6.


 ソフトテニスのスマッシュ音に女子生徒の声が重なる。窓を開けてもいないのに掛け合う内容まで聞こえてくるのは、ここ図書室に利用者がほとんどおらず静かだから。空は青く晴れ渡り、春の陽気が気持ちいい。にもかかわらず外へ出ないで図書室を利用しようなんていう人間は、そう多くはないのだ。決して皆無ではないが……というのも、今まさに龍夜たちが、その『多くない』側に分類される立場にいるからである。
 六人掛けの机に無理矢理椅子を寄せ十一人で囲み、各々持ち寄った資料をめくる。隣の者の資料も覗き、好き勝手なことを言う。それを聞いてか、稚子は立ち上がって皆を見回した。
「それぞれに希望があると思うから、まずは全部意見を出してみよっか。出来る出来ないを考えるのは後回し、まずは希望を言ってみて」
「はいはい!」
 稚子が言い終わるや否や、寛司が挙手をする。
「やっぱ金閣寺っしょ、金ピカ金閣寺」
「うん。あ、よっしー書記頼める? あと双馬君、ここ図書室だからもっと声抑えて」
「はーい」
 注意の意味を分かっているのかいないのか、元気に返事する寛司を和久がどつく。肩を竦めた知佳が手元のノートに『金閣寺』と書き取る。それをぼんやりと眺めていた龍夜だったが、隣からの囁き声で我に返り視線を上げた。
「ねえねえ」
 園がこちらを見上げてくる。
「リューヤ君はどこ行きたいとかある?」
「あ、ええと……まだ上手くまとまってなくて」
「見所いっぱいあるもんね、迷っちゃうよね」
「うん」
 返事をしながら資料を読もうとするも、目が滑ってしまい内容が頭に入ってこない。難しいことが書いてある訳ではないのに、情報が脳内で像を作らない。理解が出来ない。
(やばい、頭が真っ白だ!)
 龍夜自身が作ったこの状況に、あろうことか龍夜本人が追いつけていなかった。あまりにも自分に都合がいい展開で、『実は全てドッキリでした!』と言われても、やっぱりそうだよね、と納得せざるを得ないくらいだ。
 なぜこんな状況になったのか、事は二日前の昼休みに遡る。修学旅行で行動を共にする女子班員を見つけようと、アクションを起こした時のことだった。

「藤真、ちょっと」
 自分の席で読書をしていた稚子は、龍夜の声に読みかけの本を閉じた。
「何?」
「あの、修学旅行のさ……」
 誰と班を作ろうか、伏和中三年の間で今一番ホットな話題である。こう切り出しただけで稚子もこちらの言いたいことを汲んでくれた。
「自由行動の班でしょ。ちょうどよかった」
「何が?」
「さっさと班作って見学コース考えなきゃって思ってたんだけどね……」
 そもそも、この班を作るという行為、自由度が高いように見せかけて様々なリスクを抱えており、それを回避しようとすると選択肢が減るという問題があった。思春期の男女が己の意思で相手を選んでいくのである。普段接点の薄い人に声を掛ければ、真偽はさておき、あいつあの子が好きだったのか?と冷やかしの対象になりかねない。これを避ける為には日頃から接触の多い無難な相手、同じ部活やクラスで席が近い相手に声を掛けるしかないのだ。
 しかし稚子が所属する美術部には男子部員がいない。じゃあ誰と班を作ろうか。そんな時に龍夜がタイミングよく声を掛けたという訳だ。
「高坂君の他って双馬君とかでしょ、全然話さない相手じゃないし、それなら私も気が楽だわ」
「お互い都合がいいって訳だ。で、藤真の他は?」
「よっしー……えっと、吉田知佳ちゃん」
「あの人美術部なんだ」
「そうだよ。それと……あ」
 もうひとり名前を挙げようとして、稚子は口を閉じた。龍夜も騒がしさを察知して教室の戸の方を見た。やはり廊下には寛司がいる……他にもう二人、同じバスケ部の坂原和久と飯田広隆がこちらに手を振っていた。
「もしかしてあの二人も班員になるのかな?」
 稚子の問いに、「おそらく……」と曖昧に返すことしか出来ない。ちゃんと話した訳ではないが、無駄に肩を組んだり楽しげな動きをしてこちらにアピールしているのは、きっとそういうことなのだろう。
「だとすると困ったな」
「というと」
「私の他に女子がもう二人で計三人。男子は彼ら合わせると六人……なんだよね?」
 班員の上限は八と決まっている。これでは多過ぎだ。
「男子を何人かリストラするか、もう少し女子を増やして二班に分けるかしないと」
「出来れば二班に分ける方向で何とかなりませんかね」
「うむ」
 稚子はにやりと龍夜を見上げた。
「高坂君の頼みだ、検討しましょう」
 稚子がどんな手を使ったのか、龍夜は知らない。しかしその日の放課後、部活動開始時間前。
「高坂君、ちょっといい?」
 彼女がわずか数時間でまだ班を作っていない女子を集めたこと、そして彼女たちが体育館を訪れたことは、紛れもない事実だった。
 制服姿で現れた彼女たちは、学校指定ジャージで溢れるこの時間帯の体育館では目立つ存在である。何だ何だと首を伸ばす後輩たちに準備運動でもするよう何となく指示を出し、自分たちは一度体育館を出た。
 稚子が連れてきたのは昼に聞いていた通り吉田知佳と、梅枝愛に小和田望、そして、華宮園だった。順に女子の顔を確認して、広隆の目が園で止まる。
「あれっ転入生の」
「そ。華宮さん」
 園が名乗る前に寛司が紹介しようとする。いやいやおかしいだろと和久が寛司の肩を叩く。
「や、お前同じクラスでもないだろ、何なの」
「俺たちもうオトモダチ」
「昨日ちょっと話しただけでしょうが」
 稚子が突っ込んで、寛司が「そうとも言う」と認め、広隆と和久は大げさに脱力してみせた。にやにやしている寛司を見るに、わざとやったらしい。いやらしい奴だ。
 気を取り直して広隆、和久が名乗る。園もにこりとした。
「華宮園です。修学旅行、よろしくね」
 小さく頭を下げた彼女に対し、ああうんと生返事しか出来ない自分に、自分で呆れてしまう。こういう時に少しでも上手く立ち回れたらいいのだが、今の龍夜にはなかなか出来そうにないことだった。
「男子が六人いて、女子は五人。人数の都合上二班に分けるけど、まあ皆で一緒に行動するんだったら同じ班みたいなものでしょ。問題ないよね?」
 なんて稚子は言ったが、問題なんてある訳がなかった。むしろ女子難民だった男子バスケットボール部一同からすれば、神様仏様藤真様である。
「いや、ほんと、助かったよ」
「それはこっちもだし、気にしないで。で、班分けだけど」
「そりゃあ、適当でいいっしょ」
 集団の真ん中辺りに立っていた和久がぱっと両手を横に広げた。和久の前側に嵐、遥、広隆、愛、望。後ろ側に龍夜と寛司、稚子、知佳、園。ざっくり二手に分けられる。本人の言う通り、おおっと声が誰からともなく上がるほどに適当だ。
「男の数的に俺は寛ちゃんの方の班ってことで」
「ま、いいんじゃない」
 知佳が頷くと、他の女子たちもそれに続いた。男子側も特に反対しない。なんと驚きのスピード班結成だ。
 これでよし、と、稚子は両手を打った。
「じゃあ今日のところはこれで先生に報告して解散でいいかな。皆この後部活だし。また明後日の昼休みに集まってコースを考えよう。それまでに行ってみたいところをいくつかピックアップしておいて」

 ――からの、図書室である。流れに任せてなるようになった結果がこれなのだが。
(よく分かんないけどすげー緊張する……)
 このままで大丈夫だろうか。心配になってしまう。
「何だっけ、石川五右衛門が絶景かな〜って言ったとこ」
「渋いとこつくね」
「えっと……あっ南禅寺だって。ここに書いてある。でも五右衛門のは作り話だってよ?」
「まじかよ、テレビで見たのに! 騙された!」
「だから静かにしてってば」
 龍夜の心配なんて知らない皆はどんどん話を進めていく。
 ああ、何というか。気持ちに余裕がほしい。



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