7.


 案だけは出るものの具体的なことは何ひとつ決まらないまま、昼休みの終わりを告げるチャイムが図書室に響いた。この程度は想定の内で、まあ初めはこんなものだろうというのが龍夜の正直な感想だったが、時間は無限ではない。
「しょうがない、今日はここまで。また明日の昼休みに話し合いの続きをしましょ。出来れば明日、遅くても明後日には行き先くらい決めちゃいたいね」
 稚子も考えは同じのようだ。というのも、龍夜たちがしなければいけないことが、他にもたくさんあるからなのだ。
 例えば調べ学習。行く予定の寺社の歴史、各時代での人々との関わり、そして現代における役目を、事前に学習するよう教員たちから指導されている。そんなことをしたら新しいものを見るわくわくがなくなってしまうのではないかと思わなくもないが、多少知識があった方が現地で施設のスタッフ等から説明を受ける際により理解が深まると言われてしまえば納得せざるを得ない。
 そしてそれ以上に大切なのが移動手段の調査だ。行き先を自分たちで自由に決めるということは、自力でそれぞれの目的地まで行かなければいけないということ。どの施設の最寄り駅はどこか、バスで行くのがいいのか電車の方が都合がいいか、どういうルートだと目的の場所を回りやすいか。地図や資料を読んであらかじめ見当をつけておかないと、当日京都の街中で慌てることになってしまう。それは絶対に避けたい。
「いやー考えなきゃいけないことがいっぱいあるねえ」
「ほんとにな」
 机の上に広げたペンやノートを掻き集めて立ち上がる。図書室を出て行く皆の後に続いて龍夜も廊下に出たが、五時限目の授業が社会だったことを思い出して足を止めた。
「俺職員室行ってから教室戻るから」
「あ、御用聞きか」
「そうそう」
 先日の学級会で、龍夜は社会の教科係を半年間務めることに決まっていた。教科係とはつまり、教科担当の教員とクラスメイトたちの伝達役である。前年度務めた図書委員のように定期的な会議はなく、他学年の生徒と顔を合わせることもない。が、社会は週に三回も授業があり、その度に職員室なり社会課資料室なりへ出向いて教員に声を掛けなければならない。社会教師は3Aの担任でもある新崎だからその点においては気が楽なのだが、正直面倒くさい。そして、その内慣れてきた頃に、うっかり仕事を忘れてしまいそうだ。特に今のように、昼休み明けの授業の時は。
 皆と別れて階段を降りる。ばたっべたっと、わざと崩したリズムで足音を立てる。踊り場まで降りたところで、一人分だった音が二人分になっていることに気づく。……二人?
 振り向くと。
「よっ」
 先に教室に戻ったはずの遥が後ろからついてきていた。
「どしたの」
「俺も職員室行かなきゃだった」
「何で? 教科係?」
「そ、国語」
「そうだったんだ」
 今度は二人で、並んで階段を降りる。とんとんと規則的な音が反響する。
 話題は自然と、先ほどの話し合いの内容に移った。
「全然決まんないね」
「うん……」
 頷いた遥は一度口を閉じ、一呼吸置いてから「ぶっちゃけさ」と口にした。
「藤真の行きたいところに行くのがいいんじゃないかなって思ってるんだよね。ほら、班作るのに、藤真にはいろいろ世話になったしさ」
「ああ!」
 確かにいい案だ。皆の意見を擦り合わせるよりも、稚子ひとりの意見を採用する方が簡単で早い。班のメンバーを集められたのも稚子のお陰だし、彼女の希望に添う形でコースを決めても誰も文句を言わないだろう。
「でも、それって藤真に全部丸投げするってことなんだよね。藤真のことだから、『お前の案採用するよ』って言ったところで、結局俺たちの意見聞いてくれると思うし。それじゃ、駄目なんだよね、きっと」
 龍夜は五秒前の考えを即捨てた。遥の言う通りだ。何でもかんでも稚子に任せてはいけない。稚子の為と言いつつ、それは稚子の重荷になってしまう。
「じゃあどうすんだって話だけど……どうするのがいいんだろうな」
「意見まとめるのって、難しいね」
「ほんとにな。生徒会とか学級委員とかうまいことやってる奴ってまじすげーなって思うわ」
 あーあ、俺もそういう能力欲しかったな。溜め息と共に吐き出しながら、遥が職員室の戸を引いた。
「失礼します」
 職員室を覗いて、龍夜は新崎を、遥は国語教師の坂内を探す。全体を見回して、印刷機の前に立つ坂内と机に向かっている新崎を見つけた。それぞれ近づいて声を掛けた。
「新崎先生。3Aの次の授業お願いします」
「はい、お願いします」
 授業で使うプリント等がある場合はここで渡され、事前に配っておくよう指示を出される。新崎の手元にそれらしいものはない。よし、これで今日のお勤めは終わりだ……と思っていたら。
「これ、黒板に掛けといてくれる?」
 机の脇に立て掛けられていた大判の地図を渡された。巻物のように丸められているとはいえ、サイズがサイズである。
「うわ、重っ」
 思わず声が漏れた。
「気をつけて運んでね」
「先生、これ重いよ」
「だから気をつけて。筋トレだと思って、ほら」
「むちゃくちゃだ……」
 両手で抱え、軽く頭を下げる。半ば引きずりながら職員室を出ると、なんと遥が待ってくれていた。
「お手伝いしましょうか? 高坂サン」
「超頼むわ」
「貸し一個ね」
「まじかよ」
 とはいえ手伝ってもらえるのはありがたい。一端を龍夜が持ち、もう一端を遥に持ってもらい、電車ごっこのようにして歩き始めた。
「遥は坂内から何も言われてないの?」
「なかったね」
「印刷機の前にいたじゃん。あれ授業のプリントだと思った」
「漢字テストだからお前は見るなって、教室で待ってろって言われちゃった」
「げ、そうなの。うちのクラスもやるのかな」
「そりゃそうだろ、B組だけテストやるとかありえねーわ」
 だらだらと話しながら、しかしもう授業が始まる時間である。ゆっくりしていられない。気持ち急ぎ足で階段を上り、遥に教室までついてきてもらい、地図を広げるところまで手伝ってもらった。ユーラシア大陸の地図だった。
「助かったわ、ありがとう」
「おー」
 それじゃ、と遥はB組の教室に帰っていった。ほんのわずかな時間だろうが、漢字テストまで悪あがきをするのだろう。確か明日はA組も国語の授業があるから、龍夜もあとで復習しておこうと決めた。
 それにしても。この数分の間に遥と交わした会話を思い返す。班行動の行き先について、遥があんなにいろいろ考えているとは知らなかった。龍夜が思い至らなかった深いところまで分析して、評価をしていた。それを龍夜に話してくれたのは、自分なりの最善策が出せなくてもやもやしていたからだろうか、もしかしてあれは相談だったのだろうか。だとしたら、それにすら気がつけなくて、申し訳ないことをした。
(遥だって、『まじすげー』よ)
 それは自分にはない能力だと、龍夜は思った。いつも自分のことでいっぱいいっぱいな龍夜とは大違いだ。
 遥には遥のいいところがある。比べて自分はどうだろうか。いいところはあるのだろうか。それはどうしたら見つけられるのか。
 自分自身でそれに気づくのは難しいのかもしれない。だとしたら自覚がなくても仕方がないことなのだろう。しかし友人のそれを目の当たりにすると、自分が何ももっていない無防備で無能な人間に感じられて、少し焦ってしまう。自分に出来ることはあるのか、それは何なのか。
(分っかんねーな……)
 新崎が来て授業を始める。先ほど遥と一緒に吊した地図を指し示しながら新崎は何やら解説をしていたが、龍夜はいまいち集中することが出来なかった。



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