「何がですか」
 その内分かりますよ、とだけ言い残したベルグ先生は、大きくひとつ伸びをすると立ち去ってしまった。
 はあ。二人揃って首を傾げる。そして。
「学校長のただの思い付きだったらがっかりするわね」
 メーアの耳打ちに、リベルは頷くしかなかった。
 岸から離れるにつれて青色の彩度が上がってきた。陸から流れ出た濁りの成分が減り、それに伴い海の透明度が増してきたのである。さすがに海底までは見えないが、船の周りを泳ぎ回る魚影ははっきりと見える。海藻も漂っている。その姿も、もうじき見えなくなるだろう。陽が徐々に傾きかけているから。
「きゃっ!」
 女子生徒の黄色い声が響いた。その声に顔を上げたが、視界が一瞬遮られる。
「!」
 それは白い翼だった。全長一メートルほどの鳥が、何羽も甲板に降り立った。彼、或いは彼女らは一斉に舞い上がり、羽が散り、そして今度は急降下。頭から海に突っ込んでいく。
「何だ!?」
 甲板にいた学生たちが、手すりから身を乗り出して海を覗き込む。
 ひとつ、ふたつ、海面から頭が出てくる。大きな翼で水面を叩く。飛び上がる。水飛沫が太陽光を反射する。再び甲板に戻り、身体を震わせて水気を飛ばす海鳥たちのくちばしには、てらてらと光る魚がくわえられていた。
 船室脇の階段から足音が聞こえた。少し遅れて「おっ、鳥たちも食事の時間なんだな」という声が届く。
「フィシェさん!」
「こいつらはこの辺に生息している海鳥だ。普段はおとなしいけど、食事の間だけは気性が荒いから気をつけろよ」
 フィシェの言葉に、鳥に触ろうと手を伸ばしていた男子学生が手を引っ込めた。
「少しの間だけ甲板を貸してやろう、俺たちも食事だ」
 その言葉にぞろぞろと食堂へ向かう学生たち。リベルもそれに続こうとして、彼方に浮かぶ船影に気付いた。
 白い制服を着た神殿兵が甲板に並び、敬礼していた。



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