4.長い、手伝い、決意


 翌朝。
 いつまでたっても起きてこないルームメイトを叩き起こし(それはもう、文字通りに)、着替えさせ、朝食を摂らせ、荷物を持たせ、船に間に合う時間に港まで行けるバスに乗せるという仕事はなかなかハードだった。バスに乗る頃には生き生きとして笑顔になっていたアインだったが、逆にリベルは、彼がバスに乗った瞬間どっと疲れが出た。
「リベルって本当に世話好きね」
 昼食の時間、向かいの席に座ったメーアの台詞は大変心外だった。
「僕、次男なんだけど」
「世話好きが皆長子とは限らないわよ」
 彼女の言うことはもっともである。もっともであるが、納得は出来ない。
「悪い奴じゃないんだけどさ、アインはだらしないんだよ」
「一回突き放して痛い目見せたら?」
 随分と過激なことを言ってくださる。しかしそれは可哀想だ、と言えば、そこが世話好きなのだと反論された。懲りもせずデザートを狙ってくるスプーンには反撃しておいた。
「ねぇリベル午後は? 先生のところだっけ」
「うん、メーアは?」
「私も」
 この寮施設に隣接して学校の校舎が建てられている。そしてその裏、街からは少し離れた静かな場所にあるのが学校付属の温室だ。そこの管理と植物の研究を学校から任されているフロラ先生から、メーアは手伝いを求められたらしい。帰省してもしなくてもすることは花の水やりだ何だとぶつぶつ文句を言っていたが、頼まれて断らないあたり、不服ではないようだ。
 一方リベルは図書準備室で図書の整理をすることになっている。図書室は校舎講義棟の最上階、準備室とはその片隅に区切られた小さな部屋のことだ。図書室に入ってすぐ目に入るのが図書貸出用カウンター。そのカウンターの更に奥、扉の向こうが図書準備室である。扉をノックしてみても返事がない。いつものことなので気にせず中に入った。
「失礼します」
 扉を開けて右手に積まれているのは真新しい本。先週発売されたばかりの人気作家のミステリー小説から、かつて起こった宗教紛争の考察論文から、多岐にわたる分野の本が平積みになっている。奥へ入るに従い古そうな本が増えてゆき、突き当たり、窓際の机の上には山積みのプリント類と大きな背中が見つかった。残念なことに、寝息まで聞こえる。
「あー」溜め息をついて、「ベルグ先生ー、起きてくださいよー」
 肩を揺するとろれつが回らないなりに「はいはい」と答えているのが聞こえた。肩を覆っていた長い金髪が背中に落ちた。
「ああ、よく寝ました」
「おはようございますベルグ先生」
「あれリベル君じゃないですか、何か用事ですか」
「……図書の整理をするべくやって参りました」
 寝起きのこの人は酷くとぼけたことを言ってくれる。そういう人だと分かっているので一度図書室外に出、給湯室で湯を沸かし、濃いめのコーヒーを淹れて机に戻った。
「先生、よかったらどうぞ」
「気が利きますね、ありがとうございます」
 背中が広い、肩幅が広い割に、ベルグ先生の身体は薄い。背もひょろりと高く、少しアンバランスな印象を受ける。以前既製品の服はほとんど合わない等と言っていた。今着ているスーツはぴったりのように見えるが、それではあれはオーダーメイドなのだろうか。
 カップ一杯のコーヒーを飲み干してようやく覚醒したベルグ先生から指示されたのは、新着図書のラベル貼りだった。図書分類法に従って本をジャンル毎に分け、ジャンルと対応する記号が書かれたラベルを貼っていく。閲覧用はこれで終了だが、貸出用図書には更に貸出用コードが書き込まれているシールも貼る。そんなに頻繁に大量に入荷しているようには思えないのだが、しばらく作業を続けても新着図書の山は小さくならなかった。貼っても貼っても終わらない。
「あの、先生、新着の処理はいつから溜めているんですか」
「そうですねぇ。期末試験の準備期間くらいからでしょうか、勉強する学生さんが増えますからねぇ。皆さんあまり本を読む暇もないでしょう? 借りに来ない、なら急いで棚に並べなくとも同じことです」
 なるほど、一カ月仕事が滞るとこのような状態になるらしい。たった今リベルがコードシールを貼った天文学の資料が、試験を控えた天文学専攻の学生から本当に必要とされていないのかどうかというのも怪しいものである。
「試験問題考えるのも大変なんですよ」
「はぁ、そうですか」
「そうなんです」
 ベルグ先生の専門は世界史だ。リベルも世界史を履修していたから、その考えるのが大変だったという試験も受けている。おそらく机の上のプリントの束が試験の解答用紙だろう。チェックが入っているようにも見えないし、採点が終わっていないことがうかがえる。成績が開示されるのは休暇も終わる頃になるのではないかと思われる。早めの開示をお願いしたところであまり意味がないことは分かっている為、特に急かすこともしない……急かしたいけれど、本当は。
 神話に登場する植物と現代も生きる植物との比較、と書かれた、メーアが好きそうな本にシールを貼っていた時だった。
「そうだリベル君。お手伝いはどれくらい頼めるのでしょうか」
「どれくらい、とは」
「今回も帰省の予定はないのでしょう? やることはたくさんありますからねぇ、僕としては、毎日でも来てほしいところですが」
 やることをたくさん溜め込んでいるのは先生自身の怠慢である。
 毎日、と、そう言われて頭をよぎったのは例の白い封筒。あのチケットに記されていた日付が脳裏に浮かぶ。
「あの……」
「面倒なことは頼みませんよ、国外に出て発掘調査、のような……」
「ええ、それは僕からもお断りさせていただきます」
「ですから簡単な……そうですね、学校長に書類を届けに行くとか切れたコーヒー豆を買いに行くとか」
 完全にパシリ扱いだ。
「もちろん、無理にとは言いませんから、安心してください」本の山の向こうに隠れていたベルグ先生の顔が頂上に現れた。「先約がありそうですね? もちろんそちらを優先して構いませんよ」
 その後も機械的にシールを貼り続けたが、頭の中ではまったく別のことを考えていた。もちろんその内容は、今後の予定をどうするか、である。
『先約』である怪しげな白い手紙、差出人すら分からない、謎に満ちた存在。
 何の予定もないはずだった休暇、何もないことが『日常』になるはずだった。
 ――つまりこれは、『非日常』への案内状。

「どうしようかなぁ」
 夕食の時間、食堂は閑散としていた。今日の午後の便で、多くの学生が帰省したからである。六人掛けのテーブルをふたりで広々と占拠し、食事を終えてからも席を立たずに頭を抱えていたが、他にもかなりの数の椅子が余っている為、後から来た学生の為に席を譲る必要はなかった。
「何をー?」
 聞き返してきたメーアの視線はテーブルの上に落ちており、形式的に聞き返してきただけで、たいして興味もないことが伺える。彼女にとってはリベルの独り言よりもフロラ先生からさっそく出された課題の方が大事に違いない、横一列に並べた十粒の小さな黒い種を真剣に見つめていた。
「ねぇ、それ何?」
「うーん」
 会話にならない。
 食事を終え空になった食器を二人分返却し、再び席に戻ってもまだメーアは考えこんでいる様子だった。しかし。
「やっぱり見た目じゃ分からないわね」
 お手上げなのか、十粒全てを失くさないよう小瓶に詰める。コルクでしっかりと栓をするところまで見届けてから再び話しかけた。
「それ課題でしょ? 何なの?」
「見た目そっくりの植物の種。全部同じ植物から派生した亜種なんだけど、どれがどの種類か当てましょう! っていうクイズ」
「へぇ、面白いね」
「期限は休暇が終わるまでだから育てることにするわ、芽が出たら違いが分かるはずだもの」
「……へぇ、時間のかかる課題だね」
「いいじゃない、休暇は長いのよ? 一カ月もあるんだもの」
 ――そうだ。
「休暇は、長いんだ」
 この休暇をどう過ごすか、それはリベルの自由である。ベルグ先生の手伝いを続けることだって出来る、リベルさえその気になれば、帰省だって選択肢の内だ。しかも、どれかひとつに絞る必要はない。どうしよう、なんて悩む必要はない。
 休暇は一カ月もあるのだから。
「……リベル?」
 あれこれ考えるのはもうやめよう。
 せっかく懸賞に当たったのだ。これはきっと、喜んでいいことなのだ。
「メーア、僕と船旅に出掛けないかい?」
 改めて彼女に見せたチケットには、今週末の日にちが書き込まれていた。

 その日の晩のこと。あの簡素なチケットから唯一分かる二泊三日という日程情報を頼りに思いつく限りの荷物をトランクに詰めていたら、メーアに笑われてしまった。
「そんな大判のタオル、何枚もいらないからね、絶対。二泊三日よ? それにチケットが偽物の可能性もある、そうだった場合ただのお笑いだわ」
「でも、もしかしたら必要になるかもしれないじゃないか」
「あのねぇ、『もしかしたら』で荷造りしてたら、この部屋丸ごと運ぶことになるわよ」
 確かに、そうなりかねないくらいにトランクはぱんぱんになってしまっているが。
 相変わらずずかずかと男子棟に出入りしている彼女は、帰省したアインのベッドに寝転がり、アインが部屋に残していったメンズファッション誌を眺めている。聞けば荷造りは既に終わっているそうで、こうしてリベルの邪魔をしに来ているという訳だ。
「男の雑誌読んで楽しいの?」
「ええ、結構面白いわ。あ、これリベル似合うんじゃない?」
「僕そういうのはいいよ」
「あらそう」
 目に痛いオレンジ色の革パンツが似合うと言われても反応に困る。顔が大真面目なだけに、本気で言っていたらどうしよう、とも思う。
「あとは何が必要かなぁ」
「もう、下着の替えとかシャツ何枚かとか、そのくらいでいいじゃない。何で毛布なんか詰めて……」
「寒かったらどうするつもりなんだよ」
「あなたどこの地の果てまで行くこと想像してるのよ、毛布持っていくくらいなら着替えを用意しなさいって」
 起き上がり、ファッション誌を閉じる。物が溢れるトランクを覗き、顔をしかめてクローゼットに手を伸ばす。「ちょ……メーア!」というリベルの声なんかまるで聞こえていないようで、扉を開け放つ。
 大きさの割にがらんとしたクローゼット。学校指定制服以外にはジャケットが一着だけハンガーから下がっており、三段ある棚の内二段は使われていない。
 渋い顔をしてこちらを向いた。
「アルバイト代出たら、服、買いに行きましょう」
「その前に、人のクローゼットを勝手に開けたことを謝ろうか」



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