3.チケット


 これから食事をするアインの為に席を譲り、二人分の食器を返却したリベルはメーアと共に談話室へ戻った。この時間は食事をする生徒たちの方が圧倒的に多い。この為広い談話室に人はまばら、しかも窓際のソファにはたいてい誰かが座っているものだが今はいなかった。優越感に浸りつつソファを占拠し、互いの封筒の中身をローテーブルに広げる。
 入っていたのは船のチケットがたった一枚だった。ポート番号、日付、時間が記されたそれは、普通の、とは言い難い。目的地が記載されていないからだ。どこに連れて行かれるのか予想も出来ない謎のチケット、何とも気持ちが悪い。
「何より気持ちが悪いのは、誰がこれを送りつけてきたのか分からないってことよ」
 封筒に書かれている角ばった字を眺め、それぞれに届いた封筒を見比べて首を傾げるメーア。若干癖がある、しかしその筆跡は過去に見た記憶がない。
「確かにねぇ……」
 ソファの背もたれに沈みチケットを裏返してみてもやはり何も書かれてはおらず、リベルはチケットを放り投げた。ひらりと舞ったそれを器用にキャッチし熱心な視線を注ぐメーアのようには、とてもじゃないがなれない。考えてもらちが明かないのに考える気分には、とてもなれないのだ。ただでさえアタマガイタイ学年末の試験が終わったばかりだというのに。
 あなたってどうしていつもそうやる気がないの、ないものはないんだから仕方ないだろ、等と噛みついてくるメーアを穏やかにとはとても言えないが何とか流していると、食事を済ませたアインがやってきた。リベルの隣に割り込んで、メーアが持つチケットを見る。
「封筒の中身ってそれ?」
「そうよ」
「それだけ?」
「これだけ」
 眉根を寄せて封筒にも目をやり、もう一度チケットに目を戻す。そして急にポケットをごそごそしたかと思うと、カードケースの中から一枚の船のチケットを取り出した。
「何なんだよ」広いソファなのだから窮屈に座る必要もない、リベルはアインから少し離れて座り直し「どうしたのさ」
「お前らが受け取ったチケット、かなり奇妙だな」
「そんなの分かりきってるけど……」
「これ正規に発行されてないんじゃない?」
 リベルとメーア、そしてアインの、三枚のチケットがテーブルに並んだ。三枚とも同じような厚さ、クリーム色の、つるりと光沢のある紙だ。
「俺、帰省の度に船使うから、船のチケットってもう何度も見てるんだけどさ」
 アインの実家は沖に浮かぶこの国最大の島にある。船以外に行き来の手段がない為、島の住民は必然的に船を利用する回数が増える。
「お前らのチケット、発券所ナンバーが書いてないな」
「……何それ」
「これだよ」
 そう言ってアインが指差したのは彼のチケットの右肩で、三桁と四桁の数字がハイフンでつながれている。
「船のチケットには偽造を防ぐ為に、発券した券売機や窓口なんかのナンバーと発券番号が書かれているんだ。でも」届けられた二枚のチケットを示し、「これにはそれがない」
「じゃあこのチケットは偽物だっていうの?」
「そうじゃないかっていう推理だよ」
 仮に偽物だったとして。こんなものを学生に届けて、いったい誰が得をするのだろう。送った本人はチケットを作るのも封筒を用意するのも手間だったろうに。これを持った学生が港に行っても乗船拒否され船に乗れないだけだろうに。
「嫌がらせかしら」
「何だかちっさい嫌がらせだね」
 たかだか船に乗れないというだけなのに、その嫌がらせに対して手間がかかり過ぎている。リベルがもし誰かに嫌がらせをするとしたら、少なくともこんなに面倒なことはしないだろう……あくまで例えであり本当に嫌がらせなんかするつもりもないけれど。
 誰が、何の為に、こんなことを。誰か利益を得る人間がいるのだろうか。
 改めてリベルとアインのチケットを見比べてみると、あることに気付かされた。
「アイン、帰省明日?」
「おーそうだよ」
「支度出来てる?」
「まだだけど、そんなにすることもないし大丈夫だろ」
「……本当?」
 前回の長期休暇の時も、その前も、同じような会話をした覚えがある。そしてその次の日、つまり帰省当日の朝、大慌てでキャリーケースに荷物を詰めているアインを見た覚えもある。本人はさほど気にしていないようだが、実に、大変、疑わしい。
「そうだ、リベルもメーアも、また帰省しないのか?」
 自分のチケットをカードケースにしまいながら、二人の顔を交互に見てアインが尋ねた。
「ああ」
「それは……ねぇ」
 彼の問いに二人とも言い淀み、はっきりとは答えなかったが、それでも意図は伝わったようだった。
 リベルの実家は代々造り酒屋である。各地から穀物や果物等様々な原料を取り寄せ、酒蔵で発酵させ、酒を造っている。普段は通常の飲料酒を造っているが、年に一度、生誕祭の期間中は神に祭る聖酒の製造、出荷のみ行う。神殿から依頼を受け、聖酒の製造を許された、指定造酒屋であるからだ。国内には他にも指定造酒屋があるが、何しろ国中全ての神殿を相手に出荷をする為、この時期はどの指定造酒屋も聖酒に関する仕事だけで手いっぱいになってしまう。他に手が回らなくなるほど忙しくなる。
 普段親元を離れて寮生活を送っているリベルが帰省すると、両親は温かく迎えてくれる。忙しいのにリベルに気を遣ってくれる。しかしリベルにはそれが申し訳なく感じられ、そこまで子供でもないのだから世話を焼いてくれなくても大丈夫なのにと思ってしまう。ふたつ上の酒蔵を継ぐことになっている兄は両親と一緒に働いているというのに、親に甘えてしまう自分が嫌になる。
 だからリベルは帰省しない。休暇中も学校に残り、明日からは先生方の手伝いをすることになっている。先生の部屋の片付けや研究の手伝いをすると、休暇中の課題が出されてしまうがアルバイト代も出る。することには事欠かなくなるし、財布も潤うという訳だ。
 メーアも同じような状況で、実家は指定花農家。神殿に、神に捧げる花の出荷は、生ものであるが故に酒よりも大変らしい。
「まぁ分かるけどさ、たまには帰省しろよ」
「学年末の休暇以外は帰るようにしてるわよ」
「そうかもしれないけど」
「とにかくアインは荷造りしなさいよ」
 それを言われてはアインも部屋に戻るしかない。アインが部屋に戻るということは、リベルもそれに同行するということである。チケットを封筒に入れ、封筒をポケットに入れてリベルは立ち上がった。
「じゃあ僕たち部屋に戻るよ」
「そうね、何だか今日は疲れたし、私も早く寝たいわ」
「確かに」
「うん、おやすみなさい」
 アインともメーアとも話をして、分かったことはほんの少しだけ。それも、チケットの出所がはっきりしない、という分かったような分からないようなこと。謎が深まることはあっても、何も解決はしなかった。
 白い封筒の送り主は誰なのか。
 何の為のチケットなのか。
 白い封筒は誰が受け取っているのか。
 話している中でひとつだけ、疑問を晴らせる方法を思いついていたのだが、それを実行するには少し勇気が足りないな、とリベルは考えていた。



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