9.


 帰宅後さっそく調べ学習に取りかかろうとして、龍夜は早くも壁にぶち当たった。
(で、調べるって、何したらいいんだ?)
 藤真班は更に班内で分担し、訪れる予定の史跡をひとりひとつないしふたつ調べ上げることに決めた。これなら誰かと話し合うだとか一緒に作業をするだとか、そういう時間的な制約なく作業が進められる。皆放課後や土日には部活があるし、部活がなくても習い事や塾に通っている人もいて集まりづらいことを考えるとこれは大きなメリットだし目的に対して効率がいい。何をするべきなのか分からない人間はいきなり手が動かなくなってしまうという大きなデメリットがあるが。今の龍夜のように。
 学校の授業でも使っている歴史の資料集を背表紙側からめくり、索引から史跡名を探して目的のページを開く。写真があって、何年に誰それがどこに建てた、こういう目的があった――書いてあるのはこんなところである。非常に簡潔、情報量は多くない。というか少ない。これでは壁新聞の紙面が埋まらない。修学旅行のしおりの空きページに三行書いただけで終わってしまう。
 おそらく教員たちの言う『調べ学習』はこういうことではないのだろう。教科書を書き写すだけではなく、そこから更に何かを学ばなければならない。では調べ学習とは? どうしたら学んだことになるだろう。
(……哲学みたいになってきたな)
 ここで机に向かい唸り続けても何も生まれないのは明白だ。諦めて今日のところは寝て、明日他の面々がどのように進めているのか偵察してみよう。稚子辺りのしおりを見せてもらえばいいヒントになるはずだ。龍夜は考えることをやめて布団に潜り込んだ。
 ……ことを、翌日若干後悔する。
「藤真、調べ学習どんな感じ? ちょっと見せてよ」
「いいよ」
 稚子が開いて見せてくれたしおりには、史跡とそれに関する人物、歴史、文化などが丁寧にまとめられていたのである。
「えっすげーこんなに書いてるの?」
「調べてたら面白くなってきちゃって」
「はあ、すげーな」
「高坂君はどう? 進んでる?」
 自分のしおりを思い返す。稚子のしおりを見た後だと、あの三行のメモ書きは悲しくなるくらいに貧相だ。
「……や、まだ。これからやろうと思って」
「ちゃんとやっておいてよね」
「もちろんです」
 きっと稚子ほど頑張らなくてもいいのだろうが、多少は足並みを揃える努力をしておかないと、あとあと恥ずかしい思いをするのは龍夜自身である。さすがにやらない訳にはいかなかった。
「ねえ藤真、資料何読んだ?」
 ここまでくれば恥もクソもない。後学の為に、ストレートに訊ねる。
「何って……いろんな本からちょっとずつもってきてるからなあ」
 眉を寄せて少し考える仕草を見せた稚子だったが、「あ、そうそう」と手をぱちんと打った。
「市立図書館に行ったんだ。あそこなら本も多いし、本の検索も出来るから資料探しやすくていいよ」
「図書館かあ」
 伏和に引っ越してきてそろそろ一年経つが、そういえば市の図書館には一度も行ったことがなかった。調べ学習の為の資料も手元にないことだし、それにせっかく教えてもらった訳だし、ここは行ってみるべきだろう。
「助かった、ありがとう」
「そう? まあとにかく、頑張って」
 稚子に礼を言ったところでチャイムが鳴った。授業の合間、束の間の休息時間が終わった合図だ。早足で自席に戻り、次の授業の数学担当教師を待ちながら、ふと冷静になる。
 龍夜は市立図書館の詳細な場所を知らなかった。知っているのは、駅の近くにあるらしいということだけ。もちろん市の施設だから電話帳を見れば住所も載っているだろうし、そこから場所を探し出すことも出来なくはないが、少々……いや、かなり面倒くさい。ここは誰かに連れて行ってもらった方が早いだろう。
 そしてその『誰か』に指名するのに都合のいい人間を、龍夜は知っていた。龍夜と同じく調べ学習を進めなければならず、にもかかわらずまだ未着手で、以前より伏和に住んでおり周辺の地理に明るい人間を。そしてそいつが確実に、今日中に龍夜の前に姿を現すことを。
 昼休み、案の定『誰か』――寛司は龍夜の教室に現れた。
「龍夜〜あっそぼ〜」
 のんきなことを言いながら。
「寛司、そろそろ遊んでる場合じゃないぞ。調べ学習進んでないだろ」
「おっ何を言う、俺ばっちりだぜ?」
「は? 嘘つけ」
「修学旅行前の土日で何とかするっていう完璧な計画が俺にはあるんだよ」
「どこが完璧なんだよそれ」
 寛司の進捗は想像通りだ。にもかかわらずその内何とかなるだろうという前向きな姿勢は見習うべきところかもしれない。今ではなく別の場面で、だが。
「俺図書館行きたいんだけどいまいち場所が分かんないんだ。寛司つきあってよ」
「えっ三階にあるじゃん、お前だって何回も図書委員会で行ってるだろ」
「違うそれはこの学校の図書室。俺が行きたいのは伏和の市立図書館」
「あー、そっちか! 駅の近くにあるやつな」
 予想通り。場所はちゃんと知っているらしい。
「そうそう。さっき藤真に『調べ学習進んでる?』って聞いたら、あいつすげーちゃんとやってあってやばいんだよ」
「まじか。さすがだな」
「でもこっちとしてはピンチな訳だよ。あれ、ふざけたもの出したら藤真に怒られるぞ」
「あー……確かに。こりゃやべーな」
 そっかあ調べ学習かあ、寛司がもごもごと呟いている。もう一押しだ。
「逆にさ、こっちもちゃんと調べていい感じのやつを見せたら褒めてもらえるんじゃね?」
「おおっ」
「藤真お墨付きとなったら修学旅行はもう完璧」
「よし、じゃあ今日は部活早めに切り上げて図書館行くか!」
 寛司が単純で助かった!
 名案を思いついたかのように満足げに頷く寛司を見て、利用しているようで悪いと思わなくもないが、これは龍夜だけでなく寛司にも必要なことであり双方にとってプラスなのだと自身に言い聞かせる。龍夜は悪くない。むしろ寛司にとっていいことをしたのだ。そういうことにしよう。
「じゃ、また放課後な〜」
 どこで覚えたのか「アディオス!」と言って立ち去る寛司を見送り、ほっと一息つく。彼を丸め込む……のではなく説得することに成功し、妙な達成感を噛みしめていた時だった。
「リューヤ君」
 振り返ると、斜め後ろの席で園が手を振っていた。
「聞いちゃった」
「え、何を」
「図書館、行くんだ」
「ああうん、早めにやることやっておかないとまずいと思って」
 まっすぐにこちらを見てくる彼女の目が眩しくて、自分の爪先に視線を落とす。今の目のそらし方に違和感はなかっただろうか。悪印象を与えていないだろうか。そんな考えが一瞬よぎったが、「そうだよね」と続けてくる声に少し安心する。
「私もちゃんとやらなきゃって思ってて」
「あ、これからやる感じ?」
「うーん、ちょっとだけ手をつけてみたけど、もうちょっといろんな資料を読んだ方がいいなって思ってたところで」
 なるほど進捗は龍夜と互角といったところだ。
「だからね、私も一緒に図書館行っていいかな」
「……はい?」
 思わず大きな声を出して、顔を上げる。驚いたのか目を丸くする園が目に入る。
「あ、ご、ごめん」
「ううん、あの、私の方こそ突然ごめん」
「いや俺が急に大きい声出したから」
「でも私が変なこと言ったんだし」
 もう何に対して謝り合っているのかよく分からないしこのままでは埒が明かない。龍夜は「でも」と続けようとする園を手で制止した。
「えーと、行きますか? 放課後」
「あ、うん……行けたら嬉しいなって。図書館まだ行ったことないし。でも邪魔になるようなら別に全然」
「邪魔だなんてそんな。俺だって寛司に連れてってもらお、くらいの軽いノリだし。寛司も絶対嫌だとか言わないだろうし……っていうか言わせないし……えっと」
 だんだん自分が何を言っているのか分からなくなってきた。頭も口もうまく回っていない。自覚はある。
「とにかく、放課後部活終わったら校門出たところで待ち合わせよう。それでいい?」
「うん、分かった」
「じゃあ、よろしく」
 上手く話せたような気がしないが、何とか約束を取りつけられた。思うことを表情に出さないようにしながら前に向き直る。一瞬横目に見えた、後ろの席で頬杖をつく嵐のにやにや顔は見なかったことにした。
(……っていうか、え、嵐!?)
 嵐はいつからいたのだろう! どこから聞かれていたのだろう!



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